2024年4月~
2024年4月~
「わたし」って?
肩書きがないのに、ここにいる意味をずっと探してた。どこか、孤独で、さみしくて、ぶつかって、いらいらして、なんでって。
そんな自分を受け入れきれずにいた春。
いろんな生き方をしてる人と出会って、わたしはどんなふうに生きていきたいか見つめなおしたかったから。
でも、ほんとうはしたくなかった。
大好きなコミュニティから離れること。わたしはこれからどうしていきたいのか、わからなかった。
青森弘前旅行をしたり、福島へ行ったり。女川での生活。
時間に余裕が出てきた期間。
自分自身を見つめるための期間だった。みんなとおしゃべりして、笑ってずっとこの時間が続けばいいのに。と思いながらも、今のままじゃなにも変わらない自分がいるのも感じていた。
どっしりと構える岩木山を見て、
もし女川に飛び込む決断をしていなければここには来ていなかったんだなって思って涙が出てきた。
ぐるぐると立ち止まっては引いてを繰り返してきたわたしの道も間違ってなかった。
自分の人生は自分で生きる。と決めた
東北から出た事実が信じられなかった1カ月。
さみしくて、こころがぽっかりと空いていた。家族も心なしか元気がなくて、だんだん心がしわしわになっていった。
そんなときに、ぽちっと応募した大人の島留学。
女川で出会ったおもしろいなと思った人たちがみんな、どこかのタイミングで海士町に行っていたこと、「人生100年時代、1%くらい海士町に注いでみてもいいんじゃない?」という大野さんのことばに引き寄せられた。
面談のとき、すごく緊張してたけど、港から中継していた姿を見て、ほっと肩の力が抜けたのをすごく覚えている。
その人と今では仕事を一緒にやってるだなんて、すごくおもしろい。
隠岐・海士町来島 7月期🌻
海士町に来島した。
どこに流されるのか、これからどうしようか不安でいっぱいだったけど、海士町に着いた瞬間すごく雰囲気が温かくて、安心したのを今でも覚えている。
同期のみんなはすごくまっすぐで、エネルギーをたくさんもらえる人たち。人とのつながりってこんなおもしろいんだって実感した日々。
お仕事では、インタビューをはじめた。一人ひとりの想いを知れて発信できる仕事ってこんなにもおもしろいんだってわくわくした。
もっとこの島にいたい、島前の人たちと関わりたいと思った。
隠岐・西ノ島へ 葛藤と揺らぎのなかで。10月期
島に来てから、いちばん落ち込んだ。
何のために島に残ったのか、わからなくなった。
でも、「楽しむ」ことが大事だって気づいた。
「頑張らなくてもいいよ。なっちゃんが楽しいって思えることをしたらいいよ」ということばをいただいて、はっとした。島に「いる」だけでいい。なにかを成し遂げなくてもいいんだ。
わたしは、
人とのつながりがうまれる環境に身を置いていたい。
見えないものも大切に。葛藤しながらも、しなやかに柔らかく動いていける人間になりたいなと感じた。
この3か月間は霧のなかにいて、重い荷物を背負ってる感覚だった。前に進みたくても進めない苦しさ。
でも、確実になくてはならない3か月。
ご縁が広がって、つながっていく。そんな島
欠航が続いて海士町に戻れるか不安だった冬。
冬の星空と雪と、ちらつく雨にようやく好きだと思えるようになってきた海士町の冬。
「なゆちゃんはなゆちゃんでいていいんだよ」ってまっすぐに伝えてくれる子に出会えたり。
休学期間で気づいたこと。今のわたしは、「一人よりかはだれかと一緒になにかをする」ことが好きらしい。
しょうもないことでたくさん笑っていられる時間が好き。
そんな時間を復学してもつくっていきたい。
とてつもなくよかったなって感じた休学期間。
出会えた人たちと、選んだ道を正解にしようと動き続けてきたわたしにありがとう。