●●●最終講義にご参加いただいた皆さまへ(2021年4月7日)●●●
年度末のあわただしい中、2021年3月9日の最終講義にご参加いただき誠にありがとうございました。最終講義に寄せて大勢の方からメッセージを頂戴致しました。最終講義の準備をしながら拝見し、暖かいお言葉に手が止まってしまったことも何度もありました。本来ならばおひとりひとりにお礼状を差し上げるところですが、ようやくメール環境が整ったのを機に近況などお知らせして、お礼の言葉に代えさせていただきたいと思います。
最終講義の翌週に企業との共同研究「モビリティ基盤数理の研究」の報告会がありました。大変革期にある自動車業界が直面する社会変化・技術変化をまとめてCASE (Connected Autonomous Shared Electric)ということがありますが、このうちコネクテッドはネットワーク上を刻々と変化する情報流をデータを通じてリアルタイムで扱おうとするもので、最終講義にでてきたデータ行列の特異値分解やソリトン性をもつ多体粒子モデルが大活躍するはずの沃野です。研究開発の方向を決めるような今後の成果に期待しています。
さて、4月1日を迎えました。この日は大阪中之島のグランキューブ(大阪国際会議場)で大阪成蹊大学と同短大の入学式に参列しました。コロナ禍のため、ご父兄の姿はなく、テープから流れる学園歌を聴くだけでしたが、それでも新入生の宣誓には溌剌とした生気を感じました。私もあの頃の気持ちにもどって最初の講義に備えたいと思います。
これまでのご厚誼に心から感謝申し上げます。どうもありがとうございました。
●●●オンラインによる最終講義の挨拶(2021年3月9日)●●●
本日は135人のご参加をありがとうございます。また、大勢の方からメッセージをいただいたこと心より感謝致します。メッセージを読み、思い出しながらのプレゼン資料作成はとても楽しい作業でした。オンラインだからこそ学生さんを含む全国からの大勢の方への最終講義とメッセージ拝読ができているということもいえます。コロナが収まったあとも、案外、こんなスタイルが定着していくのかもしれません。
最終講義では、研究との出会いから始まって、どうやって研究を進めてきたかを振り返るのが通常ですが、私も先輩方にならってそんなスタイルで進めさせていただきます。
最終講義 「ソリトンの彼方にみえたもの」(60分)
ZOOMオンライン送信のあとで、こうして花束を研究室で受け取ることができ、京大での最高の思い出になりました。今日の最終講義のお話ですが、そもそも時代が違うし、ある種の偶然や幸運がたくさん起きていますので、あまり皆さんの参考にはならないと思います。ただ、偶然を呼び込むためのポジティブシンキングは参考になれば幸いです。お世話になりました。
ご静聴どうもありがとうございました。
●●●(退職をひかえた)専攻会議での挨拶(2021年3月8日)●●●
私は17年間いくつかの大学で修行した末に20年前に京都大学に戻りました。その時は浦島太郎になった気がしたものですが、それからの20年の変化の方がはるかに大きかったと思います。
おそらくこれからの5年、10年で国立大学のマネジメントにはもっと大きな変化があるものと思います。変化の大きな時代は、浮いたり沈んだりとたいへんですが、とても面白い時代でもあります。どうか頑張って下さい。
●●●大学について思うこと(2020年10月1日)●●●
■1.「普遍的な価値」を探求する大学
1897年(明治30年)6月18日,本学は京都帝国大学として誕生した.設立の任にあたった当時の文部大臣西園寺公望は,政治の中枢から離れた歴史文化首都の京都こそ学問の発展に欠かせない多様な研究を自由に行うにふさわしいという先見性に満ちた思慮の結果と伝えられている.これを受けて,初代総長の木下廣次は,「自重自敬」,「自得自発」という言葉で本学設立の心得を説いた.爾来123年,行政に長けることより学術研究の進展に重きをなすことを選び,矜恃をもって「自由の学風」を継承してきた.今や,京都大学は,我が国だけでなく世界の学術の府と言われるまでになっている.
折田彦一初代第三高等学校校長は「為さざることによって為す」と言ったが,京都大学で押し進めるべき教育や研究は,目前の関係者の利害を超える(為さざる)ことによって「普遍的な価値」を探求する(為す)ことではなかろうか.「京大らしさ」なるものは京都大学だけではなく他の大学にとっても意味のあるある種の普遍性をもつ.人類が取り組むべき重要課題は,すでにどれも国境を越えてしまっている.卑近な関係者の利害にとらわれないことで斬新な試みが可能となる.それには大学はとりわけ多様性を保ち学際的な視点を重視することが求められる.京都大学は,新しい発想,新しい価値を生み出すとともに,地球社会の観点から人類的課題に取り組む有効な専門的方法論を見つけ出し,それを実行することができる専門人材を社会に送り出すことを目的とする大学であるべきであろう.これは決して独善ではなく京都大学への期待でもある.京都大学はそのような目的を示し,かつそのことにより社会から支えられるものでなければならない.
第三高等学校の前身の第三高等中学校が大阪から京都に移転した際の京都府の支援に加えて,20世紀初頭の京都帝国大学の北部キャンパスの取得にあたっては京都市から支援があった.東京帝大とは異なる「自重自敬」,「自得自発」という本学創設の理念はよく知られているが,地域社会と深い関わりをもつこともまた大きな違いである.
2001年制定の京都大学の基本理念には
・卓越した知の創造を行い
・卓越した知の継承と創造的精神の涵養につとめ
・自由と調和に基づく知を社会に伝える
と謳っている.ここでいう知には,個々の発見,発明や技術開発に向かう卓越の知とともに,諸々の相矛盾する要素を総合的に結びつける調和の知,総合の知を含んでいる.折に触れて原理に立ち戻って考えることで,自ら新しい発想を生み出す力を得ることができる.
「京大らしさ」として求められているのは,(それ自体が目的化したようにみえる)他者との対峙ではなく,また,外部の時間(短期的スパン)に教育・研究の時間(長期的スパン)を合わせるのでもない.新しい時代における京都大学は,学術の進展に寄与する優れた教育,未来社会を創生する研究,そして,持続可能なマネジメントによって社会から支えられ発展していく大学であってほしい.
■2.大学のマネジメントについて思うこと
大学のマネジメントは,通常,①教育,②研究,③人事, ④計画・意志決定・執行,⑤経営からなる.京都大学では,2004年の国立大学法人化後も,部局教授会と教育研究評議会が①教育,②研究を担当している. 2016年度より(全学教員部を除けば)学系会議が③人事を司るようになったが,教員選考においては専門家集団である部局教授会が実質的に掌握している.大学執行部(総長・理事・副学長・理事補等)は④計画・意志決定・執行に責任を負っている.経営協議会と監事が⑤経営の責任を担っているが,現状は大学執行部からの報告と意見交換の場にとどまっている.大学全体の組織運営に責任を負うのは大学執行部であるが,基本理念に「教育研究組織の自治を尊重する」とあるように京都大学では伝統的に部局の発言力が強い.大学全体のマネジメントによって部局の教育と研究をいかに良くしていくかが求められる.
国際的なアカデミック・キャピタリズム(大学資本主義)の進行にやや遅れる形で2004年度に実施された国立大学法人化によって財務構造は大きく変貌した.積算校費制から教育研究基盤校費(運営費交付金)に変わり,予算がいくぶん自由化されたと同時に国からの安定的な保証が解除された.この結果,教員人件費を含む運営費交付金は一定の割合で徐々に減額され,外部資金や競争的資金の割合が高まった.実際,京都大学の2004年度の運営費交付金は641億円,受託・共同研究費は102億円であったが,2018年度はそれぞれ552億円,317億円である.運営費交付金は平均して毎年1%削減されてきたことがわかる.教員一人あたりの学生数や学生一人あたりの経費を一定と考えるなど単純化すれば,運営費の削減は新たな事業を展開して予算獲得しない限り,学部・研究科は継続して学生と教員の定員を削減しなければならないことを意味する.
京都大学の場合,運営費交付金の削減を受けての雇用抑制(人件費の95%シーリング)だけでなく,「外国人教員100人雇用」を目的とした再配置定員の人件費捻出のための教員定員の削減もあった.このため,2019年の定員内教員の総数は2004年の88%となった.教員人事への影響は,定員内教員に占める若手(ここでは40歳未満)教員の割合は30.9%から16.8%となったことから推し量ることができる.これが博士課程の人材育成に,とりわけ,学部卒業者のうちの博士進学者の割合の急減という形で影を落としているのではないか.研究と人材育成における閉塞感を打ち破るには若手教員を積極的に登用する以外にないのではないか.最近では運営費交付金は下げ止まってきているものの教員定員の削減は継続されている.財務構造の弱体化のもとで教員定員の削減を中心とした対応だけでは,現在は踊り場にいたとしても,いずれ負のスパイラルへの突入は避けられないであろう.
京都大学では、運営費交付金の削減を受けて導入された雇用抑制と教員定員の削減の結果、定員内の教員数,とりわけ若手の教員数が減少を続けている.また,18歳人口の減少の中での「国立大学の適正な規模」の論議は,いよいよ学生定員の削減も俎上にあがってきたことを示している.大学院学生定員については既に全国的な減少傾向に転じている.また、京都大学の「インフラ長寿命化計画」では,「建物のトリアージ」として維持・改修にコストのかかる教育研究スペースを徐々に減らしていくことが想定されている.このように国立大学は規模の縮小を念頭においた改革のフェイズに入っているといえる.これまでの大学改革は概算要求の採択や補助金の獲得を前提とすることが通常であった.予算増によって教員ポストや学生定員を増やし大学を規模拡大してきた.大学全体の縮小局面での大学改革は初めてではないか.
縮小の進め方には大きく分けてダウンサイジングとリストラがある.ダウンサイジングとは組織の規模を小さくすることを指す一般的な用語であるが,ここでは単純で一律の規模縮小を意味するとし,それとは別に,組織の再編(分割や合併)などを伴う資源配分の見直しをリストラということにする.リストラには組織の痛みを伴う.ゆえに部局の教育研究の維持発展がマネジメントの中心になる京都大学ではリストラは困難ということになる.そこで,これまでは,ダウンサイジングで資源を一律にプールした上で「再配分」することで結果的にリストラに近い効果をねらうような政策がとられてきた.それには公正性,公平性,透明性,信頼性の高い学内の意志決定プロセスが極めて重要となる.「まだ余裕があるから大丈夫」というものではないだろう.
最近,首都圏を中心に教育環境の改善のためとして「授業料の値上げ」を行った国立大学も複数あるが,その後の入試倍率の動向など注意すべきポイントは多い.また,2020年3月に文科省より国立大学による債券「大学債」の発行要件を緩和する方針が示されたが,収入で償還できる案件には利用できても,若⼿研究者や教員の採⽤・育成,研究施設の拡充等に活用できる制度にはなっていない.アカデミック・キャピタリズム的体制の中ではとりわけ外部資金の獲得が重視されることになるが,基礎分野を含む大学全体と部局の利益を調和させることが求められる.注意すべきは,未だアカデミック・キャピタリズムが,知と学問の公的体制で重視されてきた研究や学術への信頼に取って代わったわけではないことである.我々京都大学の研究者は,知と学問の公的体制に軸足を置きつつもアカデミック・キャピタリズムとの適切なバランスをとりながら日々の教育・研究活動にあたっていく必要があろう.
それゆえ「真に教育と研究に資するマネジメント戦略の構築」は本学の最重要課題といえよう.単純な縮小均衡モデルではなく,教育研究の国際化,産学連携創出,教育・入試,教員選考以外の教授会機能や人事・給与・勤務に関する事務機能の弾力化等の積極的な機能強化策を伴った総合的なマネジメント改革構想として臨むべきと考える.企画,提案,実行力のある大学をめざしてほしいものである.
■3. 大学の国際化について思うこと
2019年11月1日,文部科学省から大学入試共通テスト(大学入試センター試験の後継)における英語民間試験の利用を見送るとの通知があった.2021年度入試から英語4技能のうち「話す力」「聞く力」をみるための民間試験の導入が決まっていたものが土壇場で延期されたのである.これを受けて11月29日,京都大学でも,「大学入学共通テストの外国語において英語を受験した出願者に、CEFR(Common European Framework of Reference for Languages)の尺度においてA2以上の英語の言語運用能力を有することを確認する」と予告していた部分を撤回した.この間の混乱ぶりは折に触れて報道されている.民間試験の結果を大学入試に利用することについては,目的や内容が異なる複数の試験の結果を比較できるかとか,住んでいる地域等によって民間試験の受験機会の公平性が担保されていないことなど検討の初期に指摘されていた課題が解決できないままの延期であった.
この件については感じるのは決定プロセスにおける「手段の自己目的化」である.高大接続の論議では,センター試験のみで合否が決まる入試を実施している大学が多くなっているという背景のもとで,「大学入試が変われば高校教育は変わる」「高校の英語教育が変われば日本人の英語力が変わる」と推論を進め,毎年50万人が受験する大学入試センター試験で英語民間試験を利用すれば日本人の英語力が向上するとの希望的推論を行ったものと考えられる.その結果,英語力向上として検討された手段の一つに過ぎなかった英語民間試験の50万人規模での利用が自己目的化され,各方面や現場からの問題点の指摘に土壇場まで耳を傾けることがなかったことこそが混乱の本質と思われる.大学の一層の国際化は不必要と言い切ることは誰にもできない.しかしながら,結果を急ぐ余りの「手段の自己目的化」はいましめなければならないであろう.
京都大学では「外国人教員100人雇用」を目的とした教員定員の削減を行ってきた.「学部共通教育の必修科目の30%を英語で行う」ことを京都大学の国際化の手段とし,その実現のために広く全学の部局の規模をダウンサイジングし,学部共通教育の担当者として外国人教員を雇用を急拡大させたものである.しかしながら,仄聞したところでは,その後も英語による授業科目の履修者数は思ったほど増えず,入学後のTOEFL-iBTの低下傾向にも十分な歯止めがかかっていないようである.
京都大学の一層の国際化は必要である.しかし,京都大学のマネジメントとして教員の定員削減の副作用が顕在化しているだけに,国際化の手段を外国人教員の大量雇用に絞り込んでしまったことで,逆にそれが自己目的化してしまったとすれば問題であろう.
一方で,海外の研究大学とのダブルディグリーの実施により教員定員の純増を得ている研究科も複数ある.関係者の苦労も耳に入らないわけではないが「普遍的な価値」を探求する本学にふさわしい国際化の進め方ではなかろうか.学年歴の見直しによるクォーター制の導入を含めて,京都大学の国際化については多様な視点と方法をもちたいものである.
■4. 新しい産学連携を通じた基礎研究の強化について
京都大学のマネジメントとして産学連携について考えてみたい.かつては企業が成長するためにはどのような研究開発をすれば良いかは,お手本になる企業が国内外にあったためか,はっきりしていた.その上で,社内でできないことを大学・研究室に依頼する,解けない問題を持ち込むといった産学連携が頻繁に起きていた.
しかし,現在の産業界,とりわけ情報化が進んだ産業界が大学に求めているのは,そのような形ではない.新しいビジネスモデルに結びつくような価値を創造するためにはそもそも何をすればいいのか,というところから一緒に考えたい,という産学連携も出始めている.別の言い方をすれば,データやソフトウエア,アルゴリズム,研究開発のための知識と頭脳といった無形資産を活用することで高まる企業価値の創造である.筆者が京都大学の学際融合教育研究推進センター長を務めていた時に,ある企業から「快適さとは何かについて考えたい」という申し出があって,心理学系研究者が集まる文理融合型の学際ユニットを紹介させていただいたことがある.
最近,筆者は直ぐにビジネスにつながるかどうか判断できなくても基礎研究が長期的には将来の我が国を支えるものになるという企業の真摯な姿勢を知って学際センターに「モビリティ基盤数理」研究ユニットを立ち上げた.これは,京都大学を中心とする50名ほどの数学者・アルゴリズム研究者が,ある大手自動車会社と共同研究を通じて,「分散性、安全性、⾼速性、弾⼒性、低コストといった特徴をもつネットワーク上でヒト、モノ、情報が自由に動く多様で豊かな未来都市の基盤となる「モビリティ数理プラットフォーム」の構築を進めようとするもので,基礎科学と基幹産業のこれまでにない産学連携として各方面から注目されている.公式資料としては,2020年3月10日の京都大学のホームページ(以下のURL)を参照されたい.
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/events_news/department/gakusai/news/2019/200201_1.html
これは⼯場などモノへの投資を成⻑エンジンにしてきた⽇本の製造業にとっても大きな転機となるものである.GAFA(米国の巨大IT企業)型への変化が加速し始めたとみることもできよう.最近のテレワークやデータセンターの需要拡⼤はこのような流れを⼀段と加速している.
縮小局面における大学にとって,このような産学連携を通じて民間からの研究資金が大学に入ってくるサイクルをつくることで,結果として,基礎科学の研究基盤を安定化させたいと考えている.何をすればいいかから考えるには自由な発想で研究を行う大学の強みがものをいう.大学と企業の強みをうまく組み合わせ,学内外の研究者ネットワークをフルに活用することで大学が新しい価値を創り出していく.「卓越した知の創造を行い,自由と調和に基づく知を社会に伝える」という京都大学の基本理念とも合致する.本学のマネジメントとして,そのような組織的な研究体制は大きな発展性をもつと考えている.
■5. エフォート率と学系制度に基づく教育と研究の強化について
京都大学のプロボストオフィスからだされた「大学及び各部局の教育研究のあるべき将来像」(2019年12月)において,「国立大学の適正な規模」の検討の入口を「教員の教育・研究・運営・社会貢献等のエフォート率」に定めている.ミッションの違いから部局ごとの教育,研究,その他の活動のエフォート率の適正値は異なる.教授・准教授・助教の職種ごとにも,若手か否か,任期付きか否かでも適正値は当然ながら違ってくる.このためエフォート率の適正値は使い易い指標とは言えないが, 2018年度の教員評価において部局ごとに記録された現状のエフォート率と部局や教員本人が考える適正値との比較であれば可能かもしれない.
今後の組織運営において,人事制度とも関連して,「教員の個性や特性に合わせた適切なエフォート率の設定」という考え方を導入してはどうだろうか.エフォート率に基づく新たな教育研究の改善の方策として,若手教員が一定期間研究に専念したり,シニア教員が教育において持ち味を発揮することを制度的にエンカレッジしてはどうだろうか.
(i) 京都大学の目的である「普遍的な価値」の探求の観点から,(35歳未満の)若手教員の研究エフォート率が適正値に対して有意に低い場合は,希望すれば、サバティカルイヤーを取得できる,または,業務を一部緩和して研究エフォート率を高めることができるよう配慮してはどうか.
(ii) (教育に関する適切な評価基準・方法や教員にとってのモチベーションの導入が前提となるが)当該教育組織の教育の質の一層の改善を目的として,適正値より高い教育に関するエフォート率を希望して教育組織から認められることで,一定期間,教育エフォート率を高めることを可能としてはどうだろうか.
ひとつの教育研究組織の中で(i)と(ii)をバランス良く実施することが基本である.大きな教育研究組織では現在でも可能であろう.小さな単位の場合には「学系制度」の効果的な利用が考えられる.すなわち,形式的には「教員は学系に所属し教育研究組織に配置されている」ことを利用して,所属学系を変えることなく,配置先となる教育研究組織を時限つきで変更することで(i)と(ii)を実施し,本学の研究力と教育力を同時に強化することが可能となる.これには十分な準備が必要であるが,中小規模の教育研究組織が多いという京都大学の特徴を最大限強みに変えうる施策としてぜひご検討いただきたい.
■6. 教育におけるダイバーシティの増進
本学は総合大学ではあるが,学内に芸術系やデザイン系の学部・学科はなく,芸術及びデザインに関する専門家の育成は難しい.わずかに情報学研究科・工学研究科・教育学研究科・経営管理大学院による「デザイン学」博士課程教育リーディングプログラムが実施されているところである.過去の知識や経験がモノを言う研究ではさほど重視されなかったデザイン力であるが,例えば,データサイエンスでは,データをどう活用するか,データのもつどのような情報を引き出すかのデザイン力・設計力が要求される.一方,芸術は人が人らしくらしく生きていくのに欠かせないものである.教育においても,芸術の要素は,例えば,人工物の可視化や人間の感性や心を対象とする大学院教育において必要である.このように,大学院横断型教育において,多様性とバランス感覚に優れた人間的感度を培う様々な芸術及びデザインに関する科目を開講することにより,確かな基礎学力,高度な技術力と広い視野に加えて,豊かな創造力,柔軟な発想力を兼ね備えた専門人材の育成が可能となろう.芸術やデザインを例示したが,総合大学の京都大学においてもまだまだダイバーシティ(多様性)が十分とはいえない.
AIやロボットがになうことのできるのは既知のデータをうまく組合せ,その奥に潜む情報を引き出す仕事である.しかし,多様な知識を総合して新しい概念や価値を創成するような「無から有を生み出すこと」は人間のみができる.この不連続的な創造の力は,効率や純度の追求で身につくものではなく,ダイバーシティのある大学教育の中でこそ育まれるものではなかろうか.このところ,学部共通教育・専門教育では履修科目を絞らせて科目あたりの学修時間を確保する施策が推進されてきた.学部教育の基礎を固めた上で,大学院教育におけるダイバーシティの一層増進は,「創造的精神の涵養につとめ」という京都大学の基本理念とも合致し,学生の自発的に学ぶ力や向学心を高め,教育における閉塞感を打ち破るのではなかろうか.1990年代半ばの大学院重点化の際に置き忘れた社会の中で学位がいかに位置づけられるべきかといった大学院教育のあり方の課題にようやく答えることになりうる視点である.
このHPでは,進学先として徐々に京都帝国大学の割合が増えていった旧制第三高等学校の時代に育まれた京大らしさについても触れているが,決して旧制高校のエリート主義や教養主義への回顧を願っているわけではない.個々の科学的真理をどこまでも探求し追求することとともに,知識を各分野にわたって総合しかつ組織化することもまた重要であると考える.高度に専門的な知識や技術を探求すると同時に,将来いかなる専門家や職業人になるにしても,ダイバーシティのある大学院教育を通じて文化や社会の全体構造の中で他者と広くつながり,新しい価値を創生する力をつけさせることこそが,ポストコロナ社会の「新しい生活様式」における京大らしさではないだろうか.
■7. コロナ対策が残すもの
1.国立大学法人は,学校教育法によって義務化されている「自己点検・評価」,教育活動を中心とする「大学機関別認証評価」に加えて教育研究等の質の向上や業務運営等に関する6年ごとの「法人評価」を受審することとなっている.2019年度は第3期中期目標・中期計画期間(2016-2021)の4年目のため教育と研究に関する現況調査表の提出が求められ,機関別認証評価の受審とも重なり,評価に関するいわば「当たり年」のはずであった.ところが,2019年春には,部局ごとに定めた第3期中期目標・中期計画期間中における評価項目の見直しが行われ,新たに予算措置された事業に関するいくつかの評価項目が追加された一方,それ以外の評価項目については部局行動計画の達成状況報告が不要となった.いささか拍子抜けであるが,考えてみれば,開始以来12年を経て「法人評価」が通常業務の一部になっただけなのかもしれない.運営費交付金の傾斜配分「成果を中心とする実績状況に基づく配分」 という別の評価に軸足が移りつつあるという見方も可能だが,いずれにせよ,手段に過ぎない評価尺度を気にしてそれに過剰適応するのは「京大らしくない」だろう.
2.さて,2020年前半は新型コロナウイルス感染症(以下,コロナ)への対策で様々な影響がでている.日常的にはテレワークによる在宅勤務が一気に進んでいる.遠隔講義,遠隔会議などこれまでにない業務が発生して戸惑いや不安の声を聞くが,その一方で,優先的な業務の洗い出しによって,逆に不急の業務や必要度の低い業務,必要最小限でもマネジメント上全く問題のない業務が少なからずあったことに気づく.
大学における「新しい生活様式」として,コロナ禍の収まった後も,遠隔会議を残したり,会議や議題を減らすことで,教員が研究時間を確保し,研究に注ぐ熱量をもっと大きくできるのではないか.今こそ「研究重視」をかけ声だけに終わらせてはいけない.例えば,学年歴の見直しによるクォーター制の導入で教育活動のメリハリをつけ,さらに,遠隔会議をうまく活用することで,実質的なサバティカル研修の実施が可能となり,結果として,教員が研究に専念できるまとまった時間を確保することが可能になる.
事務の現場についても同じことがいえる.在宅勤務やテレワークのメリットや課題の実感したことで,考え方や仕組みを変えることで,不要不急の業務や必要度の低い業務を減らし,事務職員が優先的な業務にかける時間をもっと大きくできるのではないか.
3.コロナは大学にとっても今後に生かすべき教訓と経験を残すだろう.ポストコロナ社会において大学はどのような場になっていくだろうか.おそらく,オンライン・オンデマンド講義や遠隔会議の導入を経て,大学の変化のスピードが大きく加速されるだろう.社会は既にインターネット上にある膨大な情報にいかにアクセスし利活用できるかが問われるようになっている.インターネットを使ったコミュニケーションではむしろ若者に学ぶことが多い.遠隔講義で手探りで導入した双方向のやりとりやひとり一人をみた教授法をコロナ後の教育に残していくなど,コロナを大学教育の考え方や仕組みを変えるきっかけとできないだろうか.学生が指示待ち型から脱皮する機会ととらえることはできないか.
4.しばらく前までは,「○○ファースト」といった自らの利益を最優先とし,他者への批判を繰り返す空気が国内外・学内外に満ちていた.その根底にある当事者意識の欠如は深刻な閉塞感を引き起こす.コロナは,世界規模での感染拡大に対する出入国の制限によって研究活動にも大きな影響を与えている.国内対策として人と人との接触機会の8割減が求められ,入学後もほとんど登校できない新入生,対面授業の停止の継続など教育面での大きな制約をもたらしている.交通・飲食・宿泊・観光・生産など就業と経済の両面で社会に多大なダメージを与えている.回復まで1年から2年がかかるという悲観的な見通しすらある.コロナは他者と共存し共栄することの大切さを教訓として残すのではないだろうか.上で述べた,教育・人材育成面だけではなく,研究活動やマネジメントにおいても,今,我々は新しい時代の入り口に立っていることを強く感じる.
5.新しい時代の大学は,デジタル化した知識基盤の上に,大学に集う者それぞれの目的のために自由に生き生きと学び,創造性を高め,多様性の中に新しい価値を創出していくネットワーク型の場「知識プラットフォーム」になっていくであろう.この「知識プラットフォーム」は大学を支えるより大きな社会基盤になっていくに違いない.
個の強い大学である京都大学は,その足場を「知識プラットフォーム」に置くことを強く意識することで,コロナ後においても,新たな発展の時を刻むことができるだろうし,また,そうであらねばならない.多様性と自由を重視し,個が強いことが結果として組織の強さとなる.それが社会が求める「新しい生活様式」の時代の「京都大学らしさ」である.
■まとめ
「自由と調和に基づく知を社会に伝える」と基本理念で謳うように,高いレベルの研究を希求することで優れた人材を育て社会に送り出すことが京都大学の目標の真ん中にある.本学の喫緊の課題は「京大らしさ」の再生である.構成員相互の信頼と自信の回復,さらには,教育と研究における閉塞感の打破ではないだろうか.とりわけ,この重苦しさによる教職員のあきらめや成果主義に起因する自己中心的な気分が時間の経過とともに本学の力を削いでいくことが懸念される.教育はその成果として生き生きと学ぶ学生の姿が見えなければならない.
では,「京大らしさ」を考えるにあたり大切なことは何であろうか.本学のアイデンティティーである教育研究におけるダイバーシティ(多様性)を人材育成に生かし,その展開により未来社会の発展に資する研究を促し,もって社会の期待と信頼に応えることであろう.大学改革には,その理念の共有とともに,公正性,公平性,透明性,信頼性の高い学内の意志決定プロセスが重要であろう.
本学に期待されているのは国際拠点大学にふさわしい新進気鋭に溢れた教育の実現であり,創立の精神である「自由の学風」のもとで「普遍的な価値」を探求する研究である.その結果,送り出されるたくましい卒業生,一芸に秀でた人材,とがった研究成果がこの国の未来を切り開く.これが社会の期待と信頼への解答である.
ダイバーシティと自由につつまれ,学問への愛着と敬意をもつことで教員・職員・学生の間の真摯なコミュニケーションが初めて可能になる.新しい時代の到来を願いたい.
An English Summary:
In June 2019, MEXT/Monbusho announced the “National Universities Reform Policy” and the decision was made to formulate the 4th Period for the Mid-term Target Mid-term Plan for each university through extensive discussions. This section includes points for discussion regarding the “Appropriate Scale of National Universities”, based on predictions for a future sharp decline in the population of 18-year-olds.
In fiscal year 2004, when Kyoto University became a National University Corporation, its university grants amounted to 64.1 billion yen. In fiscal 2018, however, they were 55.2 billion yen, showing an average reduction of 1% per year. In 2019, the total number of full-time teaching positions, which is an indicator of educational and research capabilities, was only 88% of the number from 2004. Most significantly, the percentage of young (under 40 years of age) teachers fell from 30.9% to 16.8%. In addition, the total amount of selected Grants-in-Aid for Scientific Research/Kakenhi decreased by 30% from their peak in fiscal 2015.
As we are faced with the issue of downsizing to a degree more severe than ever before, I believe that Kyoto University, which prides itself on being one of the leading institutions of higher education in Japan, is in its own “state of emergency”.
I will take this opportunity to relate my current thoughts on this matter.
[Management Reform] Outstanding management will make it possible to protect Kyoto University, its faculty, and its students, and will open up a path to its future. In order to obtain high-quality funding from external sources, it will be important to strengthen our planning and proposal capabilities, and encourage the government and industries to implement our university’s science and technology policies and strategies. Research internship programs for doctoral students in industries and overseas locations will lead to broader opportunities for researchers to play active roles, which will further revitalize our university. Furthermore, the reform of working styles in the “Post Corona” age brought about by an accelerated shift to digital methods, particularly the spread of telework, will certainly improve the educational and research environment for female teachers.
[Sabbaticals and the Quarter System] It is likely that the recent spread of teleconferencing will enable us to substantially revise the costs of department operation in the future. At the same time, sabbatical training and the introduction of a quarter system for academic calendars will allow teachers to set aside sufficient time to concentrate on their research.
[Diversity] At Kyoto University, diversity in academic areas is continuously creating new fields of research, and student independence has been cultivated through two-way interaction with professors. To open up this difficult time, I believe that an attractive educational curriculum should be created which emphasizes undergraduate education to build solid foundations, and promotes interdisciplinary and diverse research in graduate education. To achieve this, cooperation from research institutes and centers will be essential. We will strive to create a campus that ensures diversity for all of its members regardless of characteristics such as gender, nationality, or occupation.
[Internationalization] Expectations will be placed on Kyoto University for internationalization which befits its highly varied and free-spirited academic culture. Although it might be a traditional way of thinking, I believe that first of all, research-led internationalization, in which teachers with strong research capabilities from around the world are assembled at our university to attract exceptional students from Japan as well as overseas, might be well-suited to us due to our location in the International Culture and Tourism City, Kyoto. The quarter system will facilitate the movement of students and teachers, so it will also contribute to the internationalization of our campus.
[Joint Development with Local Communities] Strong financial support was received from Kyoto City in the early 20th-century for the acquisition of Kyoto Imperial University’s North Campus. Although the founding philosophy of our university is well-known and different from that of Tokyo Imperial University, another significant difference is our deep involvement with local communities. We intend to continue contributing to the advancement of local industries and the development of human resources through the creation of new 21st-century ICT ventures.
By promoting research that can contribute to the growth of our future society through outstanding management, arranging an environment where students can study and learn with enthusiasm and energy, and nurturing unique human resources with excellent research capabilities, internationality, flexibility, and integrity, Kyoto University will meet the expectations of society and prove itself worthy of its trust. This assumes that an awareness of important issues can be shared and agreed upon throughout the university, so we will dedicate all of our efforts to achieve this goal.
May, 2020
●●●修了生に送る言葉(2020年3月23日)●●●
情報学研究科長 中村佳正
本日をもって、博士課程18名、修士課程182名が情報学研究科の大学院課程を修了されることになりました。皆さんの学位取得を心よりお祝い申し上げます。
新型コロナウイルスが感染拡大しているため、大学全体での卒業式・大学院「修了式」は開催中止となりましたが、情報学研究科では、十分な対策を施した上で、博士は研究科全体で、修士は6つの専攻に分かれて「学位授与」を実施することと致しました。新型コロナウイルス感染症が、ここまで世界を巻き込んだ大きなリスクになることは、3か月前には全く予期できなかったものですが、世界のグローバル化をまざまざと感じるきっかけとなりました。
この「困難な時代」に社会に出る皆さんには、自ら正しい判断を行い、人々と協力して、リスクを乗り越えていく「強さ」が求められます。これには京都大学で学んだことが、きっと役に立つことでしょう。皆さんは、情報学研究科の修了生としての「誇りと経験」を活かして、どうかこの「困難な時代」を切り開いていってください。一日も早く事態が収束し、皆さんが万全の状態で新しい生活を始められるよう願っております。
本日は、まことにおめでとうございます。
●●●学校教育法施行規則等の改正について思うこと(2019年12月)●●●
情報学研究科長 中村佳正
1990年代中盤の大学院重点化を振り返ると,我が国の産業技術の高度化の期待のもとで国策として大学院拡張政策がとられ,大学側も予算とポスト獲得のために大学院の学生定員を増やしたという側面が指摘されている.高学歴層の供給過剰に対しては,科学技術における競争的プロジェクトによる短期的雇用を増やす政策がとられたものの,とりわけアカデミアを主な出口とする専門分野においては,問題の先送りをしてきたに過ぎないとの反省もある.
2019年度に学校教育法施行規則等が改正され,「学部等連携課程」として学部横断的・大学院横断的な教育を「学位プログラム」として実施可能となった.とりわけ大学院課程において「学部等連携課程」は学域学系制度と整合的であり,学域学系のもとで「大学院連携課程」を速やかに実現することは,既存の教育実施体制を維持しながら,他方で社会の要請に応えて新しい横断的な教育を実施していく上で,さらには,諸々の要素を総合的に結びつける「調和の知」を探求する上で極めて有効な施策となるであろう.「博士課程教育リーディングプログラム」や「卓越大学院プログラム」の経験を活かす場でもある.
社会が必要とする「大学院連携課程」の一例として,情報学研究科においてはAIと既存分野との連携課程が想定される.ノーベル化学賞を受賞した吉野彰氏は「日本で,一社でいいからGAFAのような企業が生まれてほしい.大きな国益になる」と訴えている.GAFAはプラットフォーマーと呼ばれ,インターネット上の大規模データをもとに機械学習・深層学習等のAIアルゴリズム(エンジン)を駆使し,プラットフォーム上で新しい価値(サービス)を開発し,新事業を提供して急成長してきた.データとアルゴリズムの間には対象や目的によって異なるモデリングがあるが,この部分は様々である.例えば,ブロックチェーン(分散型台帳)を置けば新しい決済システムが開発される.我が国が得意とする「ものづくり」で置き換えれば,それによって創生される価値による新しい事業が立ち上がる.「大学院連携課程」による新たな人材育成プラットフォームは大きな可能性をもつことがわかる.
●●●数理工学教室の現状と未来(2019年9月1日) 数理工学教室60周年記念誌巻頭言●●●
工学部同窓会「数理会」幹事 中村 佳正
1959年(昭和34年)4月に設立された京都大学工学部数理工学科は,本年2019年4月に創立60周年(還暦)を迎えました.この間,1995年に工学部改組に伴って情報学科の設立に加わり,数理工学コースとなりました.教育組織上は数理工学科の名称は消滅しましたがカリキュラムの骨格は維持されました.しかしながら,情報学科に入学し数理工学コースに配属される学生の気質は数理工学科時代とは大きく変わったと言われています.
大学の教育・研究の主体が学部から大学院に移った1998年の大学院重点化では,大学院数理工学専攻は,応用システム科学専攻とともに,大学院情報学研究科の創設に参加し,複雑系科学(現先端数理科学)専攻,数理工学専攻,システム科学専攻の中の合計13分野(一人の教授を中心とする研究室)として大学院教育を担当すると同時に,引きつづき工学部情報学科数理工学コースを兼担しております.名前の上では情報学研究科数理工学専攻が工学研究科数理工学専攻を引き継いだ形になっておりますが実際は3つの専攻に分かれており,この13分野を総称して「数理工学教室」と呼ぶこととします.
さて, 数理工学教室20周年記念誌の椹木義一先生の巻頭言には,数理工学教室創設には「工学部に数学や物理学などの刺激を入れてより新しい工学へ脱皮を計るべきではないか」との発想があり,その後「システム工学などの横断的発想法や手法が提唱され」,「どこより早く京都大学の工学部に新しい学問体系の胎動が芽ばえたことは誠に誇らしい」とあります.また,数理工学教室30周年記念誌の得丸英勝先生の巻頭言には,「日本には改良とか改善の技術はあるが,独創的な技術は少ないと言われている」が「数学的基礎がしっかりしていて,かつ具体的事象に理解力があれば,きっと立派な独創的研究成果をあげられると信じている」と結んでいます.数学がイノベーションの起爆剤となるという認識がありました.
数理工学は,
数理工学=数学×工学(モノを扱う工学に対する数学の深い理解に基づく横断的アプローチ)
としてスタートし,数学的基礎を重視しつつ具体的事象を熟視してきました.60年を経た現代の数理工学を,
数理工学=数学×情報学(モノとコトの科学である情報学に対する数学の深い理解に基づく横断的アプローチ)
とみなしてはどうかと思います.情報を相手にするためコンピュータ・ネットワークと統計科学が重要なツールとなります.
近年,人工知能に代表される大量のデータから有益な情報を読み取る手法が発展を遂げています.数学を多用しますが数理モデルを前提としなくても「答らしきもの」がでることには注意を要します.数理工学では,数学で問題を解くことだけでなく,問題を切り出すところ,すなわち,具体的事象を数学の言葉で数学の問題として記述しなおす数理モデリングを重視します.もちろん,事象の本質をとらえた抽象化には困難を伴います.未来の数理工学は数理モデリングにおける新しい考え方を必要としています.また,京都大学の数理工学では,深いところで数学と向き合う必要があるのだからと数学自身の発展を促すような方向の研究も大事にしてきました.
数理工学における独創的研究には,数学を基盤とした横断的発想で,けれんみなく具体的事象に切り込んでいくという数理工学の強みを十全に発揮することが大切ではないかと思います.
数理工学の輝かしい未来を祈念します.
●●●情報教育の京大モデルについて(2019年4月1日) [情報学広報 No.21 巻頭言]●●●
情報学研究科 研究科長 中村 佳正
1.はじめに
産業構造、社会構造は大きな変革期にある。データサイエンティストや人工知能・IoT 技術者等、情報社会の高度化に資する人材の活躍の場の急激な拡大に加えて、情報利活用に関するジェネリックスキル(generic skill)を身につけた人材を求める動きが業種を超えて激しくなっている。個々の学術分野においても数理・データサイエンス的アプローチによる新たな知見の創出が続いている。大学における情報教育を時代が求める機能を備えた新しい形に転換していかねばならない。
2.情報に関するジェネリックスキル教育
時代が求める機能とは何だろうか。企業内訓練を前提とした日本的雇用システムが終焉(しゅうえん)を迎えつつあるいま、成長する企業で活躍の場を得るのは専門力とその利活用力を備えた人材であろう。情報の利活用に関するジェネリックスキルを身につけた人材の絶対数の不足が大学教育の大きな課題として指摘されている。ジェネリックスキルとは、学生が卒業後、自らの素質を向上させ、社会的・職業的自立を図るために必要な能力であり、社会人基礎力または就業基礎能力等と訳されている。情報機器を使いこなすためのコンピュータリテラシーやインターネット利用の基本的知識を含むが、それだけでなく、大量の情報から必要なものを収集し、安全に分析・活用するための知識や技能を指すもので、現代の「読み書きそろばん」ともいえる。従来は、大学では、それぞれの分野でひたすら専門的知識を習得することによっておのずと社会人基礎力が身につくと説明されてきた。しかし、今や大学教育には、ジェネリックスキルの育成機能を高め、就職活動の短期化や学事日程との両立を実現し、ひいては学生たちが今後の社会を担っていく上での基礎となる力を培うことが求められている。とはいえ、大学教員の大半は産業界における実務経験をもたない。自らの研究成果の活用方法を理解してそれをジェネリックスキル教育にいかすことは困難である。
3.数理・データサイエンス教育
文科省による「大学における工学系教育の在り方について(中間まとめ)」(2017 年6 月)において、まず、『第4 次産業革命や「超スマート社会」(Society5.0)の実現に向け、人工知能、ロボット等などの技術革新を社会実装につなげるためには、情報関連分野の学生のみならず、非情報関連分野の学生にあっても情報関連教育は必須である。』との書き出しから工学系学部初期段階の共通教育における情報教育について述べている。ここまではコンピュータリテラシーがカバーする領域であるが、興味深いのは、『機械、電気、社会基盤などそれぞれの分野で求められる情報・データサイエンスの応用法は多種多様である。』と例示して、『情報技術応用分野の拡大に伴い、工学諸分野との融合技術が発展する中、専門基礎教育での情報教育強化を図る必要がある。』と結んでいることである。各分野の特色にあった情報教育を必要としている。
もちろん、これは工学系分野に限られるものではない。特定専門分野の深化を目指す情報教育改革の動きも急ピッチである。人工知能は多数のデータが集め易い場合に大きな力を発揮する。データサイエンスや人工知能は数学との親和性が高い。一方、原理や法則が明確でない現象については有効性の保証はないが、逆に、数理・データサイエンスを通じて未知の原理や法則の存在を探る研究を生み出し、諸科学におけるブレークスルーを引き起こすと期待される。
人工知能、ロボット等の技術革新を社会実装につなげるには、数理的思考やデータ分析・活用能力を持ち、諸科学における様々な問題の解決・新しい課題の発見及びデータから新しい知見を生み出すことができる人材が最も必要とされている。情報教育の中でも、とりわけ、数理・データサイエンス教育が、それぞれの分野の最先端の研究能力を身につけるための基盤として、学部専門基礎教育、さらには専門教育や大学院共通教育の中に位置づけられていく時代となった。情報教育担当者にとっても、標準カリキュラムの策定や単位認定・実施体制の整備等取り組まねばならない課題は多い。
4.情報教育の京大モデルとその展開
さて、我が国の大学における情報教育は長らくコンピュータリテラシー教育が中心であった。新しい情報教育の柱は情報リテラシーである。情報リテラシー教育とは、学部専門教育を学ぶ際に必要となる情報の利活用力を習得させる教育であり、学部専門基礎教育の段階に置かれるべきである。京都大学情報学研究科は、文部科学省の支援により2009 年度から5 年間にわたり「知識社会におけるイノベーション人材養成のための全学共通情報教育プログラム」を実施し、「情報教育の京大モデル」を提示した。スタート時のプログラム代表は田中克己教授で、筆者も2006 年に採択された大学院GP「シミュレーション科学を支える高度人材育成」の経験を活かして計算科学科目担当として参加した。実施体制としては、情報学研究科に附属情報教育推進センターを設置して実務家教員等を新規雇用するとともに、研究科教員だけでなく、経営管理大学院や学術情報メディアセンター教員の協力を得た。この結果、学部共通教育では、既存のコンピュータリテラシー科目の削減、あるいは内容改訂が行われた。特に大きな変化があったのは大学院カリキュラムで、共通科目が大幅に拡充され、「計算科学入門」「ビッグデータの計算科学」「イノベーションマネジメント基礎」「メディア情報処理論」「情報と知財」他を開設し、他研究科の学生の履修を積極的に受け入れた。さらに、2014 年度からは、筆者がセンター長を務める学際融合教育研究推進センター傘下の「高度情報教育基盤ユニット」として「学部・大学院共通情報教育の革新と教育情報化によるグローバル人材の育成」事業を全学に展開した。2017 年度からは基幹経費化され、再度の概算要求なしで(当分の間は)継続されることになった。
一方、2018 年秋、情報学研究科と経営管理大学院は、情報学の実践教育に豊かな経験と指導力を持つ業種の異なる6 社及び実務家と密に連携して、産学共同講座「情報学ビジネス実践講座」を設置した。2018 年の試行を経て、2019 年度から京都大学の全10 学部、全18 大学院・研究科の学生を対象とするカリキュラム設計、授業設計・担当、コース履修指導を行い、1 コース120 時間以上の規模で
[1] IT リテラシー実践コース(学部生向け)
[2] ビジネス経営IT コース(大学院生向け)
[3] イノベーション先端IT コース(大学院生向け)
の3 コースからなる本格的なジェネリックスキル教育を開始する。プログラム代表は山本章博教授で筆者も引き続き委員を務めている。開講されるのは、例えば、「デザイン思考実践」、「プロジェクトマネジメント実践」、「ビジネスデータ分析実践」「ロジカルシンキング」等に加えて「情報セキュリティ」「人工知能特論」等である。教授法は実践的、それらによって身につく技能は明示的かつ具体的である。企業実務家の授業担当・授業補助のもとで、産業界における課題とその合理的な解決の道筋を創発し、学術的な探究方法を社会的な課題に適用する重層的・多面的な能力の獲得を促す。学生にとって、大半の科目の単位は、成績証明書に記載されコース修了証の取得には結びつくものの、卒業、修了に必要な単位とはカウントされない。しかし、学生自身や社会が必要としている内容を備えた科目であれば、熱心に授業に参加する学生が少なくないことは過去の取り組みで実証済みである。
5.おわりに
前述の「大学における工学系教育の在り方について(中間まとめ)」には、情報学が、情報のエキスパートとして、各分野の情報系専門基礎教育科目を担当する人材を供給すべきとの認識を示している。本稿で述べたように、情報学研究科は、これまでも以下の①から③の意味で先進的な情報教育の京大モデルを通じて我が国の情報教育の改革を推進してきた。
① リテラシー科目群に加えて、数理・データサイエンス科目群やジェネリックスキル科目群を全4 層構造で全学部の学生に提供
② 重点化で規模が拡大した大学院に対して大学院共通教育科目群を提供
③ 情報学分野の教員が産業界出身の実務家教員と協働して科目設計・担当
その任にあたる資格は十分にあるものと考えられる。基礎学力のしっかりした学生、博士課程への進学の意欲を秘めた気鋭の学生が集う京都大学である。情報教育の京大モデルをさらに発展させていきたい。
本稿は、日本経済新聞(2019 年4 月8 日朝刊)の記事に大幅に加筆したものである。
●●●修了生に送る言葉(2019年3月24日)●●●
情報学研究科長 中村佳正
京都大学でも最近では各学部で卒業に必要な単位数が増えた上で、履修登録科目数のキャップ制やGPA(成績平均値)が導入されました。授業科目への出席率の高さは我々の頃とは大きく異なります。授業回数の確保が叫ばれ休講も減っています。しかしながら、そのような「表の時間割」だけではなく、京大卒業生の人間形成に大きな役割を果たす4年間+αの「自由な時間と空間」という京都大学「独自の時間割」は今も健在です。
この伝統は、京都帝国大学が、国家のための大学ではなく、学問のための大学として京都に置かれた120年前にさかのぼるものです。京都大学で学ぶこと、過ごすことの意義は何ら変わっていません。このことは、課外活動を通じて、あるいは、ゼミや研究室での仲間や教員との密度の濃い時間を大事にしてきた諸君には自然に納得できることと思います。どこかに純粋さを残しながらそれぞれの世界で活躍する京都大学出身のOB・OGを何人も思い浮かべることができます。胸を張って京都大学を卒業していって下さい。今日はおめでとうございます。
●●●ボート部長退任にあたって (2018年12月1日) ボート部濃青会機関誌「濃青」2018年度最終号から抜粋●●●
京都大学体育会ボート部 部長 中村 佳正
以前であれば定年退官の年齢に近づいたため、私もここで後進に道を譲りたいと考え、6シーズン務めたボート部長を退任することとしました。これまで長らくお支えいただきまことにありがとうございました。「京都大学ボート部部則」に則り、2018年11月25日開催の部員総会にて退任を承認いただき、さらに、部員の総意によって後任部長を木庭啓介先生に依頼しました。ボート部のもう一段の強化に向けてすばらしい布陣ができたと思います。よろしくお願いいたします。
本稿ではまず部長として過ごした6シーズンを簡単に振り返ってみたいと思います。2012年10月に部長をお引き受けしました。部長になる前の50代前半に情報学研究科長として得た人的パイプや理事補や学際センター長をしていた経験は、大学の仕組みを理解した上でボート部長として学内に働きかけるのに役に立ちました。例えば、「ボート部京大基金」の開設、「琵琶湖周航の歌」誕生百周年事業と同記念碑の建立、総長表彰とスポーツ表彰の受賞などが挙げられます。必ずしもうまくいったことばかりではありません。瀬田艇庫の建て替えについて任期中にレールを敷こうと考えたのですが、耐震強度は必ずしも低くないという過去の調査結果が厚生課で見つかり、建て替え要求作戦を立て直さないといけなくなりました。東大戦についても思ったようにいきませんでした。東大ボート部部長からも、本当は東大が負けていたレースが1年前と3年前の戸田でありましたね、と言われています。結果が全てとはいえ、実力を出し切ることの難しさを痛感します。
練習や遠征や通学における安全の確保にはいつも気になっていました。ボート部では年間を通じてかなり規模の活動を続けていますが、いったん事故や事件が発生すると長期にわたって活動を自粛することになりかねません。「安全についての取組書」があるとはいえいつもハラハラしていました。大きな事故や事件がなかったことに心から感謝します。
私も選手時代は、コーチから、ボート部を卒業して大学院に行けば勉強のことはどんどん頭に入ってくるので学部の間はボートの事だけを考えていればいい、と指導されました。今でも、この言葉は(本人次第ですが)半分は正しいと思っています。人の2倍がんばるといったやり方でボート部時代に身につけた集中力を勉強に応用するだけのことです。これはあまり難しくない。本に書かれていることの要点を理解し、単位をとる、資格をとるといったひとりでがんばればなんとかなる種類の課題にはこれで十分です。
しかし、研究のように、もう一段ハードルが高い世界もあります。研究においては解くべき問題を見つけることが半分、解くことが残りの半分です。いくらがんばって解いても、誰か先に解いた人がいれば論文になりません。行き詰ったときにどうするかが大事です。自分で開発した方法で見つけた結果であれば、結果自身は既に知られていたとしても、諦めずにもう少し続けることでその先まで行ける可能性があります。異なる個性をもつ研究者との共同研究もまた効果的です。研究の世界が面白いのは、単にがんばれば何とかなるというものではなく、戦略的に考え、戦術的に進め、最後は人の和や幸運を引き寄せてようやく成就するかどうかというところです。
ボートにおいても、自分で考え体得した勝つための方法は、仲間とともに力を合わせることとともに非常に有効でしょう。ボート部員としてがんばってきたことは、卒業後の長い人生において、困難にチャレンジする際にベースとなる大きな財産です。自信をもって前に進んでほしい。そして、勝ち負けを超えた次元での達成感を味わってみて下さい。
6シーズン、どうもありがとうございました。
●●●数学は「新しい価値」を創り出せるか(2018年9月) [広報誌『Rimse』巻頭言 ]●●●
京都大学 中村佳正
のちに国立民族学博物館の初代館長となる梅棹忠夫は1963年に「情報産業論」を著し,農業の時代から工業の時代へ,そして情報産業の時代へという文明史的変化を予見しています。その後,情報産業の誕生に呼応して1970年前後に多くの大学の工学部に情報工学科が新設されました。2000年前後には工学に収まりきらなくなった「情報の学」のため,大学院情報学研究科等が創設されました。また最近では,情報社会の次の社会である超スマート社会,あるいは,Society 5.0の実現を模索する議論が盛んになってきました。ここでは農耕社会の前に狩猟社会を置くことで工業社会がSociety 3.0,情報社会がSociety 4.0とされています。
数学や物理学・化学が工学の基盤であったこと,さらには,数学や計算機科学が情報学においておおいに役に立っていることを考えますと,まだ見えていないSociety 5.0において数学がどのような役割を果たしうるかを考えてみることは夢があってとても楽しいことです。
主唱する内閣府によれば,Society 5.0とは「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより,経済発展と社会的課題の解決を両立する,人間中心の社会」とあります。そこでは,人工知能(AI)やビッグデータ処理は情報セキュリティと並ぶ基盤技術となっており,それらを使った高度道路交通システムやものづくりシステムなどの開発により,人間中心の社会の「新しい価値」が創り出されるとされています。人工知能やビッグデータが拓く未来社会には期待と不安が背中合わせですが,Society 5.0では,「新しい価値」という表現で,ポジティブなものだけを取りだそうとしているようです。
数学は,その高度な抽象性により,個々の事象のもつ価値や主観から自由になり,その結果,普遍性を獲得してきました。数学を基盤とする諸科学では,ある仮説をもとに数学モデルをたて,それを実験・解析してもとの仮説を検証してスパイラル状に真理に迫っていきます。一般的・普遍的な前提から結論を得る論理展開の方法である数学が人工知能による「新しい価値」の創出に関わることはできるでしょうか。
人工知能,とりわけ機械学習・深層学習は,一種のブラックボックスとして,ノイズを含む大量のデータをコンピュータで高速に処理して,人間が判断の根拠を与えることなく自動的に「まなぶ」ことができます。人工知能の研究者は「どうやって解いたかわからないが,ともかくうまく解いている」と言います。自動運転や仮想通貨を想定すれば,どのような推論が行われているか判断の根拠がわからない人工知能の「託言」を心から信用できるとは思われません。
数学の定理について何も持たずに黒板を使って再構成してみて初めて深いところでわかった気分になることがあります。Society 5.0の基盤技術とされる人工知能はブラックボックスの中にあって,人間は「新しい価値」を取り出すどころか,まだわかったというレベルに達していないのではないでしょうか。
チェスや将棋のようにルールがある場合には人工知能は特に有効で,コンピュータ同士が対戦して質の良いデータを大量に生成しながらどんどん精度を高めていきます。ルール,つまり,広い意味での数学モデルの存在が人工知能の信頼性を高めるのです。また,その判断に何らかの数学的根拠を与えることができれば,人工知能の所作を「わかる」といって良いでしょう。この数学的に「わかる」の意味は広く,いかに抽象的であっても構いません。数学モデルに裏付けられ,判断根拠を説明できる人工知能が実現されるなら,数学は人間が中心となる社会のポジティブな面につながるような「新しい価値」を創り出すことに貢献できるといえます。
古代ギリシアのプラトンから近代のカントにいたる哲学研究では,人間の精神が求める普遍的な価値である「真」「善」「美」を一体のものとして追求することが大切と説いています。これを数学研究に置き換えれば,「真」とは,数学における真理の探究であり,「善」とは,数学によって人間のより良い生き方と社会の価値を考えることです。「美」は,真理の探究の原動力であり,かつ「善」によって豊かになる人の心の内にあるものかもしれません。
「真」と「善」の間の分断は現代科学に共通する大きな課題ですが,数学も例外ではなく,長い間,真理の探究が数学そのものと解されてきました。意図的に「善」の判断を避けてきたのかもしません。しかしながら,情報社会から人間中心の社会に進み,科学技術によっていかにこの社会の「新しい価値」を創り出すかという時に,膨大なデータに潜む未知の価値を根拠のある判断に基づいて取り出すことができる数学の役割は非常に大きなものとなります。数学への期待と新たな発展の方向がそこに見えています.
●●●情報学研究科長再登板のご挨拶(2018年4月1日) [情報学広報 No.20 巻頭言]●●●
情報学研究科 研究科長 中村 佳正
1. はじめに
ふたたび研究科長を仰せつかりました。ありえないことと思っていたためしばらくは呆然としていましたが、山本章博先生率いる前執行部の会議に何度か陪席しているうちにようやく前に向かって考える気持ちになりました。現時点で感じていること、考えていることを記すことでご挨拶に代えさせていただきます。
まずは記憶をたどるところから。前回の任期中(平成21年3月から平成24年3月まで)に手がけたことで、現在も何らかの形で続いている主な事業や設置例をあげてみます。
研究科の各種委員会の再編と「評価・広報委員会」
教授選考の透明性を高め、ゆるやかな組織見直しを行う「教授選考準備WG」
教育研究環境の改善のための吉田再配置計画の見直しと建物耐震改修
研究科のアウトリーチ活動としての「アジア情報学セミナー」
間接経費による特定助教プログラム「ICTイノベーション研究・開発プログラム」
文科省概算要求(特別教育研究経費)による「情報教育推進センター」
文科省「国際化拠点整備事業」(グローバル30)による国際コース
日本学術振興会「博士課程教育リーディングプログラム」
それなりに準備すれば研究科・大学本部や文科省を動かすことができ、教育・研究が多少とも改善されるという恵まれた時期だったのかもしれませんが、皆さまに助けられて様々なことを着手しました。期限付きの事業であってもその後の文科省や本学の評価により長期的な事業として現在に至っているものが複数あることは期待以上でした。ここにあげなかった事業・施策を含めて、当時の執行部、教員、職員の皆さまにご理解・ご協力・ご尽力いただいたことが最大の要因と思います。厚くお礼申し上げます。(このようなことを申し上げる機会がなくずっと気に掛けておりました。)
2.情報学研究科の課題
しかしながら、当時はなんとか85%を保っていた博士課程の定員充足率は、最近では65%前後に低迷しています。学内にあっては情報学研究科の博士充足率は目立っており、いっそうの教員削減や組織再編圧力に転じかねず、有効な施策を打つことが焦眉の課題といえます。一方で、このところ工学部情報学科は最高倍率を更新しており、修士課程の志願者数(とりわけ留学生)や産業界への就職状況は高い水準を維持しています。博士課程教育リーディングプログラムでは産業界を出口とする博士課程5年一貫学位プログラムを設計しましたが、必ずしも博士進学者数の増とはならないのは、今は修士で卒業しても十分な進路選択肢があるということの反映かもしれません。任期つきでないアカデミックポスト獲得までの長い道のりを考えて進学を躊躇する学生も多いものと思います。「2018年問題」と語られる18歳人口のさらなる減少を前にして、博士人材の受入と育成の活性化に再点火する必要がありそうです。昨年初めて吉田キャンパスで実施した「社会人博士のすすめ2017」では企業研究者が博士号をもつことの様々なメリットが語られました。最近になって博士課程学生への経済・研究費支援が開始されましたが、この施策が博士課程充足率の実質的な向上につながることが期待されます。
本学では、第2期シーリング率(95%)への年次進行という形で教員定員の計画的な削減が続いており、最近3年間に情報学研究科の准教授ポスト5つが削減されました。平成24年度末に、「今後毎年1%運営費交付金が削減される」との説明でこの全学方針が決まったものですが、その後、運営費交付金は増減しながらもわずかながら増えているにもかかわらずこの定員削減計画が抜本的に見直されることなく、結果として若手研究者ポストを一方的に減らしてきたことは痛恨という他はありません。トップダウンが過ぎると教育研究の現場は無力感がまん延し、アクティビティが低下してしまいます。定員削減は実は外国人教員100名の人件費の原資とするためだったという公式説明はありませんが、もしそうなら目標達成は目前です。また、情報学研究科としては、研究力の源となる若手研究者をこれ以上減らさないよう文科省による「卓越研究員制度」の有効利用も検討すべきでしょう。
3.情報学研究科の新たな発展を目指して
厳しい現実と対峙する必要があることにあえて触れてきましたが、以下では、創設以来20年が経過した情報学研究科が新たな発展期を迎えようとしていることを述べたいと思います。
ご承知のように、情報通信技術(ICT)のいっそうの高度化、ネットワーク化によって、グローバルな環境において情報、人、組織、物流、金融など、あらゆる「モノ」が瞬時に結び付き、相互に影響を及ぼし合う新たな状況が生まれてきています。人工知能、IoT(モノのインターネット)、ビッグデータ、ロボット、脳科学といった人間社会のみならず人間の在り方そのものにも大きな影響を与える新たな科学技術が進展期を迎えています。それにより、既存の産業構造や技術分野の枠にとらわれることなく、これまでにない付加価値が生み出されるようになってきており、人々の多様な個性を重視し、その要望や共感に応える新しい価値やサービスが創出され始めています。
京都大学が『研究の多様な発展と統合をはかる』という基本理念(2001年)のもとで、「世界トップ大学と伍して卓越した教育研究を推進」することを目指すとき、異分野間の対話と連携が極めて重要になります。歴史が教えるように、ある分野に異分野の成果や考え方を導入することで新しい知見に結びつくだけでなく、複数分野間の協働が学術のダイナミズムを活性化します。学問領域の広さと多様性を特徴とする「情報学」はこのような複数分野間の協働で生み出された独創的な融合分野です。そこには互いを尊重しながら刺激を与え合うことで多様性を活力に変えていく仕組みがあります。「情報学」の現在と未来を考えるとき、人工知能に代表される新たな科学技術の先にあるものを見なければならないでしょう。
今回の人工知能ブームにおいては機械学習・深層学習アルゴリズムやベイズ統計に基づくビッグデータの活用が注目されています。質の良いデータを大量に獲得する数理モデリング、そして、膨大なデータに潜む意味のある情報を引き出す人工知能。これらの基礎となるのが数学アルゴリズムと統計学とプログラミングという異分野間の協働です。あるレベルの数学と統計学を知らないとコンピュータだけでは人工知能の技術は使いこなせません。もちろん開発もできません。
先に書きました博士課程の定員充足や教員の定員削減という情報学研究科の困難を乗り越え、ここ数年の低迷状態を脱し、情報学の学理を深め、いっそうの発展につなげるためのヒントは、実は、情報学創設の目的である「先駆的、独創的、学際的研究の推進、ひいては情報学の建設を通じて、視野の広い優れた人材を育成する」にあると考えています。そしてこれを具体化していくことを私の任期中の目標に設定したいと思います。
京都大学の基本理念には『社会との連携を強め、自由と調和に基づく知を社会に伝える』ともあります。我々にとって、これは自由な発想に基づく「情報学の建設」を通じてより良い社会の実現を目指すと解することができます。昨今の人工知能ブームの先には、これまで高度情報化社会の建設といわれてきた以上に、「情報学」が個々の人々がいきいき活躍できるような社会の実現に大きな役割を担う時代が到来しようとしています。
4.おわりに
私は、大学の価値の源泉は人にあると思います。「人を減らしていきます」というネガティブな空気が支配する場ではなく、ポジティブな可能性や将来像を感じることができる空間で教育と研究に取り組むことができるようにしなければなりません。情報学研究科を構成する教員と学生等をエンカレッジする仕組みこそが大事です。
教員と学生等が「情報学の建設」という高次のビジョンを共有した上で、「研究者の気持ち」を原動力にそれぞれがおもしろいと思って取り組んでいるテーマを追求していくことで、情報学研究科という大きな組織を全体として良い方向に発展させていたいと考えています。
皆さまのご理解とご協力をぜひお願いいたします。
●●●学域学系制度について思うこと●●●(2017年10月1日)
情報学系長 中村佳正
京都大学の学系は教員が所属する新たな組織である。ラフに言えば、教育研究組織である研究科・大学院・研究所・センター等および大学管理運営組織である機構等から、教員選考を含む人事機能をもつ教員組織として学系と全学教員部を分離したものである。学系に所属する教員はそれぞれの教育研究組織に配置され教育研究に従事している。全学には多数の学系があり、学系はいくつかの学域・サブ学域の単位で相互に教員選考の結果を確認している。
大学院重点化後は、多くの教員は研究科・大学院に所属して教育研究を担うとともに学部教育を兼担してきたが、2016年4月の学系制度の導入後は、学系に所属して、研究科・大学院教育研究と学部教育の両方を担当することになった。
学系には、大きく分けて、1)部局がそのまま学系となり部局長が学系長を兼ねることができる場合、2)大きな研究科の複数の専攻が一つの学系に移行し、複数の学系は(もとの研究科に対応する)学系群をなす場合、3)複数部局がひとつの学系になった場合がある。情報学研究科はそれ自身でひとつの学系をなすだけの十分な大きさがあるが、経緯により、情報学系は情報学研究科と学術情報メディアセンターの教員が参加して設置された。部局よりも学系の数が多いことからわかるように、3)のケースは少ない。
学域・学系制度の構想は2014~15年度に部局長会議のもとに設置した学域・学系制度検討ワーキンググループが中心になって検討した。その元となる教育研究組織改革専門委員会の構想では京都大学を化学系、物理学系、数学系といったディシプリンごとに学系としてまとめるという案だった。これは学内から同じディシプリンの教員が集まって比較的少数の教員組織「学系」を構築して教員人事を司り、従来の部局は教育研究組織として存続するというものだった。理念としては明解だが京大の現在の運営実態からかけ離れており、多くの反対で退けられたと聞く。
その後、学系の教員数の最小単位が引き下げられ多くの小部局が単独で学系になれるとされたと同時に、大きな研究科では学科に対応する複数の専攻で学系を形成し、かつ「学系群」として実質的に従来の研究科単位の定員管理を継続できるようメドがたってから急速に検討が進んだ。この結果、部局の総数よりかなり多い43個の大小の学系が誕生した。
「学系制度が力をもつとすればその理念がはっきりしないままでは困るし、力をもたないのならただ屋上屋を架すものになる」として、一教授の立場で教授会において反対意見を述べていた私であるが、2016年4月、部局長の推薦に基づいて総長から初代学系長に指名されてしまった。そこで、学域学系の全学規程にうたわれている制度設計に沿って情報学系の組織規程・運営規程の設計にあたった。とりわけ、上位規程に書かれていない箇所では学系長の権限が強くなりすぎないように配慮をした。その理由は以下の通りである。例えば、シーリングと教員定員削減の年次進行においては学系が(准教授2ポストなど)具体的な削減の仕方を回答するが、定員削減の基礎資料が教育研究組織単位になっているため、実際は個々の部局が教員の定員管理を行っている。また、教員の勤勉手当や特別昇給についても制度設計上は学系長の役目であるが、実際は教育研究組織の現状に詳しい部局長の案を最終確認するにとどまっている。さらには、教員の懲戒は、国立大学法人法では教育研究評議会の所掌であるが、人事責任者の学系長は評議員ではない。学系の制度設計に無理があったことは否めない。
その一方、学系長へのアンケートにおいて、教授選考調査委員会に学系外から委員が入ることで選考の透明性が高まった、同一学系をなす他部局の教員組織がよく見えるようになった、というプラスのコメントがあったことには触れておきたい。
学系制度によって研究時間が増える、教育以外の業務が軽減され京都大学が活性化してくるといったことが期待できるようになれば、この先、学系制度は大きな可能性を秘めている。
●●●研究大学における人材戦略について(2015年2月11日)●●●
京都大学 学際融合教育研究推進センター 長 中村 佳正
明治維新以来の高い教育力によって世界トップクラスの基礎学力を獲得した我が国は、卓越した先端企業、国際企業が林立する強い国であったが、東西冷戦の終焉とともに訪れたグローバル化の中で、工業中心の第2次産業からサービス産業中心の第3次産業、さらには情報化社会へと産業構造が変化し、産業界は成長する力を失って、国民一人当たりのGDPは凋落を続けている。このネガティブなスパイラルを「失われた20年」ということがある。
再成長のために必要とされるのは、それまでのキャッチアップの際に必要とされた従来の「画一的」で「詰め込み」型の教育で獲得できる能力ではないとされ、体験学習や問題解決型の教育によって養成される「生きる力」を身につけ、個性、多様性を重視する「ゆとり」教育が導入された。
しかし、長期の不況でリストラが進み、終身雇用、年功序列制度が瓦解するという学歴社会の崩壊が進んだため拠るべき将来像を失い、少子化で大学全入時代を迎えたこともあって、子どもたちは勉強をしなくなった。大学生の平均的な学力も大幅に低下したと言われている。「ゆとり」教育の結果、キャッチアップに必要な学力を備えた人材の層が薄くなってしまった。
学力低下の主因は「ゆとり」教育そのものではなく、世界と日本全体の大きな変化、それも後戻りのできない変化に我が国の教育機関や教育政策がついていけなかったことである。
キャッチアップを達成した後に必要とされる能力とは何であろうか。それは、キャッチアップに必要であった学力に加えて、キャッチアップの時代をはるかに超えた高い能力、すなわち、次の目標を設定し、それを目指して先に進む能力、新しい価値観をつくり、新たな社会目標と、その組織原理、個人の生き方を生みだす能力ではなかろうか。それを身につけるには、人々の考え方や生き方そのものを変えていく必要がある。
我が国の再成長のカギは人材であることは明らかである。人材戦略には、トップ層を厚くするために初等中等教育から学部教育までを抜本的に改革していくという時間はかかるが本筋の話と、研究大学におけるトップ人材の活用というもっとスピード感のある施策が求められる話をともに必要としている。
■トップ層を厚くするために:
このためには、初等中等教育から学部教育までの再構築に踏み込まざるを得ない。私は京都大学の「対話を根幹とした自学自習」の教育理念のもとで実施されている「グローバルサイエンスキャンパス」(JST)に参加し、本格的な受験勉強を開始する前の高校生1・2年生10名を土曜の午後に研究室に受け入れて、先端研究につながる実験・演習に参加させている。高校生達のある者は高い数理運用力をもつとして選抜され、またある者は都府県のSSH高校から推薦された基礎力の高い人材であるが、遠方からも新幹線等で熱心に通ってくることからわかるように、先進的な科学技術に感度よく応え、食いついてくる人材でもある。英語で書かれた教材にもあまり抵抗感を持たない。全学では同様に今後毎年150名が受け入れられていく予定である。
若者が先端的研究に興味をもち、人生をかけて研究に取り組みたいと憧れるような大学であり続けることが大学にとっての何よりの基本ではある。このような高校生達に接してみて、日本人のファンダメンタルの健全性を再確認するとともに、ともすれば受験勉強のみになりがちな高校3年間の使い方については、基礎学力をつけるための学習だけでなく、大学入学後に伸びるための経験を積む等、かなり改善の余地があると思われる。
教養教育、共通教育、学部専門教育の再構築もまた喫緊の課題である。とりわけ、共通教育、学部専門教育の改革では国際化やグローバル人材の育成の視点での改革が必要とされ、「スーパーグローバル大学創成事業」(JSPS)の実施をテコとする実装が急がれている。
■トップ層の人材を活用するために:
我が国を代表する研究大学のひとつである京都大学においては、とりわけ大学に入学した優秀層のこれ以上の学問離れを食い止めることが重要である。これには先端研究をこれまで以上に推進し、達成感につながる研究それ自身の面白さや社会的な価値について学生に伝え続けることが肝要であるが、それだけではなく、研究者を目指すことが豊かな人生につながることを制度上もわかるようにしなければならない。
大学院におけるトップ層の人材の活用が研究大学の教育と研究の急所であり、大学院におけるトップ層の人材の活用に資することが研究大学の大学改革の主要な目的となる。高等教育機関である大学の教育力や研究力の増進はひとくくりに「大学の機能強化」と呼ばれることが多いが、我が国の再成長の牽引車となることを社会から託されている研究大学の機能強化は、大学院におけるトップ層の人材の活用力の強化と言い換えることができる。
研究大学の組織再編はトップ層の人材の活用力の強化を目的とするべきであり、組織再編自身を自己目的化してはならない。国立大学法人をとりまく財政事情の悪化への対応を組織再編の目的に擬する論もあるが、大学の縮小均衡を招くことがないよう、大学院におけるトップ層の現実をどれくらい踏まえているかなど、十分に吟味する必要がある。
●●●学際融合センター公式本刊行に添えて(2015年1月1日)●●● 学際融合教育研究推進センター長 中村 佳正
平素は当センター運営にご協力賜り誠に有難うございます。
この度、センター所属の教育研究ユニット一覧の冊子、ならびに、学際融合教育研究推進センター設立から5年間の活動記録をまとめた公式本を刊行いたしましたのでお送りさせていたただきます。学際センターとユニットの活動紹介等にご活用いただけましたら幸いに存じます。
学際融合教育研究推進センター本体は小型軽量ではありますが極めてフットワークのよい組織です。センター設立時は9ユニットで始まりましたが現在は33ユニットとなり、その内容も年々多様化しております。様々な目的をもつ教育研究ユニットへの支援を通じて京都大学における分野横断・越境や新分野創成に貢献するという単純ではありますが重要なミッションのもとで学際センターは活動してまいりました。
今後ともご支援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
●●●情報学プラットホームの構想について(2010年4月1日) [情報学広報 No.12 巻頭言]●●●
情報学研究科 研究科長 中村 佳正
第2 期科学技術基本計画(平成13 ~ 17 年度)、および、第3 期科学技術基本計画(平成18 ~ 22 年度)において、情報通信分野は重点推進4 分野(他の3 分野は、ライフサイエンス、環境、ナノテク・材料)の一つとされてきました。政権交代後の平成21 年12 月30 日に閣議決定された「新成長戦略~輝きのある日本へ~」において、(1)環境・エネルギー大国戦略、(2)健康大国戦略、(3)アジア経済戦略、(4)観光立国・地域活性化戦略、(5)科学・技術立国戦略、(6)雇用・人材戦略という6 つ戦略分野が指定されましたが、このうち科学・技術立国戦略のIT 立国・日本の項には、「情報通信技術の利活用による国民生活向上・国際競争力強化」に加えて、「情報通信技術は新たなイノベーションを生む基盤」とあります。首相交代後の平成22 年6 月18 日に閣議決定された「新成長戦略~「元気な日本」復活のシナリオ」では、(5)は科学・技術・情報通信立国戦略となり、新たに(7)金融戦略が追加されています。
さて、平成22 年4 月に募集が開始された日本学術振興会「最先端・次世代研究開発支援プログラム」の対象はグリーン・イノベーション又はライフ・イノベーションの推進であり、情報通信は、例示の中に「情報通信技術の活用による革新的低炭素化」「情報通信技術の活用等による医療システムの変革」として登場する程度です。同じく文部科学省「日中韓等の大学間交流を通じた高度専門職業人育成事業」では、環境・エネルギー、健康の分野に係る申請を重点的に選定するとあり、情報通信はその他の分野の扱いです。選択と集中の時代には、単独で大きな恩恵を受けてきた情報通信分野ですが、第3 期科学技術基本計画の最終年では、もっぱら「新たなイノベーションを生む基盤」としての役割が強調されるに至りました。このような時節における情報学研究科について考えてみます。
長らく成長分野とされてきた情報通信分野は、単独では戦略分野からは外れたものの、(5)科学・技術・情報通信立国戦略において「新たなイノベーションを生む基盤」と表現されているように、環境・エネルギーや健康を含む広く科学・技術において情報通信技術とその革新を必要とするという基本的なかたちは従来と変わっていません。しかし、これを情報通信の側からみますと、他分野との連携や協働がこれまで以上に求められるようになったといえます。では、情報通信技術が基盤となってイノベーションを生み出していくために情報学研究科はいかにあるべきでしょうか。
そこで考えるのは情報通信分野と情報学の関係です。情報通信分野は確かに情報学のコア部分ですが、情報学はもっと広い。アルゴリズム、オペレーションズ・リサーチ、制御理論、メカトロニクス、生物圏情報学等といった情報学の研究領域は独自の理論展開と技術開発をしてきました(本稿ではこれらをシステム情報学分野と呼ぶことにします)。さらに、数学、力学、生命・脳科学等に至る幅広い基礎科学分野もまた情報学を構成しています。これらの総体が京都大学の情報学です。
これまでの科学技術基本計画でとられた分野単位での縦割りの重点化は果たして有効に働いたでしょうか。そのような政策は、重点分野外にある知識や手法の吸収や共有を阻害するだけでなく、重点分野内での研究の細分化を引き起こし、ガラパゴス化と呼ばれるいびつな進化を招きかねません。むしろ環境問題を解決するといった目標を明確化し、様々な分野から研究者を参入させる方が効果的ではないか。以上がポスト第3 次科学技術基本計画で論じられています。これには省庁や学界、学内では研究科や専攻を越えたダイナミックな連携や集合・離散を必要とします。イノベーションは単なるアイデア・発見・新技術・新開発ではなく、社会を変えるような独創性、革新性、時代性のある価値の創出を意味しています。そのようなイノベーションを生む基盤が出来合いの技術にあるとは考えられず、情報通信分野が実際にイノベーション基盤となるためには、他分野との連携・協働に加えていくつかの課題がありそうです。例えば、スタンフォード大学で生まれ、シリコンバレーで育ったウェブ検索エンジンの“Google” が情報化社会を革新したように、京都大学情報学研究科で有望なアイデアが生まれ、それが我が国を起点とする新たなイノベーションに発展していくには何が必要でしょうか。
“Google” は、数学、計算科学、計算機科学の統合型エンジンであり、同時にビジネスモデルとしても革新的でした。やわらかい感性をもった若い頭脳が、しっかりした大学院基礎科学教育、産業界との協働による教育プログラム、これらのもとで育つことで、既存の技術を根本から変えるような着想をもつ、真に創造性のある人材となりうるのではないでしょうか。情報学研究科は、幸い、基礎科学分野に多数の研究者を有し、けいはんな連携や企業の連携ユニットを通じた産学連携教育の蓄積をもち、何より若い才能に恵まれています。
次の段階としては若い才能が得たアイデアを大いに伸ばすことができるよう、自由闊達な雰囲気を今以上に醸成しなければなりません。定期的に開催されている研究科横断の若手コロキュウムシリーズはその貴重な一歩です。それ以前にも、ICT イノベーションによって研究室と産業界の距離をぐっと近づけてきました。グローバルCOE においても、若手リーダーシップ養成プログラムや海外武者修行プログラムといった実績のある人材育成の施策が継続されています。最近では、イノベーションに関する研究科共通科目が開講され、研究科同窓会による超交流会2010「みんなのクラウド」やローンチ・カフェにおいて起業を視野に入れた人的ネットワークが広がっています。さらに、平成22 年10 月には5 ~ 6 名の外国人特定教員がそろい、修士課程と博士後期課程の双方で英語だけで修了可能な三つの国際コースが本格的にスタートし、国際化を進める中で「新たなイノベーションを生む基盤」つくりが進行しております。
若い世代の変化が先行している情報学研究科ですが、次はいよいよ教授陣の出番です。基礎科学の力をどうやって自由な発想力に変えるか、優れたアイデアを目利きし、いかに伸ばすかです。情報学研究科の研究者は、枝葉の研究や落ち穂拾い的な研究に向かうのではなく、基礎科学に立脚した研究、研究室の垣根を越える研究、情報学の新領域を切り開く研究に挑戦することが望まれます。そこで、そのような着想の研究を奨励し、マネジメントするための仕組みとして「情報学プラットホーム」の設置を提唱したいと思います(図参照)。情報通信分野に加えてシステム情報学分野もイノベーション基盤の一翼に担い、基礎科学分野がこれを支えるマルチコア構造が特徴です。
研究科の新たなアクティビティを引き出すことで、ポスト第4 期科学技術基本計画(平成23~ 27 年度)だけでなく、ポストグローバルCOEの「リーディング大学院」構想等への即応体制の整備も視野に入れています。まだ作業仮説の段階に過ぎませんが、可能な選択肢のひとつとして議論が深まることを期待します。