録音位置オフセット設定に関して

 以前から『この事を御存知ない方もいるんじゃないかな』と思っていた事柄を書きます。

 現代の音楽家の方々なら皆さん知っておいた方が良いかと思われる事柄ですので、デジタルオーディオ機材を使わない方も、是非ご一読いただければと思います。


 内容は、録音によって記録される「演奏の位置」に関してです。よく話題になる「レイテンシー」とは、もちろん関係はあるのですが、一応、別の事柄・・関係はあるが留意する点が異なる問題、と思って読んでください。


 楽器の演奏や歌を録音する際には、多くの場合、ヘッドフォンでガイドとなる伴奏やクリック(メトロノーム)を聴きながら、感じ取ったグルーブに従って(適切なタイミングを見計らって)音を出したり、声を出します。

 そして、それが記録されます。

 あなたは、自分が音を出した、歌った、そのタイミングが正しく記録されている事を信じているでしょうし、そんなのは当たり前すぎて疑った事すらないでしょう。


 でも、正しく記録されていない場合が、実は結構あるのではないか?と、私は以前から思っています。


 『ちゃんと歌ったはずなのに、ジャストで演奏しているはずなのに、プレイバックを聞くとわずかに遅れている(あるいは走っている)ように聞こえる・・。これは自分のリズム感が悪いんじゃなくて、他に原因があるんじゃないだろうか・・(でもスタジオの人に気兼ねして言えなかった・・)。後で波形の位置を整えたらしいが、なんか納得いかない・・』


 それは多くの場合、録音に使用されるソフトで以下のように呼ばれる設定項目が、正しく設定されていないのが原因、と考えられます。


・Cubase:録音開始ポジションオフセット

・Logic Pro X:レコーディングディレイ

・Studio One:録音オフセット

*Pro Tools では、現在はどう表記されているか知りませんが、これに相当する設定項目があると思います


 DAWソフトとオーディオインターフェイスの設定、モニター用システムのルーティングなどによっては、この設定値を初期状態の「0 sample」にしたままで、全く問題ない場合もあります。いや多くの場合はそうであると思います。しかし、私が使用している環境では、ソフトによって、その時使用しているプラグインによって、毎回、ある方法で測定をして、この値を正しく設定しなければなりません。


 どのように測定して設定値を得るか、ご説明します。


*以下の説明は全て、次のような仮定の基での説明です

[演奏者がモニターしている自身の発する音には、ダイレクトモニタリング機能や、録音とは別系統の信号経路を用いるなどの方法により、遅延は発生していないものと仮定]


 例えば、ヘッドフォンから聞こえるスネアドラムの音と、完全に同じタイミングで楽器を弾いて、それを録音した時、録音後にトラック上に配置される波形の先頭は、スネアドラムの波形の先頭と一致しているはずですが、この時、トラック上に配置される「録音された音」の位置に、様々な要因で誤差が生じる事が起こりうるので、前述の設定項目が用意されています。

 仮に44.1kHzのサンプルレートでの録音で、50サンプル後ろにずれて配置されるなら、それは約1.13ミリ秒の誤差です。この程度なら無視しても問題ないと言っていいでしょう。(アコースティックギターのボディと自分の耳が34センチメートル離れている時、自分が聞いている音は既に1ミリ秒遅れているのです。1ミリ秒とはそういう時間の長さです)

 この程度は問題ない・・とはいえ、それでも正確に設定するなら、設定値を「マイナス50サンプル」にします。

 しかし、測定の度に、本当に完全に同じタイミングで演奏する事は、どんなに正確なリズム感を持った人でも困難ですから、私は次の図のような接続をして測定しています。

 前述の例で、演奏する人がスネアドラムの音と同じタイミングで音を出す瞬間は、ヘッドフォンアウトからその音が出力された瞬間と考えて良いでしょう(「ヘッドフォンのドライバから鼓膜までの距離」や「神経伝達の速さ」などまで考慮することはないでしょう)から、ヘッドフォンアウトの音を、そのまま入力へ送って録音し、元の音と録音された音の波形の位置がどれだけズレているかを測定します。

 私の手元にある機材での実験で、最も誤差が少ないだろうと予想されるのは、外部オーディオインターフェイスを使用しない場合かと思われた(違うかもしれませんけど・・)ので、まずコンピュータ内部のみで出力→入力の接続を作って測定した結果が次の画像です。

*サンプルレートは以下全て44.1kHzです。

 さすがにこれは完全に一致していますね。

 ですが、これはプラグインや音源など、レイテンシーが発生するものを何も使用していない状態での結果です。


 では、ミックス出力チャンネル「Stereo Out」に、プラグイン「Linear Phase EQ」をインサートした上で、もう一度測定してみます。

*EQはインサートしてあるだけで、オフにしてあります

   はっきりとズレが確認できます。

 最大まで拡大して正確に測定したところ、2560サンプルのズレでした。約58ミリ秒です。これだけズレていると音楽家でなくても誰が聞いても『ズレてる・・』と判るでしょう。


 ただし、ここでは説明のために大きなズレを発生させたかったので、敢えて、最もレイテンシーが大きいと思われるプラグイン「Linear Phase EQ」を、ミックス出力チャンネルにインサートしてみました。

 でも、これと同じ状態で録音作業を行っていながら、録音位置にズレが発生することを知らずにいる人も、少なからずいるのではないでしょうか。


 では次に、私がギターを録音する際に使用している Roland VG-99 で実験してみます。

(注:これは10年以上前の機材ですし、最後のドライバアップデートも数年前でしたので、現在(2021年)の最新機材では結果が大きく異なると思います)


 ヘッドフォン出力を、短いケーブルでノーマルギター入力へ接続し、内部からUSB接続でDAWソフト「Logic Pro X」のオーディオトラックへ送り込んでいます。

 先ず、プラグインは何もインサートしていない状態で測定します。

 結構な誤差が生じているように見えますが、63サンプルですので、約1.4ミリ秒です。前述のように、この程度ならば無視しても問題ないと思われますが、やはり私は以下のように補正値を設定して、波形の位置が完全に一致するのを確認するまで、決して演奏の録音を開始することはありません。

 次は参考までに、先月まで私が制作していた曲で、ギターパート録音直前に測定した際の結果をご覧ください。

 使用機材は同じく Roland VG-99 ですが、プラグインを少なからず使用しているので、ズレの値もまた変わってきています。

 118サンプルですから、約2.7ミリ秒。

 ・・・問題ないと言えなくもないですが、やはり私はキチンと補正値を入力して、1サンプルの誤差もなく録音できるようにしておかないと、気持ち悪くてギターを弾く気になれません。

 いかがでしょうか。

 先に書いたように、使用しているソフトとハードによって異なると思いますが、少なくともこの作業環境に於いては、プラグインの使用状況によって誤差は変わってくる、という事が判明しました。

 また、ここでの説明では「後ろにズレる」例だけでしたが、ずっと以前、ある機器とソフトで実験した際には、録音された音が「前にズレて」配置されたこともありました。タイムトラベル物のSFではあるまいし、まだ発音していない音が数ミリ秒前に記録されるわけがありませんから、当然これは遅延補正機能の不完全さか、録音後にトラック上へ表示させる処理のどこかに原因があったのでしょう。

 何れにしても、録音を開始する前には必ず測定し、その結果に従って設定を行い、その後作業を進める過程でプラグインを増減したなら、また測定して設定を変更しなければならない、という事です。


 自分でも試してみようと思ってくださった方、いらっしゃいましたら、どんな環境で、結果がどうであったか、教えていただけると嬉しいです。

加藤雅春:プロフィール

過去80本以上の長尺映像作品、20本以上のCM、その他イベント等に様々な音楽を多数提供して参りました。音楽制作だけでなく、楽器、歌、ナレーションの録音編集からMAまで、音声関係全てに通じております。それらの業務と平行して、大学と音楽専門学校の講師としても豊富に経験を積んで参りました。また、プロギタリスト及びギター講師としての経験も積んでおります。JSPA(日本シンセサイザープロフェッショナルアーツ)正会員です。Shamshir(シャムシール) というアーティスト名で、複数のサービスから楽曲配信もしております。

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加藤雅春