2024/9/25 更新しました
私たち夫婦は、児童相談所(以下「児相」)での里親登録を経て、当時1歳だった子と出会い、2020年5月に特別養子縁組が成立しました。縁組成立後も私たちは第一子と同じ境遇のきょうだいを迎えてあげられないだろうかと考え、里親登録は維持したまま、引き続き里子委託の打診を続けていました。ただ、なかなか具体的な里親候補にあがることなく2021年を迎え、次の里親登録更新まで1年を切ったとき、里子委託の可能性を広げるため、思い切ってそれまでの制度とは別枠の新生児委託の方にもチャレンジしてみることにしました。
幸いなことに、その年の2月から3月にかけて新生児委託の手続、そして研修を経てすぐ、3月に生まれたばかりの新生児委託の話を児相から受けました。私たちはふたつ返事で引き受け、赤ちゃんとの初顔合わせからおよそ2週間後には乳児院での泊まりがけの研修を受け、そのまま自宅に赤ちゃんを迎え入れることになりました。夫婦ともに新生児の育児は全くの初めてでしたが、とりわけ私(里父)は、変化への順応に時間がかかるタイプで、客観的には淡々と育児をこなす一方、迎え入れたばかりの赤ちゃんに対して自分が思い描いていたような愛着が自然と湧いてこず戸惑いました。私は、赤ちゃんになかなか愛着を感じられないことを真剣に悩んでいたのですが、そのことを保健師から伝え聞いた児相の児童福祉司(以下「担当福祉司」)からの電話で急遽私一人で担当福祉司と面談することになりました。しかし、その時の相談を機に児相は子どもを私たちから突然引き離しました。私たちに何ら納得のいく説明なしにです。保護理由は事実とはかけ離れた身体的虐待のおそれを理由とするものでした。
担当福祉司との面談の場で、私は、赤ちゃんに対してなかなか愛着が湧かないことを相談したのですが、それについては「男性にはよくあること」と軽く流された後で、逆に担当福祉司から「赤ちゃんに何かしたことはありますか」という質問を受けました。私は、何とか赤ちゃんにミルクを最後まで飲んでもらいたい一心で「ミルクを吐きこぼしたときに叩いたことがある」と回答しました。叩いた程度ですが、もちろんひっぱたいたというレベル、叩かれて痛いと感じるようなレベルなどであるはずがなく、ごく軽い程度で、頬をペシペシしたというものです。子どもに危害を加えようなどとは全く思ってもいないことでした。しかし、担当福祉司からは、どんな風に、いつぐらいから、何回ぐらいと質問があったきりで、「叩いた」部位や程度に関して一切質問はなく、その場では「今後もご家族のことを一緒に考えていきたい」と言われて話は終わりました。私はずっとモヤモヤしていた気持ちを相談できてまるで肩の荷がおりたような気持ちになり、妻の言葉を借りれば、落ち着いて子どもに向き合えるようになっていきました。
しかし、私の行為について児相から詳細を問われることはなかった一方、「里父さんから愛情をもらえないなんて」と、担当福祉司からは私が未来永劫子どもを愛せないかのように責め立てられたことから、私はあらためて赤ちゃんに愛着を感じられないことに対して自責の念に駆られました。そして、担当福祉司との面談から2週間後に突然私の行為は虐待のおそれがあるとして児相から都に対して通告されることになりました。赤ちゃんは一時保護され、委託措置は停止されてしまいました。その後、児相からの通告を受けて都による調査が行われたのですが、調査はその日に初めて会った担当者と夫婦それぞれが自宅で1時間弱話をしてそれで終わりという内容でした。
その後、結局「虐待はあった」とされ、委託措置は解除、里親資格は取消されてしまいました。あまりにも一方的な対応に納得がいかず、里親資格取消処分の取消しを求めて裁判所に提訴した後にはじめて出てきた児相の記録票によると、私が赤ちゃんの頬を平手で叩いたと言ったことになっていました。私は、そもそも赤ちゃんの頬を平手で叩いたこともなければ、そう言ったこともありません。担当福祉司との面談から虐待のおそれがあるとして通告されるまでの間、児相からは、私に対して叩いた部位や程度の確認が一切なかったにもかかわらず、児相内部では、私が話してもいないことを勝手に私が話したことになっており、なかったことをあったことにして記録されていたことが判明しました。
客観的に確認されていることですが、赤ちゃんには何ら外傷はありませんでした。当時乳児院から派遣されて自宅に足繁く通って赤ちゃんの様子を直接見ていた新生児委託推進員からは、「訪問のたび、赤ちゃんの外傷だけでなく、表情、様子を詳細に見てきたが、赤ちゃんの表情、発達の様子からは、虐待を受けているような所見は感じない」という発言記録もありました。血のつながった子どもを育てる家庭では考えられないほど監視の目が行き届いている環境下で、何ら外傷もなく、私の腕の中で安心して寝ている子どもを見ていながら、そうした現場の専門家での指摘は一顧だにせず、私の供述のみ(それも言ってもいないことを言ったとして)を根拠として虐待認定をして子どもとの引き離しを強行したのです。
私のどういう行為がどのようにいけなかったのかの説明もなく、私が実際には言ってもいないことを言ったとし、やってもいないことをやったとして虐待のおそれがあると通告し、それで子どもを強制的に私たちのもとから引き揚げたのです。都の調査も児相の見立てをただなぞるだけの内容でした。それで出た処分に納得出来る親がこの世の中にいるでしょうか。短期間に何度も養育者を変えられた里子の幸せを児相や都が真剣に考えているとはとても思えません。当時幼かった第一子は、きょうだいが連れ去られたのを知って自分のことはかえさなくてよかったのかと聞いてきました。血のつながっていない親子関係を経験したことのない人には分からないかもしれませんが、血がつながっていないからこそ慎重に慎重に築き上げてきた子どもとの関係は、話をまともに聞くこともせずに一方的に「虐待」と決めつけて分断してよいような生易しい関係ではないのです。
私たちは、子どもが2歳のときに里子として迎え、4年10ヶ月一緒に暮らしていました。産みの親御さんは、児相からも連絡が取れず、離婚したお父さんの方は子どもの存在も知らないと聞いています。身寄りのない子でしたから、養子縁組をわざわざすることなくとも、当然に私たちの家族として過ごしていました。
ある日のことです。子どもが突然一時保護されました。聞くと、子どもが小学校で「おちんちんとおちんちんがくっついた」と発言したというのです。わずか小学校1年生でしたから、あまり上品な言葉ではありませんが、そういう発言をすることもあるだろうと思いました。子どもは、やや発達に遅れの見られる子で、絵本も「くっついた」というタイトルの絵本しか興味を持たず、「ああ、それでふざけてそんなことを言ったのだな」と私たちには自然と理解できました。ところが、それで学校が性的虐待の可能性があるということで、児相に虐待通告したというのです。昨今では、どんな小さな芽でも虐待の可能性があれば連絡を下さいと言われている学校の身からすると、念のためということだったのかもしれません。しかし、学校は里親の私たちにも、子どもの発達の主治医にも一度も確認の連絡もしないでいきなり通報をしたのです。
一時保護から委託解除されるまでの間、私たちは2回の聞き取りがあっただけで、私たちが無理矢理にAVを見せたのではないかと想像でものを言われ、わざわざレンタルDVDの購買履歴を見せるなどして、どうにか信じてもらえるように必死の努力をしました。児相は虐待となる確固たる証拠となるものが無いことを認めつつも「里子の言葉はファンタジーみたいな事かもしれないが、里親というものは本来は証拠の有無にかかわらず、疑いだけでもあってはいけないので委託は解除させて頂きます。」と言われ、次の日に電話で「あなたたちは性的虐待をしたんです」と決めつけられ、十分な調査もなく、わずか5日間(土日を含む)で委託解除となりました。
「疑われたらダメ」という人にどうやったら「ない」と信じてもらえたでしょうか。その挙句に、念のためで通告しただけの学校から「こんなことですぐ委託解除されるなんて、よっぽどのことがあったのだろう」と憶測をされ、どうしたらいいのかわかりません。あまりのことに、いろいろな人に相談したところ、「児相はおかしいんじゃないか。子どものことを本当に考えてるのか。訴えたほうがいい。」と言われました。
子どもは発達に遅れもあり、愛着障害もあり、山あり谷ありの日々でしたが、突然訳も分からず、私たちの家に帰ってくることができなくなって、どれだけ心細いだろうと思います。私たちが突然あの子を捨てたのだと理解しているかもしれません。そう思うと胸が張り裂けそうです。
口頭で「あなたたちは性的虐待をしたんです」と決めつけられた私たちですが、警察からは一切連絡もなく今も里親資格を維持しています。再委託を陳情していますが、コンタクトを取ることすら許してはもらえず、犯罪者として扱われ、また里親だから何も権利がないと言われ子どもの人生から突然排除されてしまいました。子どものことが心配で仕方ないのに、何もできず、何かをしようとすればするほど、私たちがいかに怪しい存在であるかを吹聴されてしまう状況が続いています。
どうか、子どもに私たちの思いが届き、再び安心を与えてあげたい。それだけを望む日々です。
特別養子縁組の失敗
私たちは40代半ばを過ぎた夫婦で、不妊治療を経て養子縁組に踏み出しました。民間団体は年齢制限で叶わなかったため、行政による特別養子縁組に希望を抱き里親登録をしました。登録から1年半が過ぎた頃、ある幼児の養親候補になりました。その子は発達の遅れなどにより、もらい手がなく幼児になってしまったと聞きました。しかし、初顔合わせでは、あまりの可愛さに「なんでみんなこんなに可愛い子を放っておいたの?」と思うほど、私たち夫婦はその子に一目惚れをしました。
数ヶ月の交流を経て、同居を開始しておよそ1年後、ある一度の失敗で里親委託は解除になりました。ある失敗とは、長期間のワンオペ育児に疲れてしまった私(里母)が、たまりかねて里子を引っ叩いてしまったことでした。
出張で遠方にいた夫に連絡し、里子のためにも私たち夫婦は問題に向き合うため、これまでに何でも話して信頼していた里親担当に助けを求めて連絡をしました。数週間前に面談した時には予測もできなかった、と里親担当は飛んで来ましたが、「再発防止を考えよう」の言葉に安心し、主人の帰りを待たずに一時保護を承諾してしまいました。しかし、親子別室で待機する中、里子が連れて行かれる足音を聞きながら、「見送りはできませんが大丈夫ですか?」と聞かれたので「もう最後なんですか?」と答えると「分かりません」と話が違うことに戸惑い、ショックのあまり何もできませんでした。
これまでの育児や生活を振り返りながら必死で向き合い、子ども担当からの連絡をひたすら待ちました。何週間か過ぎた頃、ようやく呼び出しがありましたが、あっさりと「今回の委託は解除になります」との宣言でした。
私たち夫婦は虐待癖がある訳でも指導を拒む態度もありません。懇願しましたが「決まりなので解除以外の前例を作る事はできない」の一点張りでした。そして「決まりだから」と里親資格もなくなりました。
過去のニュースや新聞記事を調べると、里親が不服を申し立てても却下されている現状しか見当たらず、里子にした事への自責の念からも、当時の私たちには泣き寝入りすることしか思いつきませんでした。今となっては里子との日常を取り戻すために、なぜ戦わなかったのかと後悔しています。
里子がまだ施設にいた頃、私たちとの交流の中で、集団でお散歩にいくルームメイトを横目に里父と手をつなぎ、意気揚々と自分のためだけのお散歩に出かける時の、あの自信に満ちた表情は忘れることができません。遅れのある幼児からの子育ては、不慣れでストレスや疲れもありました。しかし悲喜交々の生活は本当に幸せでした。
夫は顔を見ることもなく、私は何の言葉も交わさないまま里子と別れたきりです。里子はどうしているだろうか、自分は捨てられたと思っていないだろうかと里子を思わない日はありません。
杜撰なケースワークに振り回される子ども
2011年、2年半一緒に暮らしたAちゃんは4歳で連れていかれました。前年度の児童相談所の養育計画では「里親宅から家庭復帰」となっていたのに突然の家庭訪問で施設に移ると告げられました。理由は「実の親を成長させるため」「里親さんの所にいると親が甘えてしまう」「子どもを施設に入れれば、親が面会や行事参加を通して成長できる」と。
別れの3日前、Aちゃんにお別れを伝えました。「何で、もうあえないの~!」と泣き叫びました。 当日、Aちゃんは無言で児相職員に連れて行かれました。職員Zは「施設に移ることは子どものプライバシー。外部に言わないように」と言い「辛いでしょう。解ります。その辛い気持ちを児相はいつでも聞きますから、電話をください」と。私が気持ちを聞いてもらいたかったのは、児相の職員ではなく共に子育てをしたママ友でした。
Aちゃんとの別れの際、私は涙が出ませんでした。後からAちゃんを思って泣くことも無く、ただただ眠りました。なぜ、あんなに眠れたのか自分でも解りません。そんな日々が数ヶ月続きました。
我家にあるAちゃんの写真はどれも笑って、泣いて、怒って、いたずら三昧。実子たちにおんぶ・抱っこ・肩車。遊びに来た友達や元里子にも可愛がられました。誕生日は皆で手作りケーキでお祝い。クリスマスプレゼントの自転車で近所を走り回り、夫から 「レディースAちゃん」と呼ばれました。
「養育者として施設の担当者と話したい」と強く希望しアルバムを見せ、職員に託したところ「18歳で施設を出る時に本人に渡す」との言葉。家庭復帰のための措置変更ではなかったのか?児相は施設に違う説明をしていると不信感が強まりました。
引き離されてから2年後、Aちゃんの入所施設で児相の許可を得て面会しました。我が家に居た頃のはじけるようなエネルギーはなく無表情でした。「施設の中でも大人しい子」と職員。私達家族のことは覚えていないと。 児相職員Xに実親の状況を尋ねると「相変わらず。あはははは」 との返事。「親を成長させるための措置変更ではなかったのか?」と訊いても「親が変わらないから仕方がない」と言われました。親に対して指導プログラムは皆無、「経験ある職員が個別対応している」と。 職員 Zに「Aちゃんは親を成長させるために措置変更されたと説明されたが、知っていたか?」と訊ねました。「知らなかった。親の状況が改善されたと思っていた」との返事。その杜撰さに「ひどい。せめて面会や外泊で交流させて欲しい」と頼みました。けれど「実親との交流が進んでいるのでそちらを優先させたい。実親と里親との間で本人が混乱するから良くない」との返事、会うこともできません。 職員Zに抗議してから、私は初めてAちゃんのことを思い泣きました。涙が止まらず、自分が気持ちをこんなに抑えていたことに初めて気が付きました。別れてから3年近く経っていました。