心理の法則

このページに書かれている内容は全て、検証に検証を重ね、再現性が確認されている「客観的事実」ですが、
ぜひ鵜呑みにされることなく、「内容の真偽・妥当性」を自身で検証なさってください。

心理という対象の性質上、「視覚に頼った証明 / 感覚・認識の共有」が困難です
「料理 / 味覚」などと同様に、各々が実際に味わい、感じることでしか、確認する術はありません。

感情の法則

1.「感覚」と「感情」は別軸の生理反応

人間は、「肉体的苦痛」を感じながらも「ポジティブな感情」を生み出せますし、
逆に「快楽」を感じながらも「ネガティブな感情」を生み出す事ができます。

例えばスポーツ選手であれば、辛くハードなトレーニングをこなしながらも、
「着実に自分が鍛えられ、強くなっている事」に対して、「前向きな感情」を感じることは多い訳です。


それと同じように、医師に打たれる注射も、「自分にメリットがある」と理解していれば、
「注射針の痛み」を感じつつも、「感謝」や「安堵」などのポジティブな感情を生み出すことができるのです。

逆に、「性的な快楽」や「麻薬的な快楽」を体感しつつ、
その一方で「後ろめたさ」や「罪悪感」を感じることも出来るのです。


まず、「ネガティブな感覚」と「ネガティブな感情」を混同しないことが、
【 感情の性質・メカニズム 】を理解する為の初歩となります。

2.感情は「認識・解釈」によって生まれる

人間は、【「自分にメリットがある・有益」だと認識・解釈 】しているときに、「ポジティブな感情」を生み出し、
【「自分にデメリットがある・有害」だと認識・解釈 】しているときに、「ネガティブな感情」を生み出します。

例えば、「素性の分からない覆面の人間」から、いきなり注射を打たれたとしましょう。
ほとんどの人は、「恐怖」や「怒り」を感じるでしょう。

「毒物」かもしれないし、「麻薬の類」かもしれない…、と想像します。


しかし、その人が覆面を取ったら、正体は「とても信頼のできる名医」であり、
「あなたを救うためにワクチンを打った!」と言われたら、安心するでしょう。


客観的事実は、「ワクチンを打たれた」と言う事ですが、
その目の前の現象を【 自分がどう認識しているか? どう解釈しているか? 】によって、

「自分の生み出す感情の方向性(ポジティブ・ネガティブ)」が変わってくる訳です。

3.感情は空間を伝わり、伝播するエネルギー(ミラーニューロン説は間違い)

人が怒った時に漂う空間の雰囲気を「ピリピリした空気」と言われたり、
人が落ち込んでいる時に漂う空間の雰囲気を「重苦しい空気」と言われますが、

別に、「怒った現場」や「落ち込む原因」を目撃したわけで無くても、
後からその場に到着したとしても、人間はそういった「場に漂う雰囲気」を感じ取ることができます。

(そういった空気に対して敏感だったり、鈍感だったり、個人差はあります。)


他にも、「不安でオドオドした人」が隣に座ると、
別にその人が別に自分の視界に入っていなくても、イヤな感覚をすることがあります。


「もらい泣き」に関しても、他人が泣いていると影響を受けて自分も泣きたくなる現象ですが、

相手が視界に入っていなくても、泣く理由に共感している訳じゃなくても、
他人の感情に感化されることはあります。


こういった現象は、
社会の中で生きていれば誰もが経験する事でしょう。


しかし、これは【 脳内ホルモン(脳の中で感情を司る物質)】が飛散しているのでしょうか?


もしそうだとしたら、既に観測されているでしょうし、

アニメ声優の「泣き声」でも「もらい泣き」しそうになるのは、
テレビから何かの物質が飛び出しているのでしょうか?


・「表情や振る舞いの目撃」でもなく、
・「理由への共感」でもなく、
・「脳内ホルモンの飛散」でもなければ、

なぜ、人間は「他人の感情」を感じとり、感化されるのでしょうか?


「ミラーニューロンが…」という人がいますけど、

そもそも、ミラーニューロンとは、

猿の脳を調べた時に「自分が行動した時」と「他人の行動を見た時」で、
同じ反応を示した神経細胞という事で
す。

(しかも、人間に関しては「ミラーニューロンが存在するという証明」すらなされていません。)


他人の行動は、「
目」という感覚器官を通した「視覚情報」で確認できますが、
他人の感情は目で確認する事はできません。

では、「感情」
をキャッチする感覚器官は、どこにあるのでしょうか?


視覚情報は「目」
聴覚情報は「耳」
嗅覚情報は「鼻」
味覚情報は「舌」
触覚情報は「肌」

という風に、
それぞれ感覚情報をキャッチする「感覚器官」が必要です。


【 ミラーニューロンが「他人の感情をキャッチする感覚器官」】などとは、
どんな科学者も言っていません。

自己啓発などで言われるような、

ミラーニューロンが感情をキャッチしているというのは、
間違いなく【 拡大解釈・曲解 】です。


そもそも、自己啓発やスピリチュアルの著者・講師は、
科学実験結果の【 拡大解釈・曲解 】の常習犯です。


話を戻しますが、

「感情とは、現代の一般的な機械で測定できていないエネルギーである」
と考えると全て筋が通ります。

(というか私は経験上、確信していますが)


感情は、空間を伝播し、物質にも宿る。


感受性が豊かだったり、繊細な人であれば、
「人の作った美術、音楽、料理」などから「作者の感情」を感じる事はできますし、

人が死んだ事故物件などで、
「嫌な空気が漂っている」と感じる人が多いことにも説明が付く訳です。


つまり、感情というエネルギーは、

・音(空気振動)
・可視光線(電磁波)
・物質(住居・料理・彫刻作品)

などに宿るという事です。


例えば、音楽の世界の話をすると、

技術的には下手でも「感動させる歌」を歌う人もいれば、
技術的には確かに上手だけど、それだけで何も感じられない歌い手もいますよね?

その違いは、演奏技術では説明できません。


しかし、「感情という(物理的な)エネルギーを音に乗せている」とすれば、
全てうまく説明できる訳です。

4.感情は「感じる・発散させる事」によって消えていく

一度生まれた感情は、「感じるか、発散させる事」によって消えていきます。

例えば、イライラした時に、「モノ」や「他人」に【 八つ当たり 】したくなるのは、
自分の内側に溜まっ
ている「怒りの感情」を発散させたくなるからです。


人間はほとんど誰しも、「嫌な思い出」を持っていると思いますが、

・今、思い返しても「嫌な気持ちが沸いてくる思い出」と、
・当時は嫌だったけど、今思い返しても「嫌な気持ちがしない思い出」と、

2種類の思い出があります。


その違いが、「感情を感じて発散させ切っているか否か?」の違いです。


逆に、過去に嬉しかったことを思い出したとしても、
懐かしいだけで、「その時と全く同じ感情」は沸いてきません。

その時生み出した「嬉しい感情」を感じ尽くしたので、消えてしまったということです。


・「消えてしまった感情」については、当時の事を思い出しても感情を伴わない
・「残っている感情」については、当時の事を思い出したら感情が伴う


人間は基本的に「ネガティブな感情」を感じることを避けようとしますが、

生み出したにも関わらず「感じずに発散させなかった感情」というのは、
自分自身の「体内・意識内」に留まり続ける事になります。


そして、「ネガティブな感情」を体外に発散させずに、
体内や潜在意識に蓄積させ続ける事によって、心身に不調をきたすようになる訳です。

5.ネガティブ感情は、必ずしも害悪とは言えない

例えば人間は、「痛み」を一切感じなくなったら、
あらゆる肉体的ダメージを感知できなくなります。

大きな傷を負っても、病気になっても、
それを自覚する事ができず、「治療しよう!」とも思わなくなります。

ですから、人間が「痛み」を感じる事には大きな意味があります。


それと同じように、「ネガティブ感情」に関しても、
必ずしも害とは言えません。

例えば、目の前で「無差別殺人鬼」が暴れ回っているのに、
一切の「恐怖」や「ネガティブ感情」を感じなかったらどうでしょう?

「自分の身を守ろう! 大切な人を守ろう!」という気になりません。


目の前に起こる現象を、なんでもかんでも「自分にとって害」だと捉えると、
当然ながら、必要のない事まで、無駄に「ネガティブ感情」を生み出す事にはなりますが、

「自分が不当に扱われたり、他人から危害を加えられようとした時」に
生まれるネガティブ感情は、

「痛み」と同じく【 自分の身を守るために必要なサイン 】となっている訳です。

潜在意識の法則

1.潜在意識の存在

人間には、

・理性的には「やった方が良い」と思っているのに、「どうしてもやる気が起きない」とか、
・「負ける確率の方が高い」と理性では分かっていても、「ギャンブルをやめらない」とか、
・禁煙すると決めたのに、タバコを目の前にして「決意が揺らぐ」など、

心理的な「矛盾」や「葛藤」が存在しています。

【「理性」と「感情」が対立する状況 】は、人間であれば誰もが経験することでしょう。


そして多くの人々は、なぜ自分が「相反する気持ち」を持ち合わせているか?
その理由がなかなか自覚ができません。

「やった方が良い」と頭では分かっている事に対して、
「何故やる気が起きないのか?」 その理由をなかなか自覚できない。


つまり、自分の意識の中には【「自覚しにくい領域」が存在している 】ということ。

その領域を、一般的には「潜在意識」と呼ばれている訳です。

2.発散させなかった感情は潜在意識に溜まる(トラウマの仕組み)

発生させたのに「感じずに、発散させなかった感情」は、
「意識の中の自覚しにくい領域(潜在意識)」の中に留まり続ける事になります。

潜在意識の中に抱えているネガティブ感情の事を、私は「トラウマ」と呼んでいます。

(※ 学術上やその他の「トラウマの定義」についてはこちら


トラウマが生まれる理由は、

生み出したネガティブ感情が大きすぎて、
リアルタイムで処理し切れ無かった事によるものです。


例えば、ネガティブ感情を表現すること(泣く、怒る)自体を、
「悪いことだ」と思っている人もいれば、

親に虐待されていて、「素直な感情表現」ができなかった人もいますが、

そういう【 感情を発散させずに、溜め込む習慣 】を持っている人は、
潜在意識内にトラウマを抱えている場合が多いです。


しかし、感情とは「体外に排泄されるのが自然な流れ」なので、
潜在意識内のトラウマは、常に「発散・解放に向かうチカラ」が働いています。

(※ フラッシュバックもこの理屈で説明できる)


にも関わらず、多くの人々は、

「ネガティブ感情」を感じたくない、認めたくないが故に、

「トラウマの原因となった過去の思い出」を思い出さないようにしようとして、
あえて、その自然な流れに抵抗する訳です。


そうなると、トラウマはいつまで経っても消えません。


例えば、過去に犬に噛まれて、
「犬に強いトラウマを抱えている人」がいるとしたら、

その人が犬を見ると、「過去の嫌な出来事を思い出すキッカケ」や、
「感情解放のトリガー」となり、

過去のネガティブ感情(トラウマ)が沸いてくるので、

それの感情を避けるために「恐怖心」が沸いてきて、
【「犬を見ること自体」を避けようとする 】というシステムになっている訳です。

3.幼少期満たされなかった欲望・願望も潜在意識に留まり続ける

潜在意識は感情だけでなく、
「欲望・願望など」も格納・保存・蓄積される仕組みになっています。

例えば、子供の頃に「やりたくても出来なくて、満たされなかった想い」があれば、
長い時を経て大人になったとしても、満たされるまで「その想い」は消えません。


「ゲームをやりたくても出来なかった」 → 大人になってから、思いっ切りやろうとする
「親にもっと甘えたかった、愛されたかった」→ 大人になってもその欲求は消えず、他人に甘えたくなる

という事です。

自信の法則(自尊心・自己肯定感・自己重要感などと同義)

1.自信には「存在・個性に対する自信」と「能力・実績に対する自信」がある

自信とは、【 自分自身の「価値・能力」を、自分で「認める・評価する」こと 】ですが、

自信には大きく分けて、
「1.存在・個性などの内面に対する自信」と「2.能力・実績などの外面に対する自信」があります。

通常、「1.存在・個性などに対する自信」を育むのは、「育ての親からの無条件の愛情」によってです。


もっと言うと、
そもそも「自分自身を愛している親」でないと、子供も「自分の愛し方」が分からりません。


幼少期に愛情が不足していると、

【 自分に「能力の高さ」や「他人からの評価」がなければ、自分には存在価値がない 】
という「強迫観念」を抱くようになる訳です。


「自分には存在価値がない」と感じることは、
人間にとって非常に大きな「精神的苦痛・悲しみ・恐怖」となります。


ただし、「2.能力・実績に対する自信」を高めることによって、
「1.存在・個性に対する自信」を埋めようとしても、アプローチが間違っているので解決にはなりません。


そうなると、

・自分の能力や実績を誇示すること(マウントを取り、他人を見下し、優越感を感じること)や、
・SNSで「いいね!」を集めることによって、

【 自分の存在価値が失われる恐怖感 】を紛らわそうとする訳です。


この様な欲求は、一般的に「承認欲求」と呼ばれています。


つまり承認欲求とは、「内面に対する自信の欠如」から、
それを埋めようとして生まれる欲求です。


「ホームレスに生存価値なし」と発言した、メンタリストDaiGoは好例で、

彼には、「1.存在・個性などに対する自信」が欠如しているからこそ、
「2.能力・実績に対する自信」によって、恐怖心を紛らわそうとしている訳です。


他にも、異性の親との関係性で「トラウマ」や「愛情不足」がある場合、

「異性からの愛情」は欲しがる割に、
結婚などの「深い仲」になることに対して恐怖やトラブルが生まれやすくなります。

2.存在価値への自信を失わせるのは、「〇〇には(絶対的に)価値がない、有害だ」という思想


3.「自信」と「謙虚」は、意識的にバランスを取る必要がある


モチベーションの法則

1.「やる気 / モチベーション」の根本解決とは、迷いや葛藤の解決にある

誰に対しても、何に対しても、
自由自在に「やる気」を出させる魔法は存在しません。

例えば、いくら好奇心旺盛な私でも、「研究・教育などの知的活動」が好きな反面、
「自分にとって最も興味の薄い活動」は「スポーツ観戦」だという自覚があります。


そして、私に対して「どれほどの心理的アプローチ」を施そうとも、
今後、スポーツ観戦が大好きになることは考えられません。

それは、「生まれ持った個性」だからです。


何に興味があり、何に興味が薄いか?

それは、先天的に決まっており、
子供から大人になっても、一生を通して変化する事がありません。


魅力を伝えることで、「ある程度の興味付け」はできますが、
それによって私が「スポーツ観戦に没頭する人間になること」は決して無いでしょう。


【 そもそも、向いていない事(生まれ持った個性に合ってないこと)に対して、
やる気を出させるのは不可能だ 】

という理解が大切です。


しかし、多くの人が「やる気 / モチベーション」で悩んでいるのは、
葛藤をしているからです。

「やりたい理由」と「やりたくない理由」の相反する気持ちが両方、
意識内に存在している事にあります。


だから、「やる気 / モチベーション」の根本解決とは、
【 無理にやる気を出させること 】ではなくて、「迷いや葛藤の解決」なのです。


「目的」と「選択肢」と「メリット・デメリット」を整理して、
【 本人が「心の底から納得のいく決断」】をサポートすることが、

「やる気・モチベーション」の根本解決なのです。


「自分にメリットのある目的」が自覚でき、「決断」ができれば、
人間は「迷い」や「葛藤」を断ち切り、目の前の活動に集中する事ができます。


逆に、その結果「やる気がゼロ」になったとしても、
モチベーションの問題は解決された事になります。


そもそも、向いてない事にやる気を出させることは不可能なのです。


無理に「やる気」を出させようとせず、
潜在意識下の【 迷い・葛藤を解決する 】という「目的 / 目標」に向かうべきなのです。

2.「やる気 / モチベーション」を継続的に高く維持する為の条件

「やる気 / モチベーション」を高く維持する為には、条件があります。

まず第一に、心身のコンディションが良好である事です。

つまり、土台としてまず、

「適度な運動と十分な栄養によって作られ、毒素に侵されていない健康な肉体」と
「ストレスの少ない精神状態」が必要です。


「心身のコンディション」が悪いと、
何らかのアクションを起こそうという気力が足りなくなります。

例えば、「うつ病」などの精神疾患になると、「気力がほとんど無い状態」になってしまい、
他人と喋ることすら、出来なくなってきます。

ですから、心身のコンディションは、アクションを起こすための「気力の源」です。


「病気・怪我」で身体の調子が悪い時も、積極的に行動しようという気は湧いてきません。

それは、身を守るために、
無理をさせずに、肉体を休ませようとする動物的本能でもあると思われます。


上述の「心身のコンディションが万全である」という前提で、

継続的に「やる気 / モチベーション」を引き出そうと思ったら、
まず第一に、「明確な目的意識」を持つことが必要です。

「なんの為に、自分にどんなメリットがあって、その行動をするのか?」
という事です。

自分の行動に対して、「数多くのメリット」が感じられる場合は、
高い意欲を持つことができます。


そして、「やりたくない事を無理矢理やること」を避けるために、
自分がやりたくない事は「他人に任せる」という戦略が必要です。

面倒だけれども、どうしても自分がやらなければならない事に関しては、
「できる限りラクにこなせる方法」を模索したり、

「自分がやらなくても何とかなるんじゃないか?」という疑念を捨てる為に、
「なぜ、自分がやる必要があるのか?」を明確に理解する必要があります。


という訳で、「やる気 / モチベーション」を継続的に高く維持するには、
「やる気 / モチベーション」に関わる、さまざまな条件をクリアしていく必要があります。


1.心身のコンディションを万全に保つ

2.「目的、選択肢、メリット・デメリットなど」の情報を整理して、
潜在意識レベルの「迷い・葛藤」を無くし、心の底から納得した決断を下す

3.やりたくない作業と出会した場合は、

「積極的に他人に任せよう」としたり、
「ラクにこなせる方法」を模索したり、
「なぜ自分がやるべきなのか?」を理解して、腹を括る、覚悟を決める

などの適切な対処を行う。


「上記の様な条件」をクリアし続けることで、モチベーションは高く維持されるのです。

3.「一生途切れない永続的なモチベーション」を持つ方法

基本的に、モチベーションというのは達成するとゼロになります。

トランペットが欲しいと思っていた人が、トランペットを手に入れると、
「手に入れる為に努力する」というモチベーションがゼロになります。

達成すると、モチベーションは終わってしまうので、
達成されない目的を持つことで、永続的なモチベーションを手に入れる事ができます。


一生途切れないモチベーションを持つ為には、
【 人生の目的 】を見つけること、自覚する事です。

つまり、【 自分が生きている限りは、これを追求する 】というテーマを持つ事です。

生きている限りは、これを追い求める。

「成長なのか、鍛錬なのか、研究なのか、追求なのか、
快楽なのか、平穏なのか、貢献なのか、資産なのか」

それは人それぞれでしょうけど、

【 生きている限りは、これを追求する 】というテーマを持っている人は、
やることに終わりがありませんから、「毎日やることがある状態」になります。

バランスの法則

1.衝動とは、抑圧の反動である

人間の精神には、常に「バランスを取ろうとする働き」が働いています。

それは不思議なことではなくて、

人間の肉体も「体温・血糖値・血液の塩分濃度・水分量など」をホルモンによって調整し、
常にバランスを取ろうとしています。


そして、人間は自分の気持ちを「抑圧」すると、そのバランスを取ろうとして、
「反動としての衝動」がどこかで必ず生じるようになっています。


「1.存在・個性などに対する自信」の欠如を、
「2.能力・実績に対する自信」で埋めようとするのも、【 精神内でのバランスを取りたいから 】なのです。


人間が、「多種多様な楽しみ」を抑圧するとどうなるでしょう?

「たった一つ、自分が自分に許している楽しみ」に集中するようになる。


それが、「アルコール、ゲーム、ドラッグ、ギャンブル、セックス、暴飲暴食」などの
各種依存症(抑えきれない衝動)に繋がっていく訳です。

さらに、日常生活において慢性的に精神ストレスを感じている人ほど、
【 ストレスを紛らわしてくれる「依存対象」】にのめり込んで行きます。


つまり、何かに対して依存症になっている人の多くは、
【 普段からストレスを感じつつも、自分にあまり楽しみを許していない人 】という事です。

それは、「親の価値観の影響」だったり、「お金」が原因だったりです。


ストレス源を根本解決し、自分自身に「多種多様な楽しみ」を許すことで、分散され、
それぞれを「適度に、心身に負担が少ない形」で楽しめるようになります。


ストレスを紛らわせる為の楽しみを一極集中する事により、心身への負担が増大するので、
「楽しみを分散」させることで、【 心身への負担が少ない生活 】へとシフトしていく訳です。

2.人間には、「公平」を望み求めるバランス感覚が備わっている(正義感とは何か?)


恐怖の法則

1.恐怖心とは、「心身へのダメージ」の可能性・危機を察知し、回避しようとする防衛本能である

恐怖の本質とは、
肉体的・精神的ダメージを回避しようとする「危機回避の為の防衛本能」なのです。

例えば、肉体面の話をすると、
高所から落下しそうになるとき、猛獣に襲われそうになったとき、人は恐怖を感じます。

それは、「肉体的ダメージを負う可能性」を察知しているからです。


では、精神面の話をすると、
学生の頃なんかは、異性に好意を伝えること(告白)に恐怖を感じます。

それは、相手の否定や拒絶によって
「精神的ダメージを負う可能性」を察知しているからです。


では、どうすれば恐怖心を軽減させることが出来るでしょう?

「直面している危機」を分析して、効果的な対策を立てることです。

事前対策によって、「危機の可能性」を減らし、
もし危機が現実化しても、素早く対応してダメージを減らす為の事後の対策方法を用意する。

あと、最終的にはダメージを負う覚悟を持つことです。

ダメージを負う覚悟さえあれば、恐怖心は無くなります。

2.恐怖心は、人間をパニックに陥れ、論理的思考(冷静な思考・判断)を出来なくさせる

恐怖心の克服法は、
「直面している危機を分析して、対策を立てることだ」と書きましたが、

恐怖心が強すぎると、
頭が真っ白になり、論理的思考力が大きく損なわれます。

つまり、冷静でいられなくなり、まともな思考や判断ができなくなります。


いつもオドオドしている人というのは、
常に焦って、不安を感じているわけですが、そういう人は、頭が働いていません。

まず感情的に安定しなければ、思考は働かないのです。


恐怖心が強いということは、

分析したり、対策をするということ自体が難しくなり、
そのことが、「恐怖心への対策」を難しくしています。


ですから、そういう場合こそ、他人からの助力が大きな助けとなります。