2025年5月17日, 東京科学大学(旧:東京工業大学)のディジタル多目的ホールにて「映画『マルグリットの定理』を語る ー 公開シンポジウム+上映会」が開催された. 私(横山)はこの世話人の一人を務めるとともに, 本作の日本語字幕を作成した(監修ではなく本当に一から全部書き, 本編映像への焼き付けも一人で行った). これに加えて, 公開シンポジウムにて最初の講演を担当した. 標題はそのときのタイトルである. 数学者として, そして大の映画ファンとして【数学×映画】という企画に携われたことに心から感謝している. ここではこの企画が実現した経緯について書いてみることにする.
まずそもそもの映画 マルグリットの定理(原題:Le théorème de Marguerite)について書く. 本作は2023年に公開されたフランス・スイス映画である. タイトルからも分かる通り, この映画の主人公は数学者である. 正確にはエコール・ノルマル・シュペリエール(フランス国内でも最高峰の研究所:日本だと京都大学の数理解析研究所(RIMS)のようなところ?)の博士課程最終年度の女子学生(マルグリット・ホフマン)がメインキャラクターとなっている. 彼女はこの学年唯一の女性であり, 加えて数学的才能が極めて高いために周囲から疎まれ, からかわれるなど肩身の狭い日々を過ごしていた. そんな中, 師事するローラン・ヴェルネール教授から「オックスフォードから同じく博士課程の学生を受け入れた」と聞かされる. 彼(ルーカス・サヴェリ)はマルグリットとは対照的に社交的な人物であったが, 翌週のマルグリットの公開セミナーで本質的な誤りを指摘し, それを受けたマルグリットは自信を喪失, そこからどういったパーソナルなドラマが展開されるのか・・・, というのが冒頭のプロットである. 一人の研究者として, このシーンはあまりにも観ていて辛いシーンである.
ところで, 本作を務めたアンナ・ノヴィヨン監督は女性である. そしてここ数年, フランス映画における女性監督の進出のスピードは目覚ましいものがある. とくに「他人からどう見られているのか」を「極めて主観的に描く」というジャンルの女性監督映画の注目度は加速度的に上がっていると感じる. 本作「マルグリットの定理」には PG/R(映倫の年齢制限)に相当する直接的な描写はないと思われるが, むしろこれは少数派である(追記:米国の審査団体 MPA のレーティングでは PG-13, つまり13歳未満の鑑賞に際しては保護者の助言を強く推奨する, となっているが, 日本のレーティング PG12 相当に比べるとだいぶ厳しい:例えばスタジオジブリの宮崎駿監督作品「もののけ姫」「君たちはどう生きるか」は PG-13 で公開されている). 事実, 同じく女性監督であるジュリア・デュクルノー作品「TITANE/チタン」は2021年のカンヌ国際映画祭のパルム・ドール(最高賞)を受賞しているが, 芸術的な作品というよりはボディ・ホラー(身体的な偏狂性をテーマにした作品)である. これに追従するように, 2024年公開の(日本ではこのイベントが開催される前日:2025年5月16日に日本公開が叶った)作品「サブスタンス」も女性のコラリー・ファルジャ監督作品であり, ルッキズム批判の究極系を見るボディ・ホラーである. 通常, こういった作品は米国アカデミー賞と相性が悪いのだが, 番狂せのように5部門ノミネート・1部門で受賞(メイクアップ&ヘアスタイリング賞)を獲得する異例の事態となった. なお同作はカンヌ国際映画祭で脚本賞を, そして主演のデミ・ムーアにゴールデン・グローブ主演女優賞をもたらす快挙を達成している. なお私はすでにアメリカの Amazon.com から Blu-ray を取り寄せて鑑賞済みであり, 当日の講演でも少しだけこの背景に触れた. ちなみにアンナ・ノヴィヨン監督は長編4作目、ジュリア・デュクルノー監督とコラリー・ファルジャ監督は長編2作目である(そして後者2名の監督作はどちらも映倫から R15+ 指定を受けている). また「マルグリットの定理」において主演を務めた(マルグリット役の)エラ・ルンプフは, 2024年のセザール賞(フランスにおいて, いわゆるアカデミー賞に相当するもの)の主演女優賞を受賞する快挙を成し遂げている.
もう少しだけ補足する. いわゆる「世界3大国際映画祭」というものを耳にした方は多いと思う. これは「カンヌ国際映画祭」「ベルリン国際映画祭」「ヴェネチア国際映画祭」のことをさす. このうちフランスで開催されるものがカンヌである. 日本に住む我々にとっては, むしろ残りの2つの方が知名度が高いのかもしれない. 北野武監督・黒沢清監督が頻繁に出品しているのが後者2つの映画祭である. ただ近年, 是枝裕和監督が「万引き家族」(英題:Shoplifters)でカンヌのパルム・ドールを受賞しているので, 最近はカンヌと日本の距離は縮まってきているのかもしれない. これはあくまでも個人的な感想であるが, 3つの映画祭の中で一番過激な演出を許容しているのがカンヌであると感じる. つまり, カンヌ国際映画祭出品作品というだけで映倫のレーディング審査を受ける(ひっかかる)可能性がだいぶん増すというのが本音である.
そろそろ本題に入ろう. この上映会が実現したきっかけとなったのは, 2024年4月に京都で実施された本作の映画上映会+シンポジウムである. このイベントを主導したのは京都大学(正確には上に書いた RIMS)の数学者 Benjamin Collas さん であり, 同じく京都大学(RIMS)の玉川安騎男さんとのトークイベントも設けられた. これはアンスティチュ・フランセの取り組みのひとつとして実施されたものであり, その告知ページは ここ から見ることができる.
このイベントに参加されていた方の中に, 私の指導教員であった田口雄一郎先生(東京科学大学)がおられたのだが, 田口先生は日本数学会刊行の「数学通信」の編集長も務めておられたので, 通常「書評」が掲載されるページに「映画評」を出してはどうかという企画が立ち上がった. 原文は Collas さんが書き, それを田口先生が日本語に訳して掲載するということであったが, これにあたって映画に詳しい人からのアドバイスが必要ということで, 私に白羽の矢がたったというわけである. その全文は ここ から読むことができる(この記事のタイトルはここから引いている). 田口先生らしい, 格調高くかつ文豪のような語り口がとても素敵な記事である. なお私と同じく謝辞に登場する三橋夏子さんは, 以前映画の字幕翻訳に携わった経験があるとのことで, 関係者試写の際にたくさんの有益なアドバイスを下さった. この場を借りて感謝を申し上げたい.
その半年後, 2024年9月のことである. ちょうど私が毎年恒例の大阪教育大学での集中講義のため出張していたとき, 田口先生から「東京でも上映会をしてみるのはどうか」という話があった. 私はもちろん大賛成だったのだが, ひとつ重要な課題が「日本語字幕をどうするか」というものであった. 実は4月の上映会では, 配給会社からの英語字幕に加えて, 映画字幕にやや特化した生成 AI ソフトウェアを使って日本語字幕を出していたとのことであった. 実際に見てみたところ, はっきり言って「これはまずい」という感想であった. フォローをするわけではないが, 数年前に比べればそのクオリティは拡大に向上しており, なんとなく「言わんとしていることはわかる」のだが(これでもだいぶすごいとは思う), 映画の字幕というのはそれぞれ数秒の刹那の勝負であり, これが商業映画だとすると訴訟ものであった. それでも日本語字幕をなんとか用意しようと尽力された Collas さんは本当に素晴らしい仕事をされたと思っている. とはいえ, この字幕の問題をどうするか, と田口先生に打診されたとき, 私は何を血迷ったのか「冒頭10分くらいを作ってみるのでそれで判断してみてはどうか」という自殺行為に出た. 冒頭10分, と簡単に書いたが, これだけで字幕は 139 カットある(そして上映時間は1時間53分である). しかし言ってしまったものは仕方がないのでひとまず2,3日やってみたところ, 映画ファンとしての血が騒ぎはじめ, 4日後に「ひとまず全部作ってみます」と宣言をした. 全 937 カット+配給会社にない追加の必要なカットが 137, 合計 1,074 カットをすべてひとりで書き切るまでに4ヶ月半を要した. 当たり前であるが, これは通常の研究・講義等の合間でやっていたのと, ドラフト自体は2,3週間で完成はしたがその後の修正を30回くらいやったので, 最終的にこのくらいの時間がかかったのである.
ちょっと例を挙げてみよう. 例えば以下の字幕を皆さんならどう訳すだろうか?
"You won't disappoint me. I'm not worried."
これは冒頭, 指導教員であるヴェルネールが主人公のマルグリットに発言するセリフである. おそらくこれだけ抜くと意味不明だと思うが, これを生成 AI に訳させると
"私をがっかりさせないでください. 心配していません."
となる. 意味は合っているのだが, これを例えば
"私を落胆させるな. まあ大丈夫とは思うが."
にするとどうだろうか. ヴェルネールの人間味や性格を字幕でほんの少し強調できる言い回しにならないだろうか.
せっかくなのでもう一つ例を挙げてみよう.
"We're not machines, dumbly following a protocol that's <skewed>."
これは前半に登場するノアというルームメイトとの出会いの場面である. 数学をリタイアし仕事を探していたマルグリットが面接にてスタッフに言い詰められている際に助け舟を出したノアのセリフである. これを生成 AI は
"私たちは機械ではありません. <歪んだ> プロトコルを愚かに従うわけではありません."
と訳したが, おそらくこれをすんなり解釈できる人は少ないのではないだろうか. そこで
"私たちは機械じゃない. <偏った> 結果を鵜呑みにするのは間違ってる."
とすれば, もう少し自然に聞こえるのではないかと思う(ちなみに "skew" は数学用語でもある:代数において「斜体」を英語では "skew field" とよぶ). これ以外にも「これは個人的に名訳だと思う!」というカットがたくさんあるのだが, それらは大抵この映画の後半であり, ネタバレに直結するので, ぜひとも本編をご覧いただければと思っている.
会場の東京科学大学・ディジタル多目的ホールは 287 名収容の大変立派な会場であり, これまで2度(+おまけの1度は知り合いだけのラフなものだがこれが最初)の関係者試写を経てついに本上映が実現した. 私が映画に関する(本作を取り巻く現状を踏まえた)話と字幕制作秘話を, 関真一朗さん(長浜バイオ大学)が劇中に登場する数学に関する(本格)爆笑トークを, そして伊藤由佳理さん(東京大学 IPMU)が数学者になること・女性として学者を目指すことに関する素晴らしい講演を行い, その後上映会となった. 当日は生憎の雨模様であったが, 終映直後, 200名弱の観客からの万雷の拍手を受けたとき, 全てが報われた気がした. 実は本編にも似たシーンがあり, そしてこのときには雨が上がっており, 美しい夕日が会場に差し込んでいた. まるで奇跡のような瞬間であった.
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