当研究室では、神経科学を専門とする研究者が記憶・学習メカニズムの理解を目指すとともに、得られた知見を基盤として認知症の記憶障害や依存症、統合失調症の理解を目指した研究を進めています。それぞれのスタッフは、分子生物学、組織化学、行動科学、光・化学遺伝学、電気生理学、脳深部イメージング等に精通しており、これらを結集するとともに新たな技術開発に取り組むことで、2019年の研究室発足からこれまでに、最先端かつ独自の神経科学研究を展開できる環境が整いました。さらに、大阪大学(医)、九州大学(薬)、名城大学(理工)、富山大学(医)/(薬)、名古屋大学(環境研)、京都大学(iPS研)、香港城市大学 等と協力することで、多彩かつユニークな共同研究を展開しています。当研究室にはこれらの共同研究者が頻繁に訪れ、研究内容や実験技術の開発についての議論を活発に行っています。大阪大学や名城大学 等からは、研究者や大学院生が複数回にわたり滞在し、技術習得や共同研究を実施しています。
当研究室では、脳の原理に関する独自のコンセプトを発信することを目指しています。我々の研究に興味を持つ学生さんの参加をお待ちしています。
記憶は、学習時や新しい経験時に活性化した脳の海馬に存在する神経細胞に獲得されることが明らかとなりました。この細胞は、“記憶痕跡細胞” または“エングラム細胞” と呼ばれています。
我々は記憶痕跡細胞の操作によって、異なる古い記憶を人為的に組み合わせ、新しい人工記憶を作り出すことに成功し、記憶が連合するメカニズムを明らかにしました。
さらに、神経細胞の活動を蛍光に変換することができる遺伝子改変マウスと超小型蛍光顕微鏡を用いて、自由行動中のマウスの海馬から記憶痕跡細胞に特有の活動を計測する技術を開発しました。これを利用し、記憶痕跡細胞が作る集団活動が新しい経験の前にすでに準備されていて、その後の経験を記憶する様子や、経験後の睡眠中や記憶の思い出しの際に再活動することで、記憶情報を表現・処理する様式を明らかにしました。
記憶は、経験中に感じた感覚情報が組み合わされることで構成されます。小説『失われた時を求めて』では、紅茶に浸したマドレーヌの味覚から、昔同じものを田舎町の叔母の家で食べたことを思い出すことで語り手に幼少時代の鮮やかな記憶が蘇り、物語が展開します。この例のように、写真や日記のような日々の経験のエピソードの記憶が脳に符号化される際には、新奇な経験中に多様な感覚情報が知覚され統合されることが必要です。一方で、近年、多感覚不全と認知症リスクとの関連が指摘されており、感覚が日々の記憶を含む脳の認知機能に重要であることも推測されます。
現在我々は、新たな経験中に感知した多感覚情報を統合し定着させる、海馬の記憶痕跡細胞や大脳皮質の複数の感覚野を含む脳の広域ネットワークの解明に取り組んでいます。このために、マウスの複数の感覚野や連合野を含む大脳皮質の広域の脳波を同時に検出できるシート型多点電極や、好みの皮質領野の活動を自在に制御できる新技術の開発を共同研究者とともに進めてきました。開発した技術を適用して、アルツハイマー病モデルマウスを用いた超早期認知症における感覚不全の発症の様式とエピソード記憶障害の検出法の開発も進めており、得られる知見を踏まえ、認知症の改善法の提案を目指した研究も展開していきます。
脳は、ある経験をした際の出来事の内容や、時間や場所の状況などの情報で構成される日記のような “エピソード記憶”を形成します。しかし、長期的に安定な強固に保持される記憶の情報は一部です。その中で、喜びや感動といった“快い情動”を含むエピソード経験が、忘れ難い記憶として蓄えられることは経験的に容易に想像できると思います。この快情動の要素を脳の神経回路に付与する物質が“ドーパミン”です。我々は、快情動の付加がドーパミンを介し強固なエピソード記憶情報を選択し長期的に維持する様式と、これを実現する脳の神経回路の解明を目的とした研究を進めています。このために、快情動を付加したエピソード記憶の行動実験システムや、ドーパミン神経細胞を標的とした活動操作法に加え、脳内で放出されるドーパミンのリアルタイム計測法を適用しています。この研究から、“忘れ難い強固な記憶情報の選択”という新たな記憶情報処理のコンセプトと、“記憶強化メカニズムの理解”による老化や認知症の記憶障害、依存症の治療のための効果的介入法の提案に繋がる成果が得られることを期待しています。
認知機能とは、記憶をはじめ、目の前の仕事や勉強に集中したり、物事の計画を立てたり、判断して実行する能力を指します。統合失調症の患者さんではこれらの認知機能の低下が見られ、社会復帰を妨げる大きな要因となっていることがわかっているものの、いまだ効果的な治療法が確立されていません。私たちは、認知機能低下のメカニズムを明らかにすることによって、有効な治療法の創出に貢献したいと考えています。
統合失調症では、言語性記憶・言語流暢性・注意・作業記憶・実行機能などの様々な認知機能に顕著な低下が認められています。その中で私たちは、作業記憶や実行機能に着目し、遺伝学的モデルマウスや薬理学的モデルマウスを用い、心理社会的ストレスによる影響も併せて検証することによって、認知機能低下のメカニズムを行動から神経活動レベルまで総合的に理解し、改善させる手法の探索を行っています。具体的には、薬剤の投与や特定の神経回路活動を人為的に操作する技術によってモデルマウスの脳活動に摂動を与え、認知機能(行動)・認知機能課題中の神経細胞の活動(行動を引き起こす神経活動パターンを探索)・神経細胞ネットワーク(形態から機能を推定し、障害部位を探索)への影響を解析し、認知機能の低下を改善させる手法の開発を目指した研究を進めています。これまでに、統合失調症モデルマウスの認知機能低下に関わる神経回路を同定し、その活動を人為的に操作することで、この操作中にだけ作業記憶課題の成績を改善できることを明らかにしました。今後、見出した認知機能改善の知見を患者さんの治療へ繋げることを目指し、同様の効果を示す候補薬剤の同定を進めていきます。