田村神社
田村神社
たむらじんじゃ
長浜市田村町733
かつて天王宮と称したが、明治維新以降現在の社名となった。本殿は常喜の寺社大工宮部太平(太兵衛)がかかわったとされ、寛政年間(1789-1801)に建立されたものである。雨乞いのときは鯉が池とともに太鼓を打ち鳴らして参られ、雨が降ると竹骨製の張子の鯉をつくり、返礼踊りをしたと伝えられる。(長浜市史7 254頁)
田村山は豊公園などとともに昭和十三年(1938)に長浜市域で最初にいち早く風致地区に指定された。田村山北西麓まで続く参道は、忍海神社の豊かな緑の空間をよく残している。
忍海神社の参道から田村山への登り口を登ると、東側の山頂付近に小さな窪地がある。ここは昔、池であったといわれており、雨ごいに関する伝承が残っている。
昔、この池には金色の鯉が住み、雨ごいの願いを聞いてくれると信じられていた。この池にまつわる伝承は種々がるが、享保十九年(1734)に書かれた「近江輿地志略」には、池から飛び出した鯉が岩に尾を打ちつけるうちに竜に姿を変えて天に昇ったという記述がある。
他の伝承によると、池の主である鯉が稚児の姿になって村里に住む美しい娘のところへ通うようになり、互いに思いをかよわせる。この稚児の住処を知ろうとした娘の母親が、ある日一計を案じ、娘の繰る糸に釣り針をつけて稚児の袴に引っ掛けて後をたどると、この池にたどり着き、背びれに針が刺さって死んでいる鯉をみつける。その後床に伏せってしまった母親の夢枕に稚児が現れ、後日行いを悔いた母親が池にお詫びに行くと、激しい雷雨になり、鯉は竜の姿に変わって天に昇ったと言われている。(長浜市史7 253頁)