❖ 登川ガイド
❖ 登川ガイド
登川公民館
◎ 昭和56年(1981年)3月25日完成
◎ 建坪 1階 62坪 2階 94坪
元川(ムトゥガー)
井戸のない時代に祖先が初めて使用した川で、正月には若水を汲みお茶を沸かして仏壇にお供えし、またその水で顔を洗い年初の祈願をしました。
上神川滝泉
元川の源泉。元川から北西約300
mの場所に位置し、区内外から参拝
者が訪れる。(隣接する比嘉農園さんが通路や土手、井泉を修復。 以来現在も清掃や保守作業を継続してくれています。)
新川(ミーガー)
地理的便宜上、元川と同じ用途と
として新たにつくられた。
井泉の規模は元川とほぼ同じ。
ガンヤービラ(がん屋坂道)
昔、棺桶を運ぶガン(神輿/みこ
し)を保管する小屋(ガンヤー)が
あった坂道のことでガンヤービラと
呼ぶようになった。
部落建設の測量基点
約360年前に登川新部落建設の際
の印土手(測量基点)。 碁盤目状の区画整理がなされ現在でも整然としたいにしえの佇まいを残している。
タングァンマーチ(嘆願松)跡地
東の神(四隅神)の敷地内に植栽
された大きな松の木があった。
年間行事で毎回ウガンを行う際に
東方神へ嘆願する所でタングァンマ
ーチと呼ばれた。※現存の松は近年植栽されたもの。
東の神(四方神の一つ)
部落の繁栄、五穀豊穣、子孫繁栄
を願い部落の中央に位置する神殿
(クバヌニー)を中心に東西南北に
配置されている。
西の神(四方神の一つ)
部落の繁栄、五穀豊穣、子孫繁栄
を願い部落の中央に位置する神殿
(クバヌニー)を中心に東西南北に
配置されている。
南の神(四方神の一つ)
部落の繁栄、五穀豊穣、子孫繁栄
を願い部落の中央に位置する神殿
(クバヌニー)を中心に東西南北に
配置されている。
北の神(四方神の一つ)
部落の繁栄、五穀豊穣、子孫繁栄
を願い部落の中央に位置する神殿
(クバヌニー)を中心に東西南北に
配置されている。
クバヌニー広場(久場根広場)神アサギ
登川の守護神(神名:コバツカサの神様)が祭られているお宮で久場ヌ根(クバヌニー)と呼ばれている。年間行事の御願は最初に守護神に礼拝、報告を行い各拝所を拝むことになっている。
ウカマ(御釜)
九月九日は火の御願で、これから
冬を迎えるにあたり火の災難にあわ
ないように祈願をするお釜。
ウズミグムイ(大きな池)
ウズミグムイは、昔池原の部落が登川にあったころに造られた当時2000坪もある大池で、農業・防火用水に利用され、また、鯉も沢山いたので産後の滋養や疲労快復の食用として利用された。
スクブ御嶽
登川1丁目の住宅街に位置し、池
原自治会の拝所とされる。(この付近に池原の古い村があったという記録が残されている)。 登川自治会は、旧暦2月吉日に二月御願(ニングァチウガン)に参拝する。
忠魂碑
忠魂碑は国のために戦争で犠牲に
なった兵士の魂を供養する意味で、
全国各地の学校や役場の敷地内に建
てられた。県内において奉安殿とと
もに保存されている事例は沖縄市だ
けであり、平和を考えるうえできわ
めて貴重な文化財である。
奉安殿
奉安殿は天皇・皇居のご真影を保
管し奉る建物であり、教育勅語の発
布と前後して全国の学校に建立され
た。現在、沖縄県で完全な形で残っ
ているのは2か所ほどである。
登川記念碑
元文4年(旧暦8月15日)に池原から分離した時の記念碑。登川は、当初、池原から元島に数世帯が移り住んだといわれています。 その後、元島から現在の場所に移り住む際に、さらに池原から数世帯を加えて、登川が創立されました。この碑は、それを記念して西暦1739年に建てられました。当時沖縄で盛んに行われた集落移動を記した貴重な記念碑です。