私たちが住んでいる由木地区では、多摩丘陵の上で水が湧き出し、山の斜面をながれ、谷戸の小川をつくり、田んぼのわきをとおって、だんだん流れが大きくなり、大栗川にそそぎ、多摩川に合流して海に 流れでます。そして水が蒸発して雲をつくり 雨となって陸の上に降ります。
流れをたどって、川の始まるところを見にいきます。
対象:小学生以上は保護者なしでも。小さいお子さんは保護者同伴で。
日時:2018年3月30日(金) 予定、 雨天の場合は31日(土)
集合と解散:西緑地会館前を午前10時出発。平山城址公園(水源)に行き、西緑地会館にもどって解散
参加費:無料
持ち物:宮嶽谷戸をとおって平山城址公園まで丘陵の道を片道2kmほど歩くので、歩きやすい服装とすべりにくい靴
2012年の地図 水色の点線部分は暗渠
平山城址公園東園の「終わりと始まりの広場」ちかくを水源とする流れを見に行きます。公園の南斜面に保水された水が流れをつくり、林のなかをくだります。むかし谷津田が営まれていた跡を抜け、もう一つの谷戸からの流れと合流し、宮嶽谷戸でいまも使われている水田に出ます。田や畑のわきを伝い、昔に一帯の水田に水を引き込むために使われていた堰の構造物を抜けると 広い畑のわきを流れます。京王堀之内駅から豊田にぬける自動車道に突き当たると、寺沢川と合流して道路の下の暗渠にはいります。ここまでの流れを下流から水源に向かって遡ります。
暗渠に入った流れは、昔に流れていたところをずっと暗渠でたどり、まっすぐに改修された大栗川に合流します。大栗川は浅川、多摩川に合流して東京湾に最後は流れ込みます。
フランス式の地図が明治に作られ始めてからの この流れ周辺の変化をスライドショーでみることができます。この地域は多摩ニュータウン開発によって地形も大きくかわり、世帯数も由木地区で40倍に増加しました。堀之内から平山城址公園方向のいくつかの谷戸にむかう区域はニュータウン開発からは外れて、農地や緑地 そして公園や大学などの敷地としてあり、緑ゆたかな環境をわたしたちに与えてくれています。
芝原縄文遺跡
芝原公園とグラン・レグナスの一帯で 縄文時代の大規模な集落の遺跡が発見されて 詳しく調査されました。「多摩ニュータウンNo72遺跡」と呼ばれ、東西300m 南北150m の寺沢川と大栗川にはさまれた舌状台地にあります。1987年から2000年にかけて調査がなされました。
縄文時代に大規模な(同時に15戸以上の住居があった年代もあった)集落の人たちが長期にわたって居住・生活できた豊かな環境がこの周辺にありました。芝原は 日光がよくあたり、水も容易に得られ、木の実や川での魚・貝がたくさん採集できた環境条件がそろっていたものと推定できます。
最初の地図で薄い赤の部分
1万年前ころは世界中が温暖な気候で、いろいろな試行錯誤が可能であったために 大きな川のそばであるメソポタミアや中国で農業が発明されました。温暖であったことで海水面が上昇し、川越近くまで入江が入り込んでいました。関東平野で内陸に貝塚が見られるのは この縄文海進のためです。芝原遺跡は標高がたかく、大栗川などと丘陵の自然に依存していました。
多摩センター駅のすぐ近くに「東京都埋蔵文化財センター」があり、縄文時代の住居が再現されていたり、当時の火の起こし方などを体験したり、東京都の考古学資料の展示をみるなどする事ができます。
明治から平成にかけての移り変わり
由木地区環境市民会議のウェブサイトにこの地域の歴史と地図の変遷を説明しています。