図解般若十六善神図

般若十六善神とは

 十六善神は玄奘三蔵が天竺より持ち帰った大般若経を守護する護法神のことで、これを描いた般若十六善神図は古くから大般若会を勤修する時に、本尊として掛幅画として奉掛されてきました。今回法要において玄奘三蔵御頂骨の隣に本尊として奉掛するのは、真言宗智山派を代表する仏師 牧宥恵先生作の般若十六善神図です。

中央 釈迦三尊

 まず中央に鎮座するのは、釈迦牟尼如来、そして図向かって右下には普賢菩薩、左下には文殊菩薩が描かれております。この三体を通称「釈迦三尊」と言います。釈迦牟尼如来は言わずとしれた仏教の開祖であるお釈迦様ですが、大乗仏教の世界では覚りそのものである法身が、あえてこの世に人の姿として現れたお姿とします。例えば法華経などでは、入滅されたのもお釈迦様が我々を仏法に導くために敢えてそうされたのであり、本当は常住の存在で、未だ霊鷲山で法を説き続け、衆生を救い続けていると説きます。

 普賢菩薩は読んで字のごとく「あまねく、賢き者」という意味で、仏教における理想的な修行者を表す菩薩です。手には蓮茎を持ち、そして白象の上に鎮座しています。蓮華は汚泥に染まることなく、美しく清淨な水をたたえた華を咲かせます。これは修行に打ち込む心の純粋さ清淨さを意味し、我欲に染まらない大いなる慈悲心を象徴します。菩薩を乗せた白象には六本の牙があり、これは六波羅蜜と言い、布施、戒律、忍辱、精進、禅定、智慧という仏道修行において最も尊ばれる6つの徳を表します。またマーヤ夫人小さな白象が体内に入る夢を見てお釈迦様を宿したと言い伝わる通り、古代よりインドでは大変神聖視された動物であり、またお釈迦様が戦場で矢があたっても耐え忍ぶ象の姿から、修行者にとって重要な忍辱の徳を象徴しております。

 文殊菩薩は「空」、つまり般若の智慧を司る菩薩です。手には如意を取り獅子の上に鎮座しています。如意とは「自由自在」という意味であり、これは虚空が自由で隔たりなきことを意味し、獅子は百獣の王を表し、そこに乗ることで、「空」の智慧こそが全ての教えの中で最上のものであることを意味します。

右下 玄奘三蔵

 図の右下隅には経典の巻物を背負った玄奘三蔵が描かれております。日本では堺正章が孫悟空に扮した「西遊記」で夏目雅子が演じたことでお馴染みですが、「不東」の精神で求法の旅に出られ、幾多の困難を乗り越えて唐に大乗仏教経典をもたらした不傑出の僧であり、日本では奈良時代の南都六宗のうちで法相宗の祖と呼ばれております。今回、埼玉県蕨市 三学院においては、同寺所蔵の和尚の御頂骨を前に大般若法要を行いますので、どうぞ三蔵法師様への感謝と敬意の祈りを捧げて頂ければと存じます。

下 深沙大将

 図の左下には深沙大将が描かれてます。この神は玄奘三蔵がタクラマカン砂漠を横断中に危機を救ってくれた鬼神で、赤色、ドクロの首飾り、そして腹部には子供の顔が現れる姿で、非常に恐ろしい形相ですが、その本地は観音菩薩といわれ慈悲深く、砂漠の困難を救う神とされております。

周辺 十六善神等

 この図の主題になっている十六善神ですが、左右に8体づつ描かれておりますが、実はそれぞれの名前、役割などははっきりしておりません。十六善神については金剛智三蔵訳の「般若守護十六善神王形体」などに記されておりますが、その形相と現在の十六善神図には相違があり、どの像がどの尊であるかを判別するのが難しいです。

 また文殊、普賢両菩薩の奥側、文殊菩薩の左後ろには法涌菩薩(本図のように婆藪仙の場合もあります)、普賢菩薩の右後ろには常啼菩薩(功徳天の場合もあり)がおります。この両菩薩は共に般若経に説かれている説話に登場する菩薩で、常啼菩薩が法涌菩薩(経典によっては法上菩薩)のもとに身命を賭して般若の教えを求める旅にでるという内容で、それはまるで玄奘三蔵が求法の旅に出る姿と重なります。この説話で常啼菩薩は、法を求めて東に赴くのですが。玄奘三蔵は西に赴き「不東」を誓うという対比が非常に興味深いものです。

 以上を勘案すると、般若十六善神図では、向かって右側は、理想の修行者、求法者としての普賢菩薩常啼菩薩玄奘三蔵、そして左側は真如(般若)の象徴としての文殊菩薩、教授としての法涌菩薩、そして守護としての深沙大将という構成になっていると言えるでしょう。

 ちなみに婆藪仙と功徳天(吉祥天)という構成は、胎蔵曼荼羅の千手観音の眷属として登場します。