この研究は、フィリピン・マニラ首都圏における若者気候アクティヴィズムを対象とする。マニラという大都市で暮らす中間層の若者が主導する気候アクティビズムは、彼らの日常において「自然」との関わりがほとんど見受けられない現実を踏まえるならば、気候正義のイデオロギーに染まった理論先行の運動としてしか理解できないかもしれない。けれども、自然というものを、人間が対峙する客体や、人間が一体化すべき調和的全体としてではなく、人間を取り巻くあらゆる物事としてフラットに捉えるならば[cf. T. モートン『自然なきエコロジー』]、彼らの運動の意義をより深く理解できるように思われる。彼らは、運動の内外において、有形無形の様々な物事――家庭や学校、ソーシャル・メディア、政治経済的な雰囲気、交通インフラ、未来のイメージ、音楽、都市の景観、イデオロギーなど――に取り巻かれながら独特のムードを伴った日々を送っている。ここにおいてアクティヴィズムとは、そうした物事に取り巻かれる中で生起する不安や恐れや高ぶりなどの情動に動かされながら、何らかの意味で望ましいものへと環境を作り変えんとしてそれら取り巻く物事に働きかける実践だと言えよう。おそらく、ここで言う「取り巻くもの」においては、ヴァーチャルなものとアクチュアルなもの、時間的なものと空間的なもの、遠いものと近いもの、大きなものと小さなものなどの別は本質的には問題にならない。このような視座に基づく本研究の目的は、長期のフィールドワークを踏まえて、現代フィリピンの若者気候アクティヴィズムにおける「取り巻くもの」の政治の実態を――今日の環境危機におけるその意義と限界を見極めつつ――民族誌として描き出すことである。
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