八幡さんを知る
創 建
創 建
創建
松原や 凡そ一里の 蝉の声
高木 思風
【柳後亭 其雪(1788~1842)の高弟】
大里八幡神社の創建については諸説ありますが、現在の大里松原の地に鎮座したのは、慶長9年(1604)、阿波蜂須賀藩、海部城主益田 豊後守が鞆浦の大宮にあった和奈佐意富曽(ワナサオフソ)神社とともにお祀りしたことに始まるとされます。
この和奈佐意富曽神社は、延喜式(927:平安初期の全国の神社名を登載)に記載される式内社として古来より地方の崇敬が篤かったと伝わります。その格式と祭神が異なることなどから、明治になり八幡神社から南、二百メートルのところに中宮(なかみや)として遷座されました。
さらに中宮さんから1kmほど南に寄った海南中学校運動場の横に小さなお社が三社あり、小宮さんと称されています。今も、八幡神社の秋祭と正月祭には、この三社(本宮、中宮、小宮)に幟や榊を奉(たてまつ)って御祭します。
大里松原への鎮座時から、八幡神社は海部川筋21ケ村の郷社として崇められ、令和6年現在でおよそ1100戸余の氏子の皆様に崇敬されています。
本宮本殿
和奈佐意富曽神社(中宮)
小宮