『AKB48白熱論争』: あとがき

AKBについてはまだまだいくらでも語ることがある。それが率直な僕の「あとがき」である。しかし残る紙幅でそれを語るわけにはいかない。だから最後に、どうしても言い残しておきたいことをいくつかここに記したい。

まず、AKBをよく知らない読者に向けて。AKBというのは、一度じかに体験してみなければ何もその良さがわからないシステムである。ゲームと同じで、プレイしてみなければその面白さは分からない。劇場でも握手会でも総選挙でも構わない。その現場に参加して初めてその面白さが分かるのだ。だから、AKBをよく知りもせずに批判しても意味はないのである。これだけは言える、この本を読んでAKBを分かった気になろうとしても無駄だ。そんなヒマがあったら、いますぐ現場へ走ってほしい。

次に、AKBをよく知る読者に向けて。同志たちよ、我々はもっとAKBについて語るべきではないか。いや、もちろん、僕も含めてAKBにハマる者たちは、日々AKBについてリアルでもネットでも語り合っているはずだ。ただし、まだまだその言説は公(パブリック)なものになっているとはいえない。しょせんはオタクたちの与太話だと思われている。しかし、そうではないのだ。たかがアイドルの話だから、などと斜に構えるのはもうやめよう。いますぐ我々は大声でAKBの魅力について、その可能性について、革命性について語るべきなのだ。

ここで私事になるが、僕はある一人の、名前も知らないAKBオタに謝辞を述べたい。先ごろ沖縄で行われたチームKの全国ツアー公演(七月二二日)に遠征したときのことである。この沖縄コンサートは席数が約1万とかなりの大規模だった。沖縄の現場はかなり新規のライトファンが多く(僕の場合、二日前でもチケットが余裕で購入できたほどだ)、僕のいた後方の一般席は正直盛り上がりに欠けていた。

しかし僕の右側、少し離れたところに一人の勇者がいたのである。彼は終始、松井珠理奈の名前を全力でコールしていた。あまりのその声の大きさに、最初周りの観客たちは「なにあれキモイ……」とドン引きしていた。だが終盤のアンコールで、彼は全力でチームKコールを絶やさなかった。すると周りの観客たちから、次第に「あいつすごいぞ」といった声がちらほら聞こえてきた。そして彼はいよいよ声が枯れ尽き、思わず「これ以上やったら死んじゃうよ!」と叫んだとき、まわりは温かい大爆笑に包まれたのである。

この日の公演はさらにダブルアンコールがあった。珠理奈オタは再びチームKの名を全力で叫ぶ。しかしもう声は枯れ枯れである。するとどうだろう、周りの小学生くらいの女の子や高校生くらいの男子たちが、次々とチームKコールを手助けしていくではないか! それは実に感動的な光景だった。最初はまったくといっていいほど冷めていた周囲の空気を、彼は変えたのである。情念で変えたのだ。彼はまさにチームKの17人目のメンバーとして、観客席から渾身のパフォーマンスをしてみせたのである。

さらにいえば彼は珠理奈オタだから、チームKへの兼任について内心思うところもあったはずだ。それでも彼は全力でチームKの珠理奈を支えるために沖縄まで来たのだ。僕はその彼のマジに感染した。願わくは僕の言葉も、彼のように人を動かす情念に満ちたものでありたい。そうでなければ、AKBについて語る意味はない。情念だけが人を動かす。そのことを彼は教えてくれた。感謝したい。

そして最後に、改めて小林よしのり氏に感謝を。情念だけが人を動かすということ。実はそのことを誰よりも最初に教えてくれたのは、僕がまだ一〇代のときに手に取った氏の著作、『ゴーマニズム宣言』だった。そして自分が一年前にAKBにハマった直接のきっかけも、小林よしのり・中森明夫・宇野常寛の3氏が対談したAKBについての座談会だった(『PLANETS SPECIAL 2011 夏休みの終わりに』所収)。そこでの小林氏のマジに感染しなければ、いまこうして僕がAKBについて語ることもなかっただろう。この場を借りて、改めて感謝したい。

二〇一二年七月二七日 新宿の喫茶店にて 濱野智史