山岳部小史 

森川会長(当時) 2013年3月 図書贈呈式の講演  

六甲中学山岳部は昭和 14年9月,第 2 次大戦勃発の最中、誕生しました。生 みの親は初代校長の武宮隼人先生で六甲の部生活は山岳部から始まりました.。 私にとって非常に思い出深い部であったと語られています。部生活が生まれる なら、まず、山岳部が生まれる事を武宮校長は望んでおられました。滞欧中に 山と出会わられ、オーストリア、イタリヤ、スイス、ドイツの山々に登られ山 の良さを感じとられていました。

部の創設以来、戦争中、戦後を通じて山岳部とその活動に対して深い理解と激 励、援助とアドバイスを惜しみなく続けてくださったのは武宮校長でありまし た。

初代の部長はドイツ人のハンス・シュトルテ先生で日本にこられる前はドイツ でユーゲントべウエーグング(青年運動)に参加しておられました。また、ヨ ーロッパアルプスを登られておられたので登山技術を多少持っておられました。 昭和 14 年9月9日、希望者20名を連れてそま谷から天狗塚〜学校まで歩かれ ました。これがきっかけで山岳部が誕生しました。シュトルテ先生が目指した のはドイツのワンダーフオゲルとボーイスカウトの混合で、ワンゲルの情操と スカウトの実用技術を目的とするグループでありました。シユトルテ先生はテ ント生活は自信がありましたが、沢登り、岩登りなどの知識、経験があまりな く、随分苦労されたようです。年が新しくなり若林先生が赴任されました。先 生は一高、東大の山岳部出身で、専門的な基礎訓練のありかたを教えください ました。道場岩や雪彦山で本格的ロッククライミングを始めました。そして昭 和17年に第1回の北アルプス遠征が実現しました。戦争が激しくなり山岳部 は休眠状態となりました。戦後の昭和20年、山岳部は再建されました。山岳 部の創立記念日の9月9日、わずか5名の部員が集まり、戦後1ケ月もたたな いうちに山岳部は活動を始めました。部の部報「たきび」が第2次世界大戦中 の 1943 年に発行されました。「たきび」の熱と光を中心として強く団結し「良 き山ノ男」を錬成するという決意を込めて「たきび」と命名されました。当初 は紙不足に悩まされ、試験用紙などの裏紙を使い、ガリ版刷りで36号から活 字印刷となり写真も掲載されるようになりました。「たきび」も34期生高3の 1976 年まで45号まで発行されました。今回、この「たきび」を全部寄贈しま す。これを読んでいただくと山岳部のことが良くわかると思います。 昭和 23 年4月、山岳部は新しい時代に突入しました。即ち、部の存在を固める時 期は終わり、北アルプス、八ケ岳、大台ケ原、鈴鹿、多紀といった新天地開拓の 時代であります。そして、冬山登山も開始されました。しかも世は日本隊のマ ナスル登攀以来登山ブームが巻き起こっていました。

昭和28年、1期生の阪上秀太郎先生が六甲に赴任されました。先生は早稲田大学山岳部の OB で、それまで部長を務められた三好先生と交代され、それ以 後 23 年間、部長を務められました。部の創立15周年の昭和29年には OB の 数も50名近くになっていました。9 月12日、山岳部の創立者シュトルテ先生 を迎えて OB 会の発会式を阪急六甲近くの喫茶店で行なわれています。六甲学 院山岳会は規約の第二条に①会員相互の親睦②会員による登山③後輩への技術 的・経済的援助をうたっています。OB 達ちは六甲を卒業後大学山岳部に入部し ヒマラヤ、アラスカ、南米、二ュギニアなどに前駆的登山を敢行して活躍され ました。世界の未踏峰の初登攀をやった者も4人います。我が国登山界に残し た足跡は大きいものがあります。

世界各地で OB 達による登山が相次いだ昭和43年(1968年)12月から 44 年3月まで、六甲学院創立 30 周年記念事業として、1期の阪上先生、17 期の井川、松永、22期の岩田、23期の前川により南米のパタゴニア遠征を 計画し、実行されました、そして成功しました。南米パタゴニアの南緯 19 度か ら 50 度付近の東西 100 キロにわたる氷床横断に成功。日本隊として初めての快 挙でありました、六甲学院山岳会の名を山岳界に高めました。その功績により 山溪登攀賞、読売新聞スポーツ賞を受賞しました。また、阪上先生を始め隊員 が兵庫県優秀選手賞を受賞しました。後ほどその時の DVD を上映します。この 時こそ、まさに六甲山岳部30数年の歴史で最つとも輝かしい時期でありまし た。山岳部はあらゆる困難の中で技術面においても、活動内容においても山岳 部として最高のレベルを保ち続けていました。山岳部は学校教育に大きな貢献 をしてきたといえます。

ただ、昭和52年、2月、34期生をもって山岳部は閉部されることになりま した。部長の阪上先生の体力の衰えが原因であります。と同時に後任が見つか らなかった。ことも一因で、阪上先生は後継者養成の失敗だといっておられま した。

我が山岳部は昭和 14 年以来37年余りの、その栄光ある歴史を閉じることにな りました。以上が山岳部の誕生から廃部までの歴史であります。 最後に我々OB としては山岳部の復活を希望しています。

現在、OB 会は1期から34期まで239名の会員が在席しています。 現在、兵庫県内の高校には山岳部が33校、401名の部員がおり、活躍して います。

最後に、この度は佐久間教頭、石崎先生にお骨折りいただき感謝いたします。 ご静聴ありがとうございました。