こぼれ話

稚児の土俵入り

子の健やかな成長を願って行われる稚児の土俵入り。

小さな子供を抱えたまま力士が四股を踏むと、会場からは大きな歓声がおこります。

大声で泣き出す稚児もいれば、平然としている稚児も。2日間で県内外から60人以上も土俵入り希望者が訪れる、乙亥の見どころのひとつです。

おせったいとお宿まわり

乙亥大相撲当日は、提灯を下げた各地域の家が、鯛そうめんや刺身、自然薯のすりおろし、みがらし、巻きようかんなどのもてなし料理を用意し、親戚知人はもちろん見物客をだれでも受け入れて接待していました。

また、力士も各家を回り、お酒を酌み交わし交流を深めました。

実施する家は少なくなったものの、現在も続く風習です。

行司主審

乙亥大相撲では、地元在住の行司(プロの呼称)と主審(アマの呼称)が裁きを行っていて、行司は代々岩井姓を名乗っています。

※昔は日本相撲協会所属の行司が裁くこともありました

大相撲の木村、式守と違い、九州・四国地方の行事は岩井姓が多いとも言われていますが、乙亥ではしばらく岩井姓を名乗る行司が途絶え、昭和後期に故松下元氏が復活させ、現在まで受け継がれています。

打ち止めの口上

2日目、千秋楽の末三役、最後の大関の一番は、立行司が「相撲、番数も取り進みましたるところ、この一番にて千秋打ち止めにござりまする。」と披露して、「ハッケヨイ」とがっぷり四つに組んだところで「待った」をかけ、「両々とも、御名人に、御名人となりますれば、この相撲、乙亥大相撲勧進元(昔は「愛宕様」)にお預けし、また明年ここで取ってご覧に入れまする」と口上を述べ、来年の開催を宣言して乙亥大相撲の打ち上げとなります。

乙亥大相撲の打ち上げ

力水の桶を土俵中央に上げ、徳俵を掘り起こし土俵の東西の仕切り線の辺りに置き、待ったをかけられた力士同士(大関戦)がその徳俵の上に立って末三役の時に使った梵天(ボンデン)を桶の真ん中にたて、それに手を掛けるとともに、関係者一同が土俵に上がり土俵周りにたち円陣を組みます。

立行司は塩をまき、「ハアー、沖は大漁、陸(おか)は満作、富貴繁盛と打ちましょう。シャンシャン、もう一つ祝ってシャン、シャン、祝ってシャンで、オシャシャのシャンシャン」と世の繁栄を祈り、乙亥大相撲の全日程を終えます。

野村町乙亥太鼓保存会

1986年、乙亥大相撲をさらに盛り上げようと、当時の青年団を中心に野村町乙亥太鼓保存会が結成されました。太鼓のリズムで、力士が激しくぶつかり合う様子を表現しています。

2018年、西日本豪雨により太鼓が破損の被害を受けましたが、現在も当時作られた太鼓のリズムを受け継ぎ、20~30名ほどで活動しています。

野村相撲甚句会

昭和40年代に誕生した乙亥相撲甚句が愛好家に親しまれていましたが、その甚句を語り継いでいこうと1988年、井関英勝氏と兵頭猛希氏を中心に野村相撲甚句会が発足しました。

乙亥相撲甚句には、野村ダムや肱川、ミルク・シルクなど、野村の特産・町内の名所を織り込んでいます。

歌詞は慶弔に合わせたり時事を盛り込んだりと時代に合わせて変わり、様々な相撲甚句を披露しています。

※甚句詩歌詞