これまでに発表させていただいた論文についての補足情報について、また、執筆の経緯や感慨を主観的に記す、独りよがりなページです。
詳しい内容はぜひ論文の原文をお読みください。
遠藤理一, 2025, 占領期日本における未遂の「観光立国」構想--日本国内における観光政策の議論・実践から
観光研究 37(1) 23-33
・日本観光研究学会の学会誌『観光研究』に載せていただいた論文。
・占領期、とくに1947-49年ごろに「観光立国」を提唱する動きがあった。その論旨を4つのポイント(外貨獲得、平和国家、空襲被害の少なさ、米国の旅行ブーム)にまとめ、背景、議論の内容、国会内部でのリアクション、関連する地方都市の観光事業(京都と広島)、政策への結実、帰結を論じた論文。当時の政府の観光事業の流れについては、記載がある政府資料・社史もあるにはあるが、本論文は、少なくとも紙幅的に、当時の動きについてかなりたくさん書くことができた。これ以上詳細に、というのは、現状手に入る資料では難しいかもしれない。そうした実証的な詳しさが個人的に好きな論文。
・当時の観光事業のニュアンスをつかむことができたのには、国会会議録の検索システムがとても便利だった(しかも無料で、どこからでもアクセスできる!)おかげが大きい。https://kokkai.ndl.go.jp/#/ 国会議事録(帝国議会も)は抄録ではなく、発言がそのまま文字起こしされている。国会の場とはいえ、ある法案の可否をめぐるせめぎ合いや、否決の理由なども含まれているので、状況を詳細に把握できる。そこで話されている具体例などが他の資料の補足になることもある。という、メディアとしての優秀性の高さのおかげで、当時の観光政策の流れや気運のようなものをつかむことができた。
・もともと修論でも博論でも取り上げてはいた内容。2022年、東海大学の小澤考人先生に「観光と外交共同研究会」にお誘いいただいた。そのテーマであればと、博論のその部分を抜粋しつつ、少し追加で調査したり再構成を行い、2度発表させていただいた(BTW, その際に、万博は意外と時代や開催国の状況によって特徴や勢いが違うとわかり、とても面白かった)。その場の一つが観光研究学会のテーマセッションだったこともあり、さらに追加調査・再構成をしつつ『観光研究』に投稿してみようと考えた。
・執筆自体は、自分にしてはとても早く、2週間くらいで投稿に至った気がする。そもそも修論でも博論でも取り上げ、学会・研究会の発表にもしていたので、主な作業は再編集だった。なので当たり前かもしれないが。
・ただし形式面ではふだんのスタイルとはまた違う形式だったため、調整にかなり苦労した。そのうちの一つ。例えば、参考文献を脚注として書くので、参考文献と脚注が混在するかたちになる。また、すでに引用した文献を再び引用する場合、著者名などではなくて最初に引用したときの脚注の番号で示すことになる。そして、自分は脚注番号をアナログで、つまり一つ一つ文字を右上に表示させる操作をしてつけていた。そうすると、脚注を一つ追加あるいは削除するたび、すべての脚注番号と、脚注の中の再引用の脚注番号を修正することになる。再引用されている資料の脚注を削除したりすると、その後の脚注と脚注中脚注とが、二重にずれたりもする。途中で大変さに気がついたが、いまさらオートの脚注に変えることも難しく(自分の技量では、オートでの調整も微妙に難しかった)、大量の手作業が生じることとなった。
・あと、段組みなども慣れていなかったので、途中から2段になるなど、設定に少してこずった。こうした形式面の調整だけで丸2日間、夜中まで作業したような気がする(肩が凝りまくっていたので、完成したらスーパー銭湯に行こうと思っていたら、両日とも夜中までかかってしまい行けなかったような)。もう少しワードの操作が上手ければ、もっと合理的な方法があったかもしれない。
・査読ではそこまで深刻な指摘はいただかなかったものの、当時の国内の観光行政に関する文献レビューの足りなさを指摘いただき、修正過程で、論文の位置付けを明確化することができてとても助かった。
・自分としては珍しく、理論をほとんど使わずに歴史の記述に注力した論文。理論を使うとぴったりくる資料の切れ味が増すけれど、使える資料の幅は狭くなっていくような感じがする。占領期の観光という、欠けている部分の多い領域についての研究として、資料をできるだけそのまま使って、編集して、公開するような成果発表のあり方も必要であるに違いなく、そうした形で当時の状況を公開することができたのがよかった。
・今後もこういった実証的な成果発信も必要だと感じつつ、ネットワーク的に自分はあまりそういった場に位置しておらず、また自分が自然に向く方向自体も少し違っており、難しさも感じている。とりあえずは資料の整理からこつこつ始めたい(それも、学生にアルバイトでお願いしているというのが実態だが・・・)
遠藤理一, 2025, 進駐を飼いならす--敗戦後京都における観光と「移動的な社会の秩序化」
戦争社会学研究 9 53-68
・敗戦直後の時期の京都市における、米軍進駐に際する観光事業と観光表象(新聞での「観光客としての米軍将兵」「観光地での京都」描写)を論じたもの。それを通じて、当時の観光がいかに混乱した社会を秩序化する意味合いをもっていたのかを論じた。
・観光は日常から一時的に逸脱するものと捉えられてきた。また、移動に着目するモビリティ論において、観光は社会を流動化させる、あるいは社会の流動化の証拠であるさまざまな移動の横並び的な一種として取り上げられてきた。しかし観光は移動でありながらも、社会に一定の秩序を形成するものだということを指摘しようとした論文。
・脱線:現代においても観光は、地域に混乱を生むものと表象されがちである。もちろん地域の人がそう感じるということを過小評価すべきではないと思われる。また、観光地をカオスな場所、観光客を迷惑な人々であるかのように描くメディアについても、その表象を非難するだけでなく、その背景や意図、表象の性質を考え、そうしたメディア表象の社会的意味を考えてみることは意味があると思われる。しかし他方で観光=混乱、逸脱、迷惑というフレームを受け入れてしまっては、今度は観光の性質が見えなくなってしまう。そのように見えなくなりがちな観光の性質の核が、観光の「秩序化」という性質ではないかと考えている。
・事例の調査:修士のときに全国紙のデータベースで調査し、博士のときに京都新聞や郷土資料を調査していた。この2年ほどで、それらを補足する細かい資料を集めていた。
・和歌山大に異動した2023年度から2025年度にいたるまで、研究会・学会発表の機会をいただいた際には、この事例を絡めて発表させていただくことが多かった気がする。英語でも2度ほど発表した。2024年度のはじめの戦争社会学研究会の年次大会にご招待いただき、そこで本格的に詰め込んだ発表をさせていただき、その後、特集論文として投稿させていただいたかたち。学会発表の際に、事例を紹介してその意味を考えるという、少し謎解きチックな構成にしており、それをベースに論文化したので、論文の構成もそのような感じになっている。
・かなり学会発表してきたので、事例の解釈や論文全体の主張を固めてから書いた論文という感じがある。なので執筆期間も(具体的には覚えていないが)短かった。しかし、デラをあげていただくと文章がアレだったが、校正期間が年度初めで、その時気持ち的に少し忙しく、校正の時間を全然とれなかった。