ギャラリー

化粧まわしについて

明治22年、乙亥相撲が地域の行事として定着し人気も高まる中、野村の町組の横山忠作の発起により、野村11組と緒方本家によって計12本の化粧まわしが作られました。

明治21年に市町村制が公布され、23年に実施されるにあたり、合併を前に各組がそれぞれの組の名誉をかけて作成にあたったのではないかと伝えられています。

昭和30年ごろまで、実際にこの化粧まわしを締めた力士が中入りの土俵入りを行っていました。

現存するのは10本。まわしは各組の所有であり、各組で保管する旨が箱に記載されています。

現在:野村町観光協会管理・シルク博物館にて保管       

〈米田誉三著・『乙亥相撲と化粧まわし』より〉

昭和時代

玉乃海太三郎と(昭和30年ごろ)

様々なイベントが合同開催された(写真は阿波踊り)

平成元年~平成16年ごろ

開催を知らせる幟が立ち並ぶ(1991年)

若乃花と玉春日関の歓迎式典(1994年)

暗くなるまで賑わう会場(1995年)

第24代 式守伊之助(1999~2001年)

土俵入り

弓取式

大勢の観客が詰めかける

千秋楽打ち上げ

呼び出し

会場では有志によりちゃんこ鍋が販売される

お宿まわりの目印となる提灯

平成17年ごろ~

街中は出店で賑わう

開催前に行われる土俵祭り