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2025.06.22 わたしにとっての宣教(パウラ・レイスゴメス)
+ みなさん、主の平和!
わたしは、ポルトガルからの宣教師です。
1991年9月2日、東京に到着しました。
それ以来、日本で暮らして34年になります。
日本に来たばかりの頃のわたしは、戸惑っていました。
わたしたちの会はその前年に日本にきたばかりで、
病院や学校などの事業体を持っているわけではありません。
当時、わたしはまだ日本語もできなかったのですが、
先輩の宣教師たちが日本語を話していて、家にはいろいろなお客様が出入りしていました。
その頃のわたしの役割は、お茶を出すこと。
そのような日々を過ごしながら、すこしずつ「宣教」の意味が見えてきたように思います。
「宣教」とは人々の間に入っていくこと。
「宣教」とは、人々とかかわりにある、と思えるようになりました。
神さまは、ひとりひとりのなかにおられます――その人が信者であるかどうかにかかわらず。
わたしは、出会う人たちのなかにおられる神さまに出会っているのです。
人々のなかに神さまの愛、神さまの優しさを感じます。
わたしは心からそれを実感し、驚きの日々を過ごしてきました。
日本で過ごしている34年間は、人に与えるよりも、むしろ より多くを与えられたと思います。
神さまが日本人の優しさや、繊細さをとおして、わたしにご自身を示してくださった気がしています。
宣教とは、決して上から目線のものではなく、共に歩むことです。
最近でこそ教会で「シノダリティ」ということばが聞かれるようになりましたが、
まさに共に生きること、共に学び、互いに分かち合うことが、
わたしにとっての宣教だと思っています。
34年間を物語る写真がたくさんあります。とくに食事の写真が多いです。
祈りや遠足、巡礼・・・いろんな写真をもとに思い出をふりかえってみて、
どの時にも共通しているのは
一緒に生きること、
必要なときに、必要に応じて耳を傾けること、
必要に応じて、ひとことを贈ること。
「ともに歩むこと」がキーワードかもしれません。
わたしは日本に教えに来たのではなく、むしろ教わったことが多くあります。
わたしは日本に来て、人々のなかで神さまに出会っていると思います。
2025.06.22
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