乙亥大相撲のあゆみ

乙亥大相撲のはじまり

1852年(嘉永5年)6月25日、伊予国野村にて大火事が起こりました。氏宮部落から出火、下氏宮、上氏宮、石久保、権現の100戸(260棟)もの建物が焼けてしまったそうです。

同年10月15日、火鎮擁護祈願のため三嶋神社境内に火伏霊験あらたかな愛宕神社の祠を建立し、100年間「三十三番結びの相撲」を奉納することにしたのが始まりとされています。

創設者は野村町の庄屋であった緒方惟貞(1822年 - 1883年)。

戦時にも中断されず、1952年(昭和27年)に満願を迎えましたが、現在も伝統行事として開催が継続されています。

「乙亥」の由来

1852年(嘉永5年)10月の乙亥の日に始まったからとされています。

乙亥の日は棟上げの吉日であるため、焼失した家が早く建つようにとの願いを込めてこの日にしたのではないかということです。

もしくは、実際に焼失した家の棟上げの祝いだったのかもしれません。

三十三結び(さんじゅうさんむすび)の由来

愛宕神社の祭神が建岩竜神、豊玉彦神、豊玉媛神の三神であるため、三十三結びを奉納したのではないかと伝えられています。(諸説あり)

正確な由来は不明なため、引き続き調査中です。

開催場所・主催者の変遷

緒方酒造横の会場(昭和30年ごろ)

緒方惟貞が三嶋神社境内ではじめたと伝えられますが、その後の変遷は定かではありません。

明治期には各地区の区長会からなる「専務区長会」が運営を担い、少なくとも昭和の初めには緒方酒造横の田んぼに作られた特設会場で開催されていたようです。

1968年(昭和43年)、児童館グラウンドに移転。

このころの運営は、1972年(昭和47年)まで、野村町商工会内の乙亥相撲協会が担っていました。

1973年(昭和48年)、野村町観光協会内に相撲部会が設立され運営を担うことになり、1973年(昭和48年)~1976年(昭和51年)まで公会堂前広場にて開催されました。

公会堂前(昭和48年~昭和51年)

その後、公会堂(屋内)、公会堂前テントでの開催、平成7年から旧児童館グラウンド(大型テント)と場所を移して開催されてきました。

2005年、乙亥会館が開館し、以降同施設にて開催。

2018年7月、西日本豪雨災害により乙亥会館が被災し、同年と翌年の2年間は公会堂(2021年に取り壊し)の屋内にて開催されましたが、その後現在まで乙亥会館にて開催されています。

現主催は、せいよ野村観光協会、西予市、西予市教育委員会となっています。

公会堂内

(昭和52~53年)

公会堂前テント

(昭和54年~平成6年)

旧児童館グラウンド

(平成7年~平成16年)