Essays
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続・明治大学改造計画
澤田直樹(第6期)
(2002年1月)
序
「敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず」
中国の偉人・孫子はこのように述べ、戦に臨むにあたり敵を知ることがいかに重要であるかを指摘した。前回、私は拙稿「明治大学改造論」において、明治大学の強み、そして弱点を指摘した。しかし、己を知るだけでは不十分である。鬼畜早慶に勝利するには、彼らの優れた点を取り入れなければならない。敵の強みを目の当たりにすることはつらいことではある。しかし、改革に痛みはつきものである。今の痛みに耐え明日を良くしようという米百俵の精神こそ、現在明大に求められているものではないだろうか。今こそ明大は「ほしがりません勝までは」をスローガンに、鬼畜早慶を打倒し、大明治共栄圏を建設しなければならない。
皇明大ノ興廃コノ一戦ニアリ。各学生一層奮励努力セヨ!
1 独立自尊・慶應大学
現在、私立大学界の頂点に君臨している大学、それが慶應大学である。「経済の慶應」という名声の上にあぐらをかくことなく、SFC(湘南藤沢キャンパス)を立ち上げるなど、斬新なアイデアを次々と打ち出し、現在、ライバル早稲田大学に対して半歩リードした感がある。その改革の成果から、偏差値も上昇傾向にあり、この少子化の中、相変わらず多数の受験生が殺到している。 この慶應大学、伝統に革新を加えたことが、偏差値を上昇させた要因であることに違いはないが、筆者は次の点にこそ、慶應大学飛躍の理由が隠されていると考える。
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」
人間は等しく平等である。その事実は、決して否定することができない真実である。しかし、日本は「一億総中流」と呼ばれて久しく、時に「悪平等」と言われることもある。そんな横並び意識がはびこる世の中において、学内に歴然とした階級社会を形成し、学生のハングリー精神を養おうとしている、非常に先進的な大学が存在する。それが慶應大学だ。親の社会的地位という、子供にとって如何ともしがたい要因によって、階級社会を形成するその姿。「天は人の上に人を作らず、人のしたに人を作らず」と言っておきながら、『脱亜論』において、後進国であるアジアの他地域を侵略することを容認した、創立者・福沢諭吉先生そのものである。これからの世の中は、人を蹴落としてでも上に登りつめようという意識を持たねば、社会で成功することはできない。われら明大生も、慶應大学のように「勝ち組み」を目指して切磋琢磨しようではないか。
2 私学の雄:早稲田大学
わが明治大学にとって、最大・最強にして、不倶戴天の敵、それこそが都の西北・早稲田大学である。入学試験は全国トップレベルの難易度を誇り、一流大学として位置付けられている。しかも、単にそれだけにとどまらず、官界・財界・芸能界に多数のOBを排出し、「私学の雄」の名に名前負けしない巨大な力を有している。それゆえ、大学進学を希望する高校生から熱いまなざしを向けられているのだが、ときには、すでに他大学に入学した学生からも、熱いまなざしが向けられている。この早稲田大学、数多くのセールスポイントを有しているが、筆者は次の二点に注目したい。
(1)商才に長けている
大学の本分、それは学問である。各大学は学問分野での実績を上げるために、日々切磋琢磨しており、そして、そこで挙げた実績こそが、大学の名誉となるのである。しかし、学問という一分野に収まることを拒否している、いわば「学界の暴れん坊」ともいえる大学が日本に存在する。それが、早稲田大学である。古い慣習にとらわれることなく、「大学=学問」という既成の枠組みを打ちこわし、ホテル経営という新分野を切り開こうとするその姿、まさに学界の「織田信長」といっても過言ではない。早稲田大学のたくましい成長ぶりを目にして、創立者・大隈重信公も天国で泪を流しているに違いない。わが明治大学も、早稲田大学のように現状に安寧することなく、新分野を切り開くベンチャー精神を持たなければならない。
(2)政界で大活躍
早稲田大学のもう一つの特徴は、政界へ優秀な人材を多数輩出している点にある。その多大な影響力を考えれば、日本の政は早稲田大学によって動いているといっても過言ではない。皆さんの記憶にも新しいところでは、「キングメーカー」竹下登元首相や、「平成の借金王」小渕恵三元首相が共に早稲田大学出身である。今現在も、政界で活躍している早稲田大学出身の政治家は多数いるが、今回は海部俊樹元首相、森善朗前首相、この2人に注目したい。海部俊樹・・・彼ほど世間から正当に評価されない総理大臣はいないのではないか。小沢一郎氏からは「馬鹿と神輿は軽い方がいい」となじられ、佐々淳行氏(元内閣安全保障室長)からも「何もしない」と言われてしまう。しかし、彼はそんな安っぽい言葉が似合うような器の小さな男ではない。湾岸戦争において、多国籍軍に130億ドルを寄付した海部俊樹元首相。彼は「金持ち喧嘩せず」を国際舞台で自らやってのけたのだ。130億ドルもの大金を気前良く払ってしまうその豪胆さ。このスケールの大きさには、同じ「金持ち喧嘩せず」を座右の銘にしている野村沙知代氏(コロンビア大学・心理学部卒)も遠く及ばない。海部俊樹元首相に比べると、明治大学出身の政治家は、器が小さい気がしてならない。我が明治大学からも、海部俊樹氏のような豪傑が出てきてほしいものである。次に、森善朗前首相である。彼も武勇伝の多さでは、歴代の総理大臣達に引けを取らない。欧米人に対して自己主張ができない日本人が多い中、クリントン大統領(当時)に対して「Who are you?」と、喧嘩を売ることができるその度胸。「静脈」を「せいみゃく」と読むことによって、現在の日本語のあり方に一石を投じるという語学力の高さ。さらに、IT革命を「イット革命」と公言することで、当時ITバブルに踊っていた産業界やエコノミストに警鐘を鳴らすという先見の明。どれを取っても、今までの総理大臣をはるかに凌ぐ、八面六臂の活躍ぶりであった。そして、小粒な総理大臣が続いていた日本に、これほどまでに豪快な総理大臣を送り出した早稲田大学。やはり、その底力は計り知れない。愛弟子達のたくましい成長ぶりを目にして、創立者・大隈重信公も天国で泪を流しているに違いない。それに対して我が明治大学は、大仁田厚参議院議員など優秀な「乱闘要員」は輩出しているものの、本業の「政治」においては、やはり早稲田大学に遅れを取っている。明治大学からも、森善朗前首相のような優秀な政治家が輩出されることを切に願ってやまない。
結
以上、他大学の優れた点を示してきた。この改革には大きな痛みが伴う。しかし、今後明治大学が発展していくためにも、この聖域なき構造改革は、是が非でも断行しなければならない。その際に出てくる、抵抗勢力からの訳の分からない論理は、この明大改造計画には通用しない。明治大学の有志諸君、この明治大学改造計画と共に立ちあがろう。そして、聖域なき構造改革を成就させよう。この改革が達成された時、明治大学は倒産と引き換えに、記憶に残る大学として、全国民の心の中で永遠に生き続けるだろう。
明治大学改造論
澤田直樹(第6期)
(2000年11月)
現在、明治大学は危機的状況に立たされている。受験者数は年々減少し、偏差値も低下傾向にある。以前は「打倒早稲田」と勇ましく声を上げていた学生たちの間でさえ、現在では「振り向けば法政」と囁かれている。筆者はこのような状況に対し、非常に強い危機感を抱いている。今こそ我が愛する母校明治大学は「火だるま」になってでも改革をやり遂げ、明大を「不沈空母」のようにし、早稲田大学・慶応大学に立ち向かわなければならない。そこで筆者は、以下のような改造論を提唱する。
1 明早戦改造論
我が明治大学の最高の誇り、それは明大ラグビー部である。特に、明早戦はNHKが放送するなど、まさに国民的行事といっても過言ではない。ところで、明早戦終了後の新宿で、酒に酔った明大生が器物損壊事件を発生させていることを、皆さんは御存知であろうか。一説によれば、損害額は数百万円に達するそうであり、その損害に対する賠償金は全額大学側が負担するそうである。この事実を知り、筆者は、明大生の国を思う気持ちに心を打たれ、涙を流さずに入られなかった。経済不況のため、需要喚起が求められている昨今、新宿という一地区に、一晩で数百万円もの需要を喚起させる経済政策が他にあるだろうか。明大生はまさに、日本経済のために「創造的破壊」を行っているのである。私人でありながら、国家のために、あえて自らの手を汚すという、このすばらしい愛国心。現在の日本人にかけている自己犠牲の精神を、明大生は有しているのである。しかし、この経済政策は、年に1,2回しか行われていないために、日本全国に明大生のすばらしさが伝わっていない。政府は今すぐ『ラ式蹴球明治対早稲田戦を一年間に百戦行うことに関する法律(明早戦法)』を成立させ、一刻も早く、この経済不況から抜け出さなければならない。
2 授業改造論
日本の大学の授業は通常「つまらない」の一言で片付けられている。教授達は「学生は寝ていてくれればいい」「研究で成果を出せばいい」「金さえ払ってくれればいい」と考えているのではないか。このような学生不在の授業が全国的に行われていることは、まことに悲しいことである。しかし、このような現状に小さな希望を与えている教授陣がいる。それが明治大学の教授陣だ。とかく若者の忍耐力の無さが指摘される昨今、明大教授陣は学生達に忍耐力をつけさせようと、日々授業の中で努力している。催眠術をかけているような語り口。壁画や古文書、もしくは落書きのような板書。これらはすべて「明大生にだけは、社会に出ても恥ずかしくない忍耐力をつけさせてあげたい」という明大教授陣の親心から来ているのである。しかし残念ながら、このありがたい親心は、明大生の心に伝わっていない。大学は学生の首に縄を括り付けてでも、授業に参加させねばならない。そして同時に、これらすばらしい授業の数々を全国的にPRし、明大教授陣の評価を、不動のものにしなければならない。
3 政治家養成論
日本国民の政治家に対する視線は厳しい。特に早稲田大学や、不祥事官僚を毎年多数輩出している東京大学出身の政治家の愚行には、目を覆いたくなる。このような腐りきった政界の中で、体や命を張って政務を行っている政治家がいた。それが明大出身村山富市元首相である。彼については「トンちゃん人形」や「まゆげ」しか印象に残っていないという人も多いであろう。しかし、彼は命を張った、すばらしい仕事を、世界を舞台にして行っていたのである。時は1994年7月にさかのぼる。この時、村山首相はナポリサミットの夕食会で下痢を起こし、入院してしまった。思慮の浅い、愚かなマスコミ達は、「体調の管理がなっていない」と批判した。しかしあの下痢には、首相の隠された主張があったのだ。諸外国から、市場の開放を強く要求されている日本。首相は外国の食べ物によって下痢になることで、外国からの食料品輸入にNOをつきつけたのだ。とかく、自らの保身と選挙しか頭にない現在の政治家に、このような自己犠牲の精神はあるのだろうか。答えは「否」である。それならば、明治大学は、村山元首相のような明大生を政界に送りこみ、日本の繁栄に貢献するべきなのだ。
4 芸能人獲得論
少子化が進む日本では、どこの大学も受験生の獲得に、血眼になっている。受験生増加策の1つとして、芸能人の獲得が挙げられる。早稲田大学:広末涼子、立命館大学:倉木麻衣。大学側は、芸能人をエサにして、受験生を獲得しようとしているのである。筆者はこの方法自体に、異議を唱えるつもりはない。しかし、早稲田に広末がふさわしいだろうか。答えは「否」である。大学は、自らの体質にあった芸能人を獲得しなければならない。その点、明治大学は、プロレス界から大仁田厚を獲得するという、自らの体質にあった、すばらしい補強を行った。これによって、明大への評価も、また1つ上がったであろう。しかし、このカンフル剤も一年もすれば切れてしまう。したがって、今後も明大は芸能人を随時獲得していかねばならない。まず始めに、以前替え玉受験で不合格にした、なべやかんを、三顧の礼をもって迎え入れなければならない。その後も、ケイン・コスギの獲得や、たけし軍団へ指定校推薦の枠を与えるなどの方法で、戦力を補強していくべきだ。明大は自らの体質にあった戦力補強で、明治大学の名を全国にアピールしなければならない。以上、4つの改造論を記した。筆者にこのような文章を書かせたのは、ひとえに明大に対する愛校心である。明大は「月月火水木金金」のスローガンの下、以上の改革を断行しなければならない。これらの改革が達成された時、我が明治大学は21世紀に羽ばたくお笑い大学として、永久に不滅となるであろう。
医療を受ける権利が保障されない国より
宇田川玲子(第4期)
『Beyond the State』第6号掲載
アメリカの医療費は高い、というのは聞いていた。ゼミで、“インフォームド・コンセント”(医療の場における患者と医師の関係)をテーマに各国の医療制度についても調べていた際にも、アメリカでは保険の上限額を超えてしまったので借金しながら入院している人もいる、などという話を読んでいたが、そのときは、それはきっと極端な例でいくらなんでもそんなことはないだろう、とたかを括っていた。そしてアメリカ南部の街、ニューオリンズに住む今、けしてそれが誇張でなかったことを肌身に感じ、人々の健康がおろそかにされている情況に驚愕している。アメリカは医療費がべらぼうに高いというのに、国民皆保険が無い国である。これは、保険会社の圧力と、一部の人が掲げる“自由”という標榜が妨げになって実現されていない。そしていうまでもなく、ブッシュ大統領の続投が決まって、ますますその傾向は強くなっていくのは目に見える。2004年大統領選の際に行われた10月13日のテレビ討論会で彼はこう言っている。
“I think government-run health will lead to poor-quality health, will lead to rationing, will lead to less choice.”
(政府主導の医療制度は、貧弱なクオリティー、制限、狭い選択肢を招く。)
“And just look at other countries that have tried to have federal controlled health care. They have poor-quality health care.” (“Debate Transcript”)
(政府主導のヘルスケアを行っている国を見て御覧なさい。それらの国のヘルスケアは、貧弱なクオリティーですよ。)
その上、ソーシャル・セキュリティー(国民年金)に市場経済を導入することに積極性を示している。余談だが、数ヶ月前にクリントン元大統領がテレビのインタビューに答えていた。その中で元大統領が、“医療保険、ソーシャル・セキュリティーを整備することが出来なくて、アイム・ソーリー”と言っていたのを見て、嬉しい驚きを覚えてしまった。というのも、本当にアメリカ人は謝らない!からである。責任が伴えば伴うほど。
さて、かくいう私もこちらでは病院、歯科ともにお世話になっている。まず、医者にかかりたい、と思ったら予約を取らなくてはならないので、電話をする。“予約の方は1番、薬剤師の方は2番・・・”録音音声に迎えられ、受付の“人”が出るまで、エレベーター・ミュージックを聴かされながら、忍耐強く待たなければならない。やっと繋がった!と思ったら、“ちょっと待って。”と一言いわれその後さらに何十分も待つことになることも、しばしある。この地で事務手続きを済ますのは一日がかり、いや、一日で終われば大分良いほうである。電話で、となれば尚更のこと。“こちらからかけ直します。”といわれてもまずかかってこないと思ったほうがいい。こうやって労力と時間が費やされ、フラストレーションばかりが溜まっていく・・・
医者にかかる、といっても、日本であれば鼻が悪ければ耳鼻科に行くが、こちらではまずプライマリーケアのお医者さんに行く。そしてそこで手に負えない、と判断されれば専門家へ回される。このシステムの難点は、なんといっても具合が悪いその今、診てもらえないことである。プライマリーケアの医者の予約が3日後、そのあと専門家の予約が1週間後からひどいときは数ヵ月後、そしてもしレントゲンをとることになったら、その予約がまた1週間後。弱った体でそんなに待てるか!と言いたくなるのは私だけではないはずだ。
さて、やっとのことで電話が繋がると、まず聞かれるのは、“どこの保険会社を使っていますか?”患者の健康より、とにかく金!というのを垣間見られる瞬間だろう。“そこの保険は扱っていません。”と断られたことだってある。歯医者は、また別の保険である。(眼科も、処方箋薬も別。)歯科疾病をカバーしない保険に加入している私は全額自己負担するのだが、その請求額にしばし言葉を失う。神経を取る根幹治療をすれば大体$500~800($1=100円で計算しても軽く5万円以上)、その後にするかぶせ物が$600。虫歯一本治すのに%1000以上(日本円で10万円以上)もする!
その上、点数制でどこの病院にかかっても同じ診察内容であれば同じ値段の日本とは違い、こちらの病院はそれぞれ独自に値段を決められるので、この値段だって一律ではない。(この点数制のため、日本では一人の医者が数多くの患者を見ないと採算が取れないという弊害もあるのだが。)そんな高額医療費に怖気づいてこない患者を呼び寄せるためか、雑誌などには“今なら歯のクリーニング、$200引き!”などという広告が載っていたりする。4500万人。アメリカで健康保険に無加入の人の数である (“Health Insurance”)。これは、経済的に余裕がなく入ることが出来ない人、それから経済的にはいくらか余裕があっても入ることが出来ない人がいる。 過去に何か大きな病気をしていると、加入を拒まれるからだ。
アメリカの健康保険は、政府管掌の物は、低所得者層を対象としたメディケイドと65歳以上を対象としたメディケアのみであり(“Medicare”)、他は営利会社、もしくは非営利法人によって運営されている。職場を通して加入できない人は、数ある保険会社の様々な種類のプランから個人の任意で選択して加入することになるが、もちろん、安いプランに加入すれば、その分かかることのできる医者や受けられる検査の制限が大きくなる。その上、支払額が一年の上限を超えたら、その後は自己負担しなければならない。糖尿病を患っている私の知り合いは、一年の限度額を超えてしまった為、今は自己負担で毎月$300ほどを目薬に費やしている。それから、加入前からある症状については支払いを拒否される。さらに、大きな検査や手術の際には前もって保険会社の承認が必要になるのだが、もちろんできるだけ支払いたくない保険会社が簡単に許可を下ろす訳が無く、私の友人は腰の手術を延ばし延ばしにされて、殆んど歩けない状態になるまで放っておかれた。このような制度のため、健康保険を持っていても、支払いのことが常に気になって病院にいくのを躊躇してしまう。治療費を考えるだけで、ため息が漏れる。こんな中で一体どうやって安心して医療を受けられようというのだろうか?
これを書いている今も、ルイジアナ州の知事が、下半期の予算削減を提案した。これによって一番打撃をうけるのは、ヘルス&ホスピタル局の1680万ドルと、大学などの高等教育機関1800万ドルの削減である (“Cut Budget”)。不平等がはびこり、格差は広がるばかりのアメリカの医療制度。富裕層は高額のプランに加入し制限の少ない、質の高い医療を受けられる。その一方、それに加入できない人の健康はおざなりにされる。そして保険会社の一存に人々の健康が左右される。今、ものすごく腫れている私の肩のMRI検査も保険会社の承認待ちである。もし認められなければ検査を諦めるか$1000以上する検査費を自費で払うほか無い。私の歯の治療も、一時中断中。ここには、健康で文化的な生活の保障、なんていうものは、ない。
参考資料
“Debate Transcript.” Commission on Presidential Debate. 13 Oct. 2004. 23 Jan. 2005
United States. U.S. Census Bureau. “Health Insurance Coverage: 2003.” 7 Dec. 2004 23 Jan. 2005
United States. Center for Medicare and Medicaid. “Medicare Information Resource.”16 Sep. 2004. 23 Jan. 2005
“Cut Budgets, Blanco Tells Agencies.” Times-Picayune [New Orleans, LA]14 Jan. 2005, A4