私たちの研究室では、海産動物ホヤや淡水産巻貝を使って、ひとつの受精卵から脳神経系がどのように作られるのかを細胞レベルで調べています。これまでの研究成果と今後の研究の展望をご紹介します。
ホヤはヒトを含む脊椎動物にもっとも近縁な海産無脊椎動物で、基本的な神経系の作り方(発生様式)が脊椎動物と同じです(図1)。また、ホヤ幼生の脳を構成する細胞は数百個ほどしかないため、ホヤを用いることで、一つひとつの細胞レベルで脊椎動物と共通する脳を作る仕組みを調べることができます。「脳を作る仕組み」を理解するために、脳を作る過程で細胞がどのように動くか、またどのような遺伝子が重要かなどを調べています。
大沼は大学院生の時に、脳の発生に必須なOtx遺伝子の発現制御機構を解析しました(Oonuma et al., Dev Growth Differ, 2014; Oonuma et al., Zool Sci, 2014)。この過程で、これまで報告されていた脳の細胞系譜(細胞の分裂時期・回数や運命)に誤りがあることを見出し、脳の発生を理解するには、その細胞系譜を改めて調べる必要があると考えました。ところが、ホヤ(カタユウレイボヤ)の一般的な胚操作である卵膜の除去が脳の構造を大きく乱すため、最初にこの問題を解決する必要がありました。
図1:ホヤは脊椎動物に最も近縁. 脊索動物の系統関係を系統樹で示す.
そこで私たちは、「卵膜を維持したまま遺伝子を導入する技術」を確立し、この技術上の問題を克服しました(動画2)。また、「たった一個の細胞をラベル(色を付ける)して追跡する方法」を開発することで、胚のどの細胞が脳のどのような細胞(特定の神経細胞やグリア細胞など)になるのかを調べることができるようになりました(図2)。これらの技術により、「光を受容する細胞」や「ドーパミンを産生する神経細胞」などについて、受精卵を起点としたすべての分裂回数や分裂時期を完全に明らかにしました(Oonuma et al., Dev Biol, 2016; Oonuma and Kusakabe, Dev Biol, 2019; Oonuma and Kusakabe, Development, 2021)。また、各種神経細胞が左右非対称に生じること、将来脳になる細胞が発生過程で大きく移動することを明らかにしました (Oonuma and Kusakabe, Development, 2021)。
ドーパミン産生細胞については、MAPK経路というシグナル伝達経路と転写因子Otxがその発生に重要であることを明らかにしました(Oonuma and Kusakabe, Development, 2021)。
開発した手法は国内外でも高く評価されており、 国内・国際共同研究の成果をScience Advance誌やNature誌にて報告しました(Akahoshi et al., Sci Adv, 2021; Todorov and Oonuma et al., Nature, 2024)。
図2:光変換型蛍光タンパク質Kaedeを用いた細胞ラベル. Kaedeに青紫光を当てると, 蛍光色が緑から赤に変わる(図では赤色をマジェンタに変更). この性質を利用して, 目的の細胞にだけ青紫光を照射することで, その細胞を光変換後のKaede蛍光でラベル.
淡水産巻貝の神経系を構成する細胞数は1万個ほどと脊椎動物と比べて非常に少ないですが、その神経系は左右で大きさや形が異なるなど複雑な構造をしています(図3)。また、個々の神経細胞は大きく、食べる・這うなどのリズミカルで複雑な行動を制御する神経細胞が同定されています。そのため、細胞レベルで神経系を作る仕組みと行動を制御する仕組みを調べることができます。
淡水産巻貝の中でも、私たちは Biomphalaria glabrata(和名がありません)というヒラマキガイの仲間に注目しました。この巻貝は、上の特徴に加え、これまで淡水産巻貝の研究に利用されてきたヨーロッパモノアラガイと比べて、産卵頻度が多く、生活環が短いため、飼育と実験が行いやすいという利点があるからです。
図3:淡水産巻貝Biomphalaria glabrataの神経系の模式図. 背側から見た全体の構造(左)と, それを背側にあるもの(中心)と腹側にあるもの(右)とを分けたものをそれぞれ示す. 内臓神経節以外は, 左右2個で1対となっています. 神経節としては, 体壁神経節の構造が左右で大きく異なります. なお, 各神経節にある神経細胞の種類や数も左右で異なりますが, ここでは割愛.
近年、遺伝子工学技術は発生生物学では当たり前に使用され、神経生理・行動学でも利用されることが多くなってきました。遺伝子工学技術には、もともとその生物が持っていない遺伝子(外来遺伝子)を外から導入することが必要です。しかし、巻貝B. glabrataへの外来遺伝子の導入は困難な状況にありました。それは、淡水産巻貝の胚は、図4で示すようなカプセルに包まれていますが、このカプセルを除去すると胚発生が途中で止まるからです。また、カプセルを保持したまま遺伝子導入することも困難です。そのため、遺伝子工学技術を利用して神経系を作る仕組みを調べるには、①外来遺伝子を導入する方法と、②カプセル外での胚飼育法を確立する必要がありました。
そこで私たちは、ホヤの研究で培った遺伝子導入法を応用することで、B. glabrataの受精卵への遺伝子導入法を確立しました(動画3)。また、ヨーロッパモノアラガイの胚飼育法を参考に、B. glabrataのカプセル外胚飼育法も確立しました。これらの技術とCRISPR/Cas9系によるゲノム編集技術を組み合わせることで、目的の遺伝子の破壊(ノックアウト)に世界で初めて成功しました。また、GFPの特定の組織での発現や、トランスポゾンを利用したゲノムへの外来遺伝子の挿入(ノックイン)にも成功しています。
このように、B. glabrataを、軟体動物の神経系の発生と行動の仕組みを解析できる新しいモデル動物にする道を切り拓きつつあります。
図4:B. glabrataの卵塊とカプセル、受精卵. 淡水産巻貝の1つの受精卵(右)は, 1つのカプセルに包まれています(中央上). この巻貝の成体は, 20-30のカプセルを1つの卵塊(左, 中央下)として産みます. カプセルの中には, 胚が成長するための栄養分が含まれており, カプセルから胚を取り出すと胚発生が途中で止まります.
私たちが開発した技術は、現在、ホヤ幼生の正常な脳の発生を実験的に調べられる唯一の方法です。今後はこの技術を活かし、脳の左右差や神経細胞の分化に関わる遺伝子を複数特定し、その遺伝子間の関係性(発現制御ネットワーク)を明らかにします。
また現在は、遺伝子工学義技術を駆使して、目的の神経細胞だけを壊す技術の開発も進めています。このような技術により、個々の神経細胞が担う役割や行動との関係も調べていきます。
巻貝のような軟体動物では、胚発生の仕組みがほとんど分かっていませんでしたが、私たちはその技術的な障壁を越えることに成功しました。今後は、巻貝B. glabrataを用いて神経系が作られる仕組みを詳しく解明するとともに、細胞の活動をカルシウムイメージングや細胞破壊法で観察し、どの神経がどの行動に関わるかを明らかにします。
現在、ドーパミンを生合成するのに重要なTh遺伝子の変異体を作出したので、このTh変異体を活用して、ドーパミン作動性神経細胞(ドーパミンを合成し、神経伝達物質として放出する神経細胞)の発生と、それが関わる行動の遺伝的仕組みを詳しく調べていきます。