獄中作家・永山則夫の遺品をアーカイブとして公開し、次世代に継承する
獄中作家、「永山基準」としても知られる永山則夫。当時19歳で起こした事件により死刑判決が確定し、執行され亡くなりました。永山が残した遺品を次の世代へと残し伝えていくことは、これからの刑事政策に向けて、特に死刑制度を考えていくうえで重要な資料となります。永山則夫アーカイブ研究会は、永山が残した膨大な遺品や資料を整理し、アーカイブとして公開することを目指し活動しています。
活動記録(note)
・【note更新】永山則夫さん30回忌に寄せて
・【活動記録】永山則夫さんの遺品整理作業日記 その1
・【メディア掲載】朝日新聞「連続射殺魔が残した記録 最後の面会でつぶやいた「また会いにきて」」(2026.4.13)
・【メディア掲載】東京新聞「永山則夫元死刑囚の遺品は家1軒分に増え…支援者個人の保管は限界 散逸の危機にひとりの弁護士が腹をくくった」(2025.10.30)
過去に開催したオンラインイベント
2025年10月1日から10月27日まで、東京・赤羽にある書店「青猫書房」にて、「永山則夫が残したもの」展が開催されました。永山則夫が残した膨大な遺品や資料の中から、抜粋して展示されています。永山の資料をこれまで保存し、各所で展示や講演活動をされてきた市原みちえさんから、今回の展示をご紹介いただいた動画です。
袴田さんの雪冤を契機に再審法制定をめぐって、議会と法務省が熾烈な闘いをくりひろげています。永山さんの裁判は一審の死刑が二審で無期に減刑され、最高裁で破棄差戻しになりました。そのとき示された死刑と無期の分水嶺を「永山基準」と呼んでいます。論点は、少年法51条の行為時18歳未満の少年には死刑を言い渡すべきときであっても無期とする。永山さんは19歳でした。赤貧洗うがことき不遇な環境で育ち、十分な教育も受けていない被告人は、実質的には18歳未満と言えるのではないか?精神鑑定はできないのか?軽い刑を科すべき新証拠があれば、再審を始めるべきではないか?永山裁判は再審法にもつながっています。みなさん、一緒に考えてください。
安部公房に「箱男』(1973年)という作品がある。ダンボール箱を頭から腰まですっぽりとかぶり、覗き窓から外の世界を見つめて都市を彷徨う男の話だ。永山則夫は作家だ。1949年6月27日に生まれて1997年8月1日に東京拘置所で48歳で死んだ。1969年4月7日、19歳のときから箱に入ったことになる。法廷という小窓から、時代の流れを観ながら、同時代人として、作家として生きた。
1971年、手記『無知の涙』がベストセラーとなり、その印税の一部を編集者や獄中結婚した妻を通じて被害者遺族に渡そうとした。小説家として『木橋』(1984年)が第19回新日本文学賞を受賞し、『ソオ連の芸人』(1986年)、『捨て子ごっこ』(1987年)、『なぜか、海』(1989年)を矢継ぎ早ぎに発表した。
赤貧洗うが如き状況で網走と板柳で育ち、金の卵の中卒者として東京で就職し、荒れる都会で独りになり、4人を殺してコンクリートの箱の中に入った。法廷という窓から時代をながめながら、膨大な文章をつむぎ、小説というかたちのメモを外におくりつづけ、そして、国家に殺された。
第二回の永山研究会では、作家・永山則夫の人生と作品をみんなで考えました。