Research

EPAやDHAなどのオメガ3多価不飽和脂肪酸はどこから来るのか?

海洋を含む水圏生態系には,陸上とは大きく異なる栄養特性を示す生物が無数に生息しており,その最たる例が様々な脂質の主要な構成成分である脂肪酸です.多くの脂肪酸の中でもとりわけ,分子中に二重結合を二つ以上有する多価不飽和脂肪酸(Polyunsaturated Fatty Acid, PUFA)の組成は,陸上生物と海洋生物の間で大きく異なります.特に,ヒト含む多くの生物にとって生理学的に重要なエイコサペンタエン酸(EPA)やドコサヘキサエン酸(DHA)等の炭素数20以上のオメガ(ω)3 PUFAは,そのほとんどが海洋由来となっています.

私たちが普段口にするイワシやサバ,マグロなどには豊富EPA・DHAが含まれ人類の健康維持に重要な役割を果たしていますが,実はこれら生物は自らEPA・DHAを生産しているわけではありません.海洋生態系においては,植物プランクトンなどの微生物がEPAやDHAを含む多様なω3 PUFAのほとんどを生産し食物連鎖の過程でこれら脂肪酸がより高次の消費者へと濃縮されると考えられています.このことはω3 PUFAを生産する微生物たちの存在量や,そのω3 PUFA生産の変化が魚類など食物連鎖の上位に位置する生物獲得・蓄積するω3 PUFA量に大きく影響することを意味しています. 

これまで動物はごく一部の原始的な生物(線虫)を除いてPUFAを自ら生合成できないと信じられてきました動物は種により微細藻類などから供給されたPUFAを必要に応じて別の脂肪酸に転換(Trophic upgrading)するのみであり呼吸や異化作用などにより生態系全体におけるPUFAを減少させることはあっても新たに作り出すことはないというのが通説ですしかし私たちのこれまでの研究によりサンゴやイソギンチャク(刺胞動物)貝類やイカ・タコ(軟体動物)ゴカイやヒル(環形動物)ワムシ類(輪形動物)カイアシ類(節足動物)など海洋に広く分布する様々な無脊椎動物がPUFAを自ら生合成するための機能的な酵素「ωx不飽和化酵素」を保持することが明らかとなりましたこのことはこれら生物群が海洋におけるω3 PUFAの一次生産者たり得ることを示しておりこれまで考えられてきた海洋におけるω3 PUFAの由来について大幅な見直しが必要となっています

GENERAL CONCEPTS

海洋生物のPUFA生合成能は,その食性・生息地・生活様式・進化など複雑な要因により,種や分類群ごとに高度に多様化しています.我々は,魚類や無脊椎動物など多種多様な水生生物を対象とし,脂質成分の分析や,PUFA生合成に関わる様々な酵素遺伝子の単離および機能解析,飼育実験などを組み合わせることで,そのPUFA生合成能の全容を解明することを目的としています.また,各種動物が有するPUFA生合成能が生態系に実際にどの程度のPUFAを供給可能か,すなわち動物が微細藻類などと同様,「PUFAの一次生産者」として機能し得るか明らかにすることを目指しています.さらに,得られた基礎情報を元に,対象生物を飼育する上での必須脂肪酸の予測,新たなPUFA生産技術などの開発も行っています.

ON-GOING PROJECTS

海洋生態系において無脊椎動物は非常に重要な役割を担っており,特に低次消費者である植物食性の種や,分解者と呼ばれるデトリタス食性の種は,一般的に存在量が多く,魚類含む様々な消費者にとって重要な餌生物となっています.多くの場合は,EPAやDHAを豊富に含んでおり,PUFAの一次生産者である植物プランクトン等から,魚類などへこれら脂肪酸を受け渡す重要な働きを担っていると考えられています.これまで,多くの無脊椎動物は元来信じられてきたPUFAの一次生産者である植物プランクトンなどが生産したEPA・DHAを,捕食によって蓄積しているのみと考えられてきましたが,我々の研究成果により,無脊椎動物の中でも特定の分類群では,一次生産者と同等のPUFA生合成能を有していることが明らかとなっています.ゲノム編集技術およびRNA干渉等を用いた各種PUFA生合成関連酵素遺伝子の発現量操作,安定同位体標識脂肪酸等を利用した体内での脂肪酸代謝解析,飼育実験等の組み合わせにより,これら無脊椎動物たちが植物プランクトン等と同様,ω3 PUFAの一次生産者として機能し得るかを解明します.

現状,人類が直接的あるいは間接的に摂取しているEPAやDHAのほとんどは天然魚由来となっており,今後の人口増加に伴いEPAやDHA不足に陥ることが予測されています.そのため,新たなEPA・DHA供給源として微細藻類の培養や,遺伝子組換え技術の利用など様々な技術開発が進んでいます.本テーマでは,PUFA生産能を指標にEPA・DHA生産に適した小型無脊椎動物種を選択し,当該種の大量培養法を確立することで,新たなEPA・DHA源を確保することを目指します.

魚の養殖技術開発では,対象魚種の必須栄養素を把握し,適切な飼餌料を用いることが求められます.これまで必須栄養素の決定には,様々な栄養組成の試験飼料を複数作成し,給餌試験を繰り返すことが求められました.一方,遺伝子解析技術の進歩により,魚の栄養素生合成系をより直接的に解析することが可能となっています.本テーマでは,EPAやDHAの生合成に関わる各種酵素遺伝子の機能解析を行うことにより,飼育実験を一切行うことなく,対象魚種の必須脂肪酸を決定することを目指します.この手法により,そもそも利用不可能な飼餌料を事前に炙り出すことが可能となり,飼育技術開発の大幅な効率化を図ります.