組織概要
学生保険委員会は、組合員の中から公募され、信任された最大40名の学生保険委員によって構 成される学生健康保険互助組合の執行機関です。学生保険委員会は組合の企画・管理・運営にあたり、予算などの 重要案件を協議する、などの重要な役割を担います。また、学生健保の運営に関する問題を組合員・ モニターを通して集約し、必要な場合にはその改善について理事会に提案し、話し合います。こ のように、学生保険委員会は組合員たる学生の総意を代表した執行機関として、組合員の利益を図るため に活動しています。
・学生健保設立のきっかけ
学生健保は1943年に九州大学で設立されたものが、始まりだと言われています。しかし、当時の学生健保は任意加入であり保障内容も現在のものと比べて整備されているものとは言えませんでした。また、私立大学では設立に後ろ向きでもありました。このような状況に対し、学生側では大学単位に各自治会がこの問題を取り上げ、学生健保設立のために立ち上がりました。1955年には同志社大学が私立大学初の学生健保を設立しました。1959年には慶応義塾大学が後に続き、僅か6か月の準備期間で設立させました。
本学における学生健保設立運動は1958年に始まり、同志社大学での成功を視察した本学級委員会執行部は学生健保の意義を認めました。1959年には経済的事情により医療を受けることができずに下宿先で立教生が病死する不幸な出来事がありました。こうした出来事や診療所の保健費(健康診断等の費用)の値上げなどがきっかけとなり運動が本格的に始動しました。1960年の日米安保条約改正に対する反対運動による中断もありましたが、1961年の学生大会での決議、当局の交渉を経て1962年10月1日に学生健康保険組合が正式に発足しました。
参考:「立教大学 学生健康保険互助組合設立50周年記念誌」(2013年発行)
献血運動の会は学生保険委員会の外郭団体です。主な活動は、日本赤十字社 に献血車で学内献血会を実施し 立 教生に直接、献血を呼びかけ協力してもらうことによって、献血に対する意識を高めることです。
・献血運動の会 設立の動機
日本の血液事業は、戦後の日本の特殊事情、さらには、政府の関係当局が血液事業に関するビジョンを全く持ちあわせ ていなかったことにより、商業血液銀行の営む売血によって暗いスタートをきらねばなりませんでした。血液に対する一般 国民の認識がまだまだ浅かった1963年には、全保存血液中、日本赤十字社の行う献血は僅かにすぎず、9割以上が売血 によって占められていました。売血する人々は貧困者が多く、必然的に常習売血者を生み、売血血液の輸血による肝炎など の社会問題を引き起こしました。 こうした中で立教大学では「きれいな血液による輸血」の必要性が叫ばれ、献血運動が展開され始め、その趣旨が 学生健保のそれと一致するところが大となったため、1964年11月、立教大学学生保険委員会の外郭団体として献血委員会(当時)が発足しました。当会は「学生の健康を守る」と同時に「万人がその正当なる社会的権利を全う し得る真の社会保障制度の実現」を目指して活動を続けています。
保健友の会は学生保険委員会に続いて1963年に設立された学生健保の外郭団体です。「保健友之会誌」の発行などの活動を行っていました。しかし、1972年から活動休止状態となり1991年に正式に解散となりました。
医療費給付制度について
学生健康保険互助組合では、医療保険では給付されない自己負担分(30%)について、学生健保が定める基準に従って実費金額を給付する制度です。詳しくは「学生健保のしおり」を参照してください。
シンボルマーク
このシンボルマークは学生保険委員会と献血運動の会の認知度の向上と両組織の統合、アイデンティティの確立を 示すために制作されました。四分割されたエスカッシャン(ロゴマークの盾の部分)には、左上から時 計回りに医療や健康の象徴である「アスクレピオスの杖」、歯科検診を示す歯ブラシ、立教大学の組織 であること示すユリのマーク、献血を示す輸血パックが描かれており両会の仕事内容を表しています。 また、紋章下部のスクロール(リボンのようなもの)には、学生保険委員会と献血運動の会の英略である「SICO」「BDAA」が記されています。
使用方法
基本的な使用上のルールを下記「デザインガイド」にまとめました。
本デザインガイドにて規定されているシンボル、ロゴタイプ等の著作権は学生保険委員会・献血運動の会に帰属しており、無断で使用することは禁じられています。
シンボル等を使用して各種アイテムを制作する場合は委員(会員)を除き、事前の申請が必要です。