寺町を知ろう(寺町今昔記) 目次
・「寺町」は、昔は城下町の街道の要衝にはお寺を集めて「イザ」という時、大量の兵員の駐留や、食糧等の供与のため、便利ということで、築城の一環として形成された町です。
・小田原「寺町」には、以前は町内に10箇所のお寺、寺町と境を接して2つのお寺があり、東西・南北約400mほどの中に12のお寺がありました。
4つのお寺は廃寺しましたが、現在でも、寺町町内に6つのお寺と境界を接して2つのお寺があります。
・「寺町」という地名が、江戸時代に使われていたことが分かっています。
・しかし、明治時代以降、荻窪村から芦子村、足柄村、足柄町、小田原町、小田原市、小田原市中町・扇町と地名がめまぐるしく変わっており、その中で「寺町」という地名がなくなりました。
・地元では、今でも「寺町」という呼び名が定着しており、「寺町」という地名は、国道の交差点の名称やバス停車場の名称等に残っているだけですが、我々の自治会は、「寺町自治会」として活動を行っています。
[参考:寺町今昔記、新編相模国風土記稿]
・「寺町今昔物記」は、平成8年に寺町自治会から発刊された93ページの書籍です。
この書籍の発刊理由が「発刊にあたって」に以下のとおり記されています。
古い歴史を持つ小田原の歴史の書物を紐解いても、わが町寺町は『お寺が集まり独自の町を形成している』と簡単に記されているに過ぎません。
自分たちの住む町の歴史を知ることは、自分自身を見つめ直し、自分の伝えの歴史を知ることになりることから、歴史や史実に精通している人が現存しているうちに、種々の記録を残し後世に語り伝えたいとの声が上がり、この『寺町今昔記』はそのような地域の多くの声によって、発刊されました。
・寺町自治会が独自に取り纏めた、貴重な歴史資料です。
・小田原市の寺町地区は、小田原駅の東側に位置する、南北450m、東西600mの地区で、人口約
1300人の方が居住している、市の中心市街地の小田原駅から程よい距離のある、歴史を感じる「まち」です。
・地区内には、大きな施設はありませんが、地区境からは、徒歩10分以内で行ける施設は、鉄道駅として、小田原駅(東海道線・東海道新幹線・小田急線・箱根登山線・大雄山線)、緑町駅・井細田駅(大雄山線)、公共施設として、小田原市役所、神奈川県小田原合同庁舎、警察署等、教育施設として芦子小学校、医療施設として、小田原市立病院・総合病院等、商業施設として、スーパーマーケットが3軒、ドラッグストアが3軒が立地しており、生活する上での利便性の高い地域です。
・「小田原寺町自治会」は、このような地域で活動している自治会です。
公民館の倉庫から、彩色が施された、明治23年に造られた、3つの龍の木彫りが見つかりました。
・木彫刻の裏側には、当時の自治会の世話人等の名前が、記されています。
大工として荻田姓・諏訪部姓の記載があり、調査しましたが、製作経緯は判明しませんでした。
(寺社や山車には、装飾彫刻として、龍の木彫り(宮彫り)が施されていることがあります)