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氏子だより

   夏の風物詩 ー 母川 

           高園  大坪 潤一 (海部川本舗 管理人)

 梅雨入り間近のこの季節。夏の風物詩のひとつがホタルです。海部川支流の母川はゲンジボタルの生息地として知られていますが、このゲンジボタルは西日本と東日本で明滅間隔が異なるらしく西は2秒、東は4秒なのだそうです。電気の周波数の違いみたいですね。

     恒例のほたるまつりは6月1日(土)から8日(土)にかけて。 すでに10日ほど前からちらほらと飛び始めており、会期中には幻想的な光の乱舞を楽しむことができそうです。ムシっと暑い日の午後8時から9時頃が一番のチャンスタイム。会期中は高瀬舟も運行されるので舟に揺られながら鑑賞するのもまた一興かもしれません。

母川、ホタル乱舞(昨晩:R6年6月5日)

氏子だより


大里松原の話 中小路 佐藤 和久


 大里八幡神社を中心に約3キロにわたって広がる大里松原の起源は古く、江戸時代はじめにはすでに広大な松林が広がっていたようです。長い砂浜と松林は地元住民の憩いの場となっており、その美しい景観から白砂青松全国百選にも選ばれています。

 この松原はまた、昔から防風、防潮、防砂等の役割を担い、人々の暮らしを守ってきました。これまで何度も台風の被害に見舞われましたが、その度に地域の人々が植樹を重ね松林を守ってきました。

 令和元年に襲来した台風はかつて無い塩害をもたらし、4000本以上の松が枯れました。地元住民は町や県、研究機関等と連携し、どのようにすればもとの松林が取り戻せるかを考え、再生に向けて取り組んできました。具体的には、子どもから大人までたくさんの方々の協力を得て、枯れた松の調査・伐採・植樹・育成・草刈り等様々な作業を行ってきました。

 毎年、八幡神社の秋祭りにはダンジリや関船がたくさん出ます。ダンジリや関船は松林の中を駆け回り、お昼には曳き手を中心に多くの人が松林の中に陣取り、弁当を広げ楽しいひとときを過ごします。松原と八幡神社はしっかりと地域の中に根付いています。

 今、この広大な松原を守っていくためにはたくさんの人の松原への思いと力添えが必要だと強く感じます。雄大でやすらぎと活力を与えてくれる松原。安全と安心を与えてくれる松原。みんなの力でいつまでも守っていくことができればと思います。


NPO法人あったかいようの「おすすめ みどころマップ:㉔大里松原」にも、大里の人々と松原の歴史的な関りなどが紹介されています。ご一読下さい。


リンク先

https://attakaiyo.org/midokoro/




春のお客様・・キハダマグロ

  今年(令和6年)、 鞆浦の大敷網ではブリが少なくなった4月中旬頃から、時おり20~60㎏のキハダマグロが一日に数十本も網に入ることがあります。

 日本の近海では、マグロ類はクロマグロ、メバチマグロ、キハダマグロそしてビンナガマグロが漁獲されます。クロマグロは水温5~30℃ほどの海域に分布するといわれ、マグロ類では最も冷たい海でも生きていけます。そしてメバチ、キハダ、ビンナガの順により温かい海に広がって分布します。それに応じて肉質の色は赤色からピンク色へと変化し、脂の乗りも薄くなり、最も高温域を好むビンナガマグロでは薄いピンク色の淡白な味わいになります。従って価格も一番安価です。ちなみに右写真のキハダマグロは漁協の市場の入札価格が約千円/㎏ですから、一番、手前の60㎏のものだと6万円です。

 先月中旬、キハダマグロが水揚げされた時、地元の魚屋さんが一本、セリ落としたというので早速、刺身を買ってきました。赤身であっさりとした味わいですが、しっかり旨みもあり美味でした。

 これまでは毎年この時期になると、クロマグロが入網し、生鮮の中トロ、大トロを口に出来る数少ない機会でした。けれども今年はまだその姿を見ていません。よく分かりませんが海水温の上昇も影響しているのかもしれません。



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幸せの贈りもの⁉・・リュウグウノツカイ

 

 昨日(令和6年3月11日)、鞆浦の大敷網にかの有名な深海魚、リュウグウノツカイが入りました。これまでも時おり漁獲されていて、大きいものだと幅30cm、4mぐらいの巨大サイズもいるそうです。昨日、漁獲された個体は特大タチウオをもっと大きくしたような感じです。

 元気に生きていて、よく見ると背びれを波打たせてゆっくり泳いでいます。名の如く、竜宮から幸せの贈り物を運んでくれると嬉しいのですが。

 その贈りものかどうか分かりませんが、今日も良く肥えたブリが500尾ほど水槽に入って市場に並んでいました!



祝 大漁 ‼(鞆浦発) (2024年3月2日)


 去る2月19日、鞆浦大敷網にブリ(8~10㎏)がおよそ1200尾入りました。鞆浦では、彼岸ブリといって春の彼岸前後の水揚げが多いのですが、今年は早めです。良く肥えて、脂の良く乗った寒ブリです!

 轟丸(愛称:虹マンボウ)には日の丸が掲げられています。今は無線で船と漁協はすぐ連絡が取れますから、この旗はお祝いの、景気付けです。昔は漁協から双眼鏡で沖の船を覗き、掲げられた旗の種類と枚数により大漁の状況を掴んだといいます。沖の船に日の丸一本が翻るとブリ千尾!すると、その情報が瞬く間に町中に伝わり、市場は活気付きました。


 料理の写真は奥浦、生本旅館さん提供のブリ尽くしの品々です!



焼き物

煮もの

ぬた

アラ炊き

氏子だより

  CSの会紹介  吉野 岡田 啓

東は太平洋に面し、大里松原海岸、出羽島、大島、そして千羽海岸までを展望する。西は、海部川を遡ると城満寺を眺め、最上流の轟の滝を思い浮かべることができる。春にはシダレ桜のトンネルが海とコラボする。そんな海部川筋の浪漫的の名所として育ちつつある。

そんな海部城跡は、今から約450年前に日本の中央において三好の天下取りに共に奔走した「海部友光」の居城である(*阿波の名将、信長の20年前の天下人「三好長慶」と海部友光は義兄弟として同盟関係にあり)。また、江戸時代初期には阿波九城の一つであり、県南の拠点として存在感を示した。現在も当時の遺構が随分と楽しめる。そして、阿波を代表する刀剣「海部刀」とともに歴史を刻んだ城山である。

海部城山保勝活動「 CS 海部」というのは、海部の C(キャッスル=城)S(ソード=刀)を意味している。CS 海部の活動は、令和6年末で6年が経過する。以前は木や草に覆われた山(標高約50m)であったのを、月一度の作業や歴史環境情報交換会を続けることにより、憩いの場・学習環境の場として整備が進んできた。だんだんと町内・県内外の様々な人たちが活用してくれるようになってきた。

会員の高齢化が進んできたが、無理をせず楽しみながら頑張って活動を続けていけたらと思っている。



登り口

松原を望む

海部川を望む

主郭