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A. どの歌手の演奏を聞いたのかによりますが、しっかり計算して準備している歌手であれば、全員同じ歌い方になることはありません。
もし全員同じに聞こえる場合は、単純に 演奏者の勉強不足 か 聞き手の耳が未熟 である可能性が高いです。
オペラではまず、音節分けや正しいアクセント を理解し、1行の文章の中でどの言葉を強調するかを決めます。
さらに、感情表現をどうするか決めて、実際にやってみます。
例)
•恐怖を表現するなら少し息を入れて緊張感を出す
•どれくらいの速さで息を吐くか?
•驚きや怒りを表現するなら力強く歌う
加えて、1フレーズを息切れせずに最後まで歌い切るペース配分 を考えます。
歌っている間はポジションをキープしながら、音色を統一しつつ声を前方に届ける意識を持ち、次の音程も頭の中で計算しながら歌います。
そのためには、骨盤底筋群や体幹を使い、横隔膜をフルに動かして筋肉で支えることが不可欠です。
筋肉で支えられないと、声帯に負担がかかってしまいます。
つまり、歌い始めから終わりまで、気を抜く瞬間は1回もありません。
これを何度も練り込み、繰り返し練習した成果が、オペラ特有の熟練の魅力や個性となります。
それは単に「勉強不足」だと思います。
というのも、オペラそのものが、そもそも“邪道の出発点”だからです。
オペラはいつの時代も、既存の音楽に反発して生まれた新しい表現の形でした。
初期の作曲家たちは伝統を破って試行錯誤を重ね、そのたびに周囲から激しく批判されてきた。
つまり、オペラというジャンル自体が、常に挑戦と反発の歴史の上に成り立っているんです。
むしろ、当時の音楽家たちは今で言えばジャズやロックのミュージシャンに近い存在だったと思います。
だから「正統」「邪道」といった二元論自体が、そもそもクラシックの本質とズレている。
ただ、そういう“見下し発言”をする人の気持ちも、少しは理解できます。
声楽って、本当に苦しい修行期間が長いんです。
最初の1〜3年なんて、まったく楽しくない。
先生には怒られ、何度もやり直しさせられ、泣いても許してもらえない。
それを乗り越えて、やっと自分の声と表現に納得できるようになる。
そういう人たちは、ある意味で「本当の意味で音楽を愛せるようになった人」でもあります。
でもその苦労が長すぎるせいか、自尊心を守るために他ジャンルを下に見るようになってしまうことがあるんだと思います。
だから、気持ちはわからなくもないけれど、共感はしません。
見下すのではなく、違う背景の音楽として尊重すべきだと思っています。
A. どちらも音楽を使った舞台芸術ですが、特徴には少し違いがあります。
オペラは何百年も受け継がれてきた伝統芸術で、今日では過去の名作を「現代演出」として上演し、リピート客を狙った集客も行われています(※賛否両論あり)。
一方、ミュージカルの歴史は比較的浅いですが、これまでになかった新しい表現や技術を取り入れながら、常に進化し続けています。
ジャンルは違いますが、どちらも挑戦と学びを重ねていく音楽の世界である点は同じです。
A. 子どもの頃は好きでしたが、今はあまり好きではありません。あくまで音楽表現の一環としての手段であって、好きになるというよりは必要なことだと捉えています。
ただ、二期会オペラ研修所マスタークラスでは、他の方が演技のパートをカットされた中で、運よく追加していただきました。
どうやら、器用だと評価されたようです。
まあ、器用だと評価されても、それがすぐにお客様の感動に直結するわけではないので、今は表現力を磨くことを大事にしています。
A. 古い楽譜や資料が「正統」として存在しても、当時の作曲家本人に確認できる現代人はいないため、完全に再現することは不可能です。しかし、楽譜には音符やフレーズ、強弱など、資料にも様々なヒントが残されており、それを分析することで「大体この辺が正解ゾーン」と言える範囲を導き出すことは可能です。
つまり、絶対の正解はないけれど、根拠に基づいた演奏や解釈の最適なゾーンは存在する、ということです。
演奏者は、楽譜や資料のヒントを最大限活かしつつ、自分の解釈を加えることで、当時の作曲家の意図に近い形を現代で体現することができるわけです。
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