私の名前はセシル・ポーリン・サングラップ・モンテネグロ、もしくはイルーヤン、移民であり、フェミニストであり、アーティストでもある。
去年、私は日本に再び戻った。フィリピン人労働者(OFW)として日本で働いている夫のボングと一緒に暮らすため、そして日本で共働きすることで私と子供たちの学費を早く貯めることができるという理由だった。子供たち二人がフィリピンで学校に通っていて、私も美術の技術を身につけ知識を深めるために大学に戻ることにしていた。
2019年8月から、大阪・梅田のホテルで清掃のアルバイトを始めた。ホテルでの仕事は良い経験だった。移民である私にとって、日本で仕事をするのは二度目。一度目はOPA(正式には「海外芸能人」海外のパフォーミング・アーティストやエンターテイナー)として10年間働いていた。
仕事が毎週休みの火曜日に、兵庫県と関西エリアの美術館巡りをした。その中で、特に引きつけられたのは1700年代から1800年代に栄えた日本の芸術である木版画だった。その美しさと制作過程に虜だった。
2020年を迎えるにあたり、私は夫より一足先にフィリピンに帰国をして大学入学の準備をしようと思っていた。でも、結局は夫と同じ時期に帰国することにした。4月になったら彼は日本での仕事を辞めて、フィリピンで再び仕事を探す予定だった。どうにかとも働きで必要な資金を貯めることができ、その頃はフィリピンに帰国してやっと子供たちに会えるのが楽しみでしょうがなかった。
2月から3月にかけて、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関するニュースがどんどん広まり、帰国できるかどうか不安になる一方だった。その数ヵ月後、私たちが恐れていたことは現実になってしまい、フィリピンへの帰国予定日の1週間前に飛行機がキャンセルされた。
その頃、もうすでに私たちは職がなく借りていた家の契約も終了していたため住むところもなかった。とにかく不安でいっぱいだった。
そこで、救いを求めることにし、神戸のNGO「外国人支援ネットワーク」や私の作品を展示していたギャラリー「アジア食堂Sala」に連絡をした。幸いなことに私たちは支援を受けることができ、新しい飛行機が決まるまでの間は滞在場所も提供してもらった。
4月以降、フィリピンへの帰国便は7回もキャンセルされた。
「アジア食堂Sala」の店長でもあり友人である黒田尚子さんにお店でアルバイトをさせてもらえないかとお願いをした…
尚子のレストランは、日本に住む移民女性を支援する社会事業だ。2016年のオープン前に、尚子から「エンパワーメントをテーマにしたミューラルを描いてみないか」と声をかけられた。私は「Empowerment for ALL people (すべての人々がエンパワーメントされる世界をつくりたい」と題したミューラルを制作した。そのテーマはやがてレストラン全体のビジョンとなっていった。
尚子の話によると3月以降、お店はテイクアウトの料理しか販売していなかったそう。コロナの恐怖が広がり、店員もシェフも出勤しなくなってしまったとのこと。つまり、私たちをアルバイトとして雇うことはできない。
そこで私たちは、プロジェクトを立ち上げようと考えた。
クラウドファンディングキャンペーン「Save the Future of Sala (神戸アジアン食堂バルSALAを続け、未来を創るプロジェクト)」を始めた。
そのキャンペーンでは私のアート作品やグッズが支援者へのお返しだった。グラフィックデザイナーとデジタル編集者である夫にも協力してもらい、私は自分の創造力を生かしながらたくさんのアート作品を制作した。一方、尚子は5月7日から5月31日まで行われたオンライン上のクラウドファンディング・キャンペーンに注力した。
このプロジェクトは大成功だった。
現在も、私たちはSalaとのコラボレーションを続けてる。夫は料理の腕を活かして、毎週日曜日に "FilpinObento (フィリピノ弁当)"と私が名付けたお弁当を販売している。また、"Philippines Night (フィリピン・ナイト)"では特別なフィリピン料理のディナーセットも用意してる。私は料理ができないため、調理器具を整理したりお弁当を積み上げて、私のアートポストカードを売っている。
私たちは友人や支援グループに本当に恵まれた。だからこうして困難が相次ぐ中、何とか乗り越えることができた。
でも、私と同じような状況の出稼ぎ労働者たちはどうしているのだろう?家族に会いたいのに日本から出られなくなり帰国できずに悩んでいる学生たちは? 私たちのように、母国にいる子供のことを常に心配しながら生きている親は?
私たちも今後帰国できない状況が続くとなると、本当に辛い。
朝起きると、頭の中はすでに不安でいっぱい。毎日ニュースを読んだり見たりして、フィリピンで起きていることを知る。フィリピンの人々は現政権下ですでに厳しい状況に置かれている中、今回の世界恐慌で貧困はさらに悪化している。
こうしたニュースに対して、私は毎日絵をスケッチして彫っている。浮世絵からインスピレーションを得て、フィリピンで起きていることや私たちと同じように世界各地で取り残されている移民の状況を想像しながら制作している。
毎日制作することで、孤独や不安、子供に会いたい気持ちなどを少しだけ和らげることができる。そしてその時に感じたことを描くことで、いろんなパワーが湧き出てくる。フィリピン人の現状を人に知ってもらうだけではなく、それに対する私の気持ちをいろんな人と共有できる。都市や山奥、国内外で働く女性労働者や様々な困難を乗り越えようとしているフィリピン人より深く理解できる。
木彫りとゴムを使ってポストカードを刷る。それによって、私は世界のさまざまな場所にいる友人、愛する人、家族を繋げることができる。手に触れることのできるメッセージを受け取るのは、やはり意味のあるものだと私は思う。
今もいつになったら帰国できるか分からない。今後も困難が相次いだらどうやって乗り越えよう。とりあえず私は毎朝起きて生き続ける。いろんな人のために、自分のために、手先で物語を作り、強さと希望を描く。