Research

研究内容

近年の研究の進歩により,多様な細胞の運命が決定される際の分子機構はかなり明らかになってきました.また,"形づくりの設計図" に関しては,まだ未解決の問題が残されているものの,かなりの部分が詳しく分かってきました.一方,運命決定を受けた細胞が他の細胞との相互作用を介して機能的な器官を形づくる機構,脳内神経回路を構築・制御する機構に関しては未だによく分かっていません.このような "機能的な分化" の過程に存在する基本原理を明らかにしていくことは,将来的には再生医療への応用やヒト疾患の病態解明などにもつながっていくことが期待されます."細胞の機能分化に関わる基本原理" を明らかにしていくためには,その機能を直接的に可視化して解析できることが望ましいです.

当研究室で解析に用いている腸管細胞は,銅イオンの吸収機能や酸分泌能を可視化して解析できます.また,視覚認識行動や性行動なども比較的簡単な方法で解析することができます.このような解析システムを用いて,以下の研究テーマに取り組んでいます.

転写制御因子 Defective proventriculus (Dve)

dve 遺伝子からは2種類の転写産物 (dve-A, dve-B) が生成され,それぞれの翻訳産物 (Dve-A, Dve-B) は N 末端領域の配列のみが異なる.いずれのアイソフォームも K50 タイプのホメオドメインを2つ (HD-N, HD-C) 持ち,標的配列 TAATCC に結合する.コンパスドメイン (CMP) はタンパク質間相互作用に関与する.

胚発生期 (stage 14) における Dve 発現

1. オスの生殖戦略

ショウジョウバエのオスが自分の子孫を残すためには,精子を正しく作ることに加えて,生殖戦略として以下の4つを実行している.

(1) 異性 (メス) に求愛して交尾を成功させる

(2) 同性 (オス) への求愛を抑制する

(3) 交尾したメスが多くの卵を産むように産卵行動を促進する

(4) 交尾したメスが他のオスと再交尾しないように交尾拒否行動を誘発する

上記 (1) のオス求愛行動は,(a) メスへの定位,(b) 接触,(c) 求愛,(d) 交尾器を舐める,(e) 交尾試行,(f) 交尾, というきわめて定型的なパターンによって構成される.この一連の行動はメスのフェロモンによって誘発されるため,通常はオスがオスに求愛することはないが (上記2),fruitless (fru) 変異体のオスは同性愛行動を示す.この発見を機に,脳における転写制御因子 Fru 発現の雌雄差が,オスとしての性行動を規定していることが次々と明らかにされてきた.

一方,上記 (3) と (4) を制御するのは精液成分である.ショウジョウバエのオス附属腺 (accessory gland) は,ヒトの精嚢や前立腺と機能的に相同な器官として知られており,2種類の二核性上皮細胞 (~1,000 個の主細胞と ~60 個の第二細胞) から構成される.これらの附属腺細胞は,精液中に 83 種類の accessory gland proteins (Acps) を分泌する.メスの生殖器内に輸送された Acps は,交尾拒否行動の誘発,貯精・産卵の促進などを引き起こすことで,交尾オス (自己) の子孫を残しやすくしている.また,転写制御因子 Paired (Prd) は附属腺細胞の細胞増殖と機能分化に必要であり,変異体オスの附属腺は萎縮し,射精不全による不妊を示す.附属腺の発達 (機能分化) は生殖能力と密接に関連していると考えられている.

脳や附属腺における Dve 発現細胞はオスの性行動や妊性 (上記 1~4) を制御しており,Dve によって制御されるオスの生殖戦略の分子機構について解析を行っている.

オス附属腺 (accessory gland):主細胞 (main cell) と第二細胞 (secondary cell)

蛹期の栄養環境は第二細胞の数や大きさを制御し,成虫期の栄養環境は主細胞の大きさを制御することで,栄養環境に応じた妊性の最適化を行っている.

2. 神経細胞の機能分化

ハエの視覚認識は,動きの認知 (optomotor response) と対象物の認知 (object fixation) に分けることができる.ショウジョウバエの脳は非常に小さいため,電気生理学的な解析は困難であるが,オオクロバエを用いた電気生理学的な解析から,水平方向あるいは垂直方向の動きに対して選択的に応答する神経細胞群が同定されている.同様に,対象物認知に関わる神経細胞も同定されているが,より高次なレベルでどのような情報処理が行われているかに関しては,明らかにされていない.ショウジョウバエの視覚認識行動を簡便かつ高感度に検出するために,H型迷路装置を使った H-maze assay を考案した.このアッセイにおいて異常を示した P 因子挿入突然変異系統 dveSH255 は,視覚刺激としてのストライプパターンに対する指向性が有意に低下していた.P 因子内に存在する標識遺伝子の発現は中心脳の少数の細胞群で観察され,変異系統の原因遺伝子として dve 遺伝子が同定された.脳における Dve 発現細胞の解析を行っている.

dve 遺伝子は眼の光受容細胞でも発現している.複眼は約 800 個の個眼から構成され,各個眼には8個の光受容細胞 (R1-R8) が存在している.これらの光受容ニューロンは,特定の波長の光を吸収する視物質ロドプシン (Rhodopsin; Rh) が集積した構造体 [ラブドメア (rhabdomere)] の配置から, (1) 外側光受容細胞 (R1-R6:物体の認識に関与),(2) 内側光受容細胞 (R7, R8:色の認識に関与),の2種類に分類される.すべての外側光受容細胞 R1-R6 は Rh1 ロドプシンを発現するが,内側光受容細胞は Rh3~Rh6 のいずれかを発現する.内側光受容細胞で発現するロドプシンの種類によって,個眼は3種類に分類され,眼の背側辺縁部 (dorsal rim area) に存在する DRA type 個眼 (Rh3/Rh3 in R7/R8) は偏光を認識する.複眼の大部分を占めるのは pale type 個眼 (Rh3/Rh5 in R7/R8) と yellow type 個眼 (Rh4/Rh6 in R7/R8) である.複眼内における両個眼の分布はランダムであるが,pale type と yellow type の比率 (およそ 3:7) は常に一定に保たれている.また,R7/R8 における正確なロドプシンカップリングは,pale type 個眼の R7 (Rh3 発現) から R8 に発信される "Rh5 誘導シグナル" によって成立するが,この分子的な実体は不明である.このような精密なロドプシン発現の制御には,Dve を含むさまざまな転写制御因子が関与しており,その分子機構について解析を行っている.

3. 消化管の機能分化

銅 (Cu),鉄 (Fe),亜鉛 (Zn) などの金属イオンは生体機能にとって非常に重要な働きを果たしている.たとえば,銅イオンを必要とする酵素としては,酸化ストレス応答に必要な Cu/Zn-superoxide dismutase (SOD), ミトコンドリアにおけるエネルギー生成に必要な cytochrome c oxidase, 神経伝達物質ドーパミンの代謝に必要な dopamine-beta-hydroxylase などが知られている.しかし,過剰な金属イオンは生体に毒性を与えるため,適切な平衡状態が維持されなくてはならない.銅イオン平衡が乱れることによって引き起こされる遺伝性の神経変性疾患として,Menkes 病,Wilson 病などが知られている.また,アルツハイマー病の病態と銅イオン平衡の関連性についても数多くの報告が成されている.

腸管上皮細胞は,これら金属イオンを腸内腔から吸収し,金属イオン平衡を維持するために重要な働きを担っている.ショウジョウバエの中腸には copper cell と呼ばれる細胞が銅の吸収を行っている (下図-左側の模式図).銅を摂食させた後,その吸収機能を赤色の蛍光シグナルとして可視化することができる (下図-中腸の機能:Cu-feeding).また,copper cell はヒトの小腸のように腸管内腔側に微絨毛を有している.copper cell と間質細胞 (interstitial cell) は交互に隣接して存在しており,この領域は酸の分泌機能も担っている.このため,pH 指示薬である Bromophenol blue (BPB) を摂食させると,この領域の後ろ側では,腸管内腔の pH が低いために黄色から緑色に変色する (下図-中腸の機能:BPB-feeding, 矢印).このように,ショウジョウバエの中腸は銅吸収と酸分泌能を可視化して解析することができる優れたモデルシステムである.