千本六斎会は、芸能六斎の系譜を引く団体として、多彩な演目を今日まで伝えています。
「一山打ち」とは、発願念仏に始まり結願念仏に至るまでの、全演目を上演する形式をいいます。六斎念仏の本来の姿を示す通し上演であり、供養の構成を一体として表すものです。
発願念仏(ほつがんねんぶつ)
打ち出し
発願念仏は、一山打ちの冒頭に位置づけられる重要な導入部分です。導師の発声により発願声明が唱えられ、続いて「南無阿弥陀仏」の念仏を一同で唱和します。千本六斎会に伝わる発願声明の詞章は独自のもので、旋律は古様を残しながら短い形に整理されています。
念仏の唱和に続き、豆太鼓の先導によって太鼓打ちが始まります。これを「打ち出し」と呼び、以後の多彩な演目へと展開していきます。六斎念仏が仏教的実践を根底に持つことを明確に示す部分です。
豆太鼓は、六斎念仏独特の楽器である豆太鼓を用いる演目群です。乾いた甲高い音色と軽快な打ち分け、そして唄が一体となって展開します。千本六斎会は西陣の都市文化の中で伝承されてきた背景もあり、豆太鼓の演目には洗練されたテンポ感や芸能性が色濃く表れています。現在伝わる曲は複数あり、それぞれに由来や変容の跡を残しています。
「浪花」は、現在のところ明確な原拠資料は確認されていませんが、「ちゃーちゃーてん」といった口ずさみによって構成やリズムが受け継がれてきました。こうした口唱による伝承は、六斎念仏が楽譜よりも身体的記憶に依拠してきた芸能であることを示しています。
「道成寺」は、壬生六斎・小山郷六斎にも共通する「手毬唄」系の演目で、地域ごとに歌詞や節回しに差異が見られます。千本六斎会ではこの系統を「さくや」と称して伝え、詞章・旋律ともに独自の整理が加えられています。
「すがらき」は、かつて「素雅羅記」とも書かれたように、音を写した当て字の系譜を持つ名称です。現在は太鼓唄のみが残っており、本来は笛や鉦にも対応する唄があったと考えられますが、その伝承は途絶えています。
続く「砧」は千本の豆太鼓技巧が際立つ部分で、一つの流れるようなリズムに聞こえる曲を、実際には二人が役割分担して細かく打ち分けます。音の連続感と内側の緻密な掛け合いが同時に成立するところが聴きどころです。
四ツ太鼓は、京都の六斎念仏に広く共通する基本形式の太鼓芸です。四柄の太鼓を枠に据え、打ち手が向かい合って打ち分けながら多様な型を展開します。現在の構成は戦後に整理されたものと考えられています。
演奏は、片手で打つ「一丁ブチ」から始まり、両手による「二丁ブチ」へと発展します。さらに、二人が向かい合って同時に打つ「相打ち」、間断なく連続して打ち続ける「ドロドロ打ち」、次々と演者が入れ替わりながら二丁ブチを打つ「三ノ繰り」など、打法は段階的に変化していきます。これらの構成により、単純な反復ではなく、緊張感と推進力を伴った音楽的展開が形づくられます。
その中の「二ノ繰り」は、他地域の六斎では打ち手がバチを肩に担ぎ、太鼓の周囲を一歩一歩巡る舞踊的所作が見られます。これに対し、千本六斎会ではゑんま堂狂言「芋汁」の導入部(嫁と丁稚)を取り入れ、独自様式に発展させています。この差異は、六斎念仏が地域の芸能と相互に影響しながら変容してきたことを示す一例といえます。
四ツ太鼓は、単なる基礎的な演目ではなく、京都の六斎念仏における太鼓技法・身体表現・構成美が凝縮された中核的演目です。
一ノ繰り
二ノ繰り
三ノ繰り
八ツ太鼓
「山姥」は能「山姥」を題材とする演目です。京都の他地域にも同名の演目がありますが、千本の笛の旋律は中堂寺六斎の「山姥」とは類似が見られません。むしろ、現在は途絶えている下津林六斎の「山姥」との類似が高いと考えられており、口ずさみの型が千本の旋律と重ねられる点が注目されます。
千本六斎会では、山姥が法力によって成仏するめでたい曲として解釈しており、物語の結末を含めて祝福的に演じられています。
「堀川猿回し」は、浄瑠璃「堀川の段」からの取材と伝えられる演目です。六斎独自のくちずさみの中にもその面影を認めることができます。かつては子どもが猿の姿となり、大人が猿引きに扮して演じていましたが、現在は同一の振付で上演されています。豆太鼓の軽快な打ち分けとともに、都市芸能としての洗練を感じさせる演目です。
続いて演じられるのが「さらし」です。かつては猿回しの猿役が演じていましたが、戦後間もない頃に女性が演じるようになり、それに伴って現在の振付へと変化しました。加茂川の河原での友禅洗いの「さらし」を題材にしたものと伝えられ、千本の都市的な背景を感じさせる演目です。
「法縁祭」は、仏法との縁を慶ぶ趣旨を持つ演目です。祝祭的な雰囲気の中に宗教的な意味を込めて展開し、六斎念仏が供養と回向を根底に持つ芸能であることをあらためて示します。
詞章には「八兵衛」の名や、伏見・淀・鳥羽などの地名を列挙するくだりが見られます。これらは久世六斎の「八兵衛さらし」や中堂寺六斎の「うかり」と共通する部分であり、笛の旋律や口ずさみの型にも類似が認められます。六斎の伝承が地域ごとに変容しつつ受け継がれてきたことを示す一曲です。
「八島」は、謡曲「八島」を題材にした演目です。源氏と平家の戦の様子が語られる「舟よりは 時の声、、」を用い、屋島の合戦の情景を描き出します。軍記物を題材とした力強い唄と豆太鼓の響きが重なり、波立つ海上や軍勢の動きを想起させる構成となっています。歴史的題材を取り入れながら伝承されてきた六斎念仏の多様性を示す演目です。
※本曲は昭和30年代まで演じられていましたが、その後途絶えていました。令和に入り嵯峨野六斎念仏保存会の協力を得て、復曲することができました。
万歳は祝言を主題とする演目です。祝いの言葉と掛け合いによって場を整え、演目全体に華やぎを添えます。六斎念仏が供養の芸能でありながら、都市の暮らしや年中行事の中で祝賀の表現も取り込み、信仰と娯楽の両面を併せ持ってきたことを示す一曲です。
※本曲は昭和30年代まで演じられていましたが、その後途絶えていました。令和に入り、竹田聴洲フィルム資料から録音が見つかり、復曲することができました。
「願人坊」は、清元「うかれ坊主」を題材にした手踊りの演目です。太鼓芸ではなく、銭錫杖を手にした二人の願人坊主が舞いながら、軽妙な詞章を交えて展開します。
願人坊とは本来、寺社の門前などで祈祷や勧進を行った人々を指しますが、この演目では滑稽で人間味のある存在として描かれます。一見すると軽やかな踊りですが、リズムと詞章の掛け合いは繊細で、芸達者な演じ手にのみ許される難しい曲でもあります。
かつては常磐津「願人坊主」が原曲でしたが、現在演じているのは昭和4年に六代目尾上菊五郎が清元に改作した歌舞伎舞踊「浮かれ坊主」から取材した内容となっています。
「祇園囃子」は、祇園祭の山鉾囃子を取り入れた演目です。本来は祇園祭の山鉾を曳く際のお囃子ですが、六斎では太鼓踊りにアレンジされています。昭和初期まで、六斎念仏の者が祇園祭の囃子方、とりわけ笛方を務めていた時期があり、その経験を通じて習得され、六斎念仏全体に広まったものと考えられます。
テンポは踊り方によって決まり、保存会ごとに違いが見られます。千本六斎会では太鼓の振りが大きいため、比較的ゆったりとした曲調で演じられます。途中には「入れ物」と呼ばれる挿入芸があり、千本では「雀踊り」が演じられます。終曲に締め太鼓を用いる点も特色の一つです。
祇園祭では笛に能管(七孔)を用いますが、六斎念仏の笛は六孔です。函谷鉾の囃子では第七孔を常時小指で塞いで演奏するため実質六孔で吹いており、その際の能管の孔位置と六斎笛の孔位置がほぼ同比率であることから、若干音程は異なるものの同じ運指で同じ旋律を奏でることが可能です。千本六斎の祇園囃子は、流しにおける「一二三」の鉦の型や笛の旋律に、現在の函谷鉾との類似が指摘されています。
千本六斎会の獅子舞は、六斎念仏の中でも特に華やかで物語性の強い演目です。現在伝わる獅子舞は、明治二十年頃に上鳥羽村より伝えられたとする伝承があります。
はじめに太鼓芸「獅子呼び」が演じられ、獅子の登場後は「獅子の地踊り」「碁盤乗り」「蚤取り」と続きます。獅子が居眠りをすると蜘蛛の精が現れ、獅子と蜘蛛の戦い、蜘蛛の巣の趣向へと展開します。千本の演出では、獅子は蜘蛛の糸によって倒れてしまいますが、最後に打ち鳴らされる「攻め太鼓」によって息を吹き返します。六斎の太鼓の響きが法力を象徴し、邪を祓い命を甦らせるという、千本六斎独自の解釈が込められています。
また、六斎に土蜘蛛の趣向が取り入れられる以前は、ひょっとこの「あやし」が原型であったとも考えられています。ひょっとこは現在も祇園囃子の入れ物として残り、その後「頼光と土蜘蛛」の要素が取り込まれて六斎全体へ広まったと考えられます。
結願念仏は、一山打ちの最後に唱えられる念仏で、発願に始まった供養・回向の営みを締めくくります。念仏の唱和に続いて演じられるのが「阿弥陀打ち」です。太鼓を力強く打ち鳴らしながら「南無阿弥陀仏」を唱え、場を浄め、仏縁を結び直す意味を持ちます。多彩な演目の後に再び念仏へと帰着する構成は、六斎念仏の本質をよく示しています。
千本六斎念仏の演目は、念仏芸能としての信仰性と、都市文化の中で育まれた芸能性の両面を今に伝える、貴重な郷土芸能です。