このページの訪問者は「北海道大学理論化学研究室」のサイトから来られた人がほとんどだと思います。当研究室のHPには研究概要が紹介されていますが日本語の解説は無いため、初めて研究に触れる人にとっては具体的にどんな研究をしている研究室なのかよく分からないかもしれません。そこで学部生向けに簡単な研究紹介を掲載します。このページが少しでも皆さんの研究室志望の参考になれば幸いです。是非、化学科の人たちでシェアして下さい😉
・以下の内容は私が勝手に書いている文章です。問題があれば削除・修正に対応します。
・掲載している画像の著作権は筆者に帰属します。
・高橋グループは2022年11月より「情報化学研究室」として前田研から独立しました。
前田研では、量子化学計算に基づいて化学反応をシミュレーションし、様々な化学反応の性質を調べる研究に取り組んでいます。
「量子化学計算」というのは学部生の皆さんにとっては聞き慣れないと思いますが、北大化学科の3年生なら化学実験Ⅱ(旧「計算機実習」)でやった記憶があると思います。パソコンを使って水分子の2量体の構造最適化をしたのを覚えているでしょうか? あれが「量子化学計算」です。学部の実習ではデスクトップパソコンの中で計算しましたが、研究室では専用の計算機としてスーパーコンピュータ(通称「スパコン」)を使います(研究室見学のときに見せてもらえるかも・・・?)。
スパコンには学外からでもアクセスできるので、ネット環境とパソコンさえあれば、出張先でも、旅行先でも、どこでも、24時間いつでも、研究ができます😇
理論化学研究室では「GRRM」という化学反応経路の自動探索プログラムを開発しており、このプログラムを化学反応の理論解析に応用して研究しています。「GRRM」という名前は "Global Reaction Route Mapping"=「グローバル反応経路マッピング」というコンセプトの頭文字から取られたものです。ここで言う "Global" というのは「大域的な」という意味です。
ここで興味のある方向けに、少し一般的な化学の話をします。
化合物の構造は立体的、つまり3次元的な構造であり、各原子の位置(座標)を決めれば化合物の構造が一意に定まります。化合物の持っているエネルギーの値は各原子の3次元座標によって変化し、一種の多変数関数として扱うことができます。これは化合物の構造とエネルギーとが1対1で対応しているためです。
※「励起状態を考えると1対1で対応していない(1価関数でない)のでは?」と疑問に思われた方は鋭いですね。確かに、より高いエネルギー準位にある電子状態まで含めると、エネルギーは3次元構造に対して多価な関数と捉えられますが、ここでは基底状態にのみ注目し、励起状態の話を一旦置いておきましょう。同様にスピン状態の話も脇に置いておきます。
N原子分子のエネルギー(ポテンシャル)を関数と見なすと、分子の並進と回転の次元を除いた「3N-6次元の曲面」を成します。このような多次元(3次元以上)の曲面は「超曲面」と呼ばれています。「構造最適化」の計算はこの「超曲面」(「ポテンシャルエネルギー(超)曲面」とも言います)の上にある極小点を探す数学的操作に対応します。なかなか頭の中では想像できませんが…。
化学種の反応は、ポテンシャルエネルギー曲面に基づいて理論的に調べることができます。いきなり実際の分子を相手にして多次元の空間を考えるのは難しいので、ここでは簡単な例として2次元のポテンシャルを考えることにしましょう。
2次元ポテンシャルの場合、停留点には極小点、極大点、鞍点の3種類が存在し、鞍点には遷移状態に相当する「1次の鞍点」と、"Monkey saddle" と呼ばれる「2次の鞍点」が存在します。ポテンシャルエネルギー曲面上に存在するこれらの点を特定することは、化学反応を理論的に議論する上で重要です。
理論化学の世界で良く知られている2次元ポテンシャルである "Müller-Brown potential"(ミューラー・ブラウン ポテンシャル)を図に示します。このMüller-Brown potentialは3つの極小点(minima)、2つの1次の鞍点が(saddles)を有する多峰性のポテンシャル面です。ポテンシャル面上の停留点は、「連続最適化」という数学の一分野の手法を色々と用いることでプログラムで求められます。
[ref.] K. Müller, D. Brown, Theoretica chimica acta, 1979, 53, 75–93.
※Müller-Brown potentialを題材とした停留点の探索に興味のある人はこちらのページも参考にして下さい。
ところで、実際の化合物に対応するポテンシャルエネルギー曲面は、N原子分子の場合、3N-6次元(直線分子では3N-5次元)もの高次元となります。
ポテンシャル面が多峰性の場合、停留点は複数存在します。それらをすべて見つけるには多数の初期点を用意して最適化計算を行わなければなりません。例えば、初期点を格子状に1.0間隔で100個用意して、そこからポテンシャル面を下るという「グリッド探索」が考えられます。実際、この方法によって所期の目的は達せられますが、100回も計算しなければいけないという点で非効率です。また、今回のような2次元のポテンシャルならば現実的な時間内で計算できますが、これが例えば10原子分子の場合は24次元空間となり、グリッド点が10の48乗個も必要になります。仮に1点の電子状態計算が1秒で終了するとしても、これら全点を計算していては宇宙の年齢を遥かに上回る時間を要してしまい、探索が到底終わりません。
そこで、効率良くPES上の停留点を見つける方法が必要となります。
多峰性のPES上の極小点は、別の極小点と最小エネルギー経路(Minimum Energy Path; MEP)で結ばれています。これは、盆地に位置する2つの町が峠道で繋がっている様子を想像すると、何となくイメージできると思います。簡単に言えば、MEPは2次元のPESで言うところの「谷底の経路」"valley path" に相当しています(※)。
(※) ただし、MEPは "valley path" と表現するよりも "path of least resistance"(最小抵抗経路)と表現するのが適切と言えます。通常、谷底は曲面の曲率が小さい方向に伸びていますが、これを辿ったからといって、峠(ここでは「遷移状態」)に到達するとは限らないからです。実際の反応経路は「峠を経由するような最小エネルギー経路」と言えます。(cf.) Dunitz, J. D.: Phil. Trans. R. Soc. Lond. B272, 99 (1975)
一般に、反応経路は Minimum~Saddle~Minimum の3点を端点、または経由するPES上の(超)曲線として定義されます。このような曲線のうち、エネルギーのロスが一番小さいものがもっともらしい反応経路と考えられます。
化学反応を特徴づける反応経路は、福井謙一(フロンティア軌道理論を考案した業績により、1981年にノーベル化学賞を受賞)によって「固有反応座標」として数学的に定式化されました。これを "IRC"(Intrinsic Reaction Coordinate)と呼びます。
IRC経路は簡単に言ってしまうと、PES上における最急降下経路として定義できます(正確には、質量荷重座標空間における最小エネルギー経路)。IRC経路は遷移状態を始点とし、遷移状態における虚の振動モードに沿ってポテンシャル面を降下した先の2つの極小点を接続します。遷移状態が見つかれば、IRC経路、つまり反応経路を求めることができるのです。
しかし残念ながら、ポテンシャル面の極小点における情報のみから鞍点を見つけ出すことは数学的に不可能であることが証明されています。そのため、遷移状態の決定には計算者による予測が必要です。
プログラムによる「反応経路探索」が主流になる前は、計算者が「遷移状態っぽい構造」を手で作って初期構造としていました。遷移状態は停留点なのでニュートン法によって求めることができますが、初期構造が悪いと全く鞍点に収束しません(是非、皆さんもプログラムを書いて確かめてみて下さい)。つまるところ、遷移状態を求める計算というのは、職人技が要求される作業だったのです。
さて、ここで少し、PES上の既知の極小点から未知の極小点を見つける手法について考えてみます。何らかの方法で既知の極小点から新しい極小点を見つけることができれば、上述した2点間法を適用して遷移状態を見つけることができそうです。 しかし、PES上の既知の極小点から未知の極小点を狙って見つけ出すという操作は、これまで不可能とされてきました。仮にできたとしてもランダムなサンプリングか、グラフ理論に基づく構造生成がせいぜいでした。
そんな折、2003年に大野公一(現 東北大学大学院 理学研究科 名誉教授)と前田理(現 北海道大学大学院 理学研究院 教授、WPI-ICReDD 拠点長)は「極座標内挿法」という手法を発表しました。これは後にADDF法(非調和下方歪み追跡法)と呼ばれる反応経路自動探索アルゴリズムの原型となるコンセプトでした。
"ADD" というのは非調和下方歪み(Anharmonic Downward Distortion)の頭文字です。大野らは「極小点から離れるにつれて調和ポテンシャルよりも下側に歪む」というPESの性質に着目し、このADDが化学反応経路の進行方向に相当することを見出しました。極小点周辺のADDを検出して追跡(Following)することで、計算者の予測に依らない反応経路探索を実現しました。
なお、化学反応の全面探索の試みそのものは以前から為されています。例えば、
最小の固有値に着目して反応経路を探す Eigenvector Following法:EF法
勾配が極値をとる条件を満たす点を停留点から辿る Gradient Extremal Following法:GEF法
極小点を中心とする球面上のエネルギー最小点を球面を拡大しながら追跡する Sphere Optimization法:SO法 (cf.) Pancíř, J. Collect. Czech. Chem. Commun. 1975, 40, 1112–1118 / Abashkin, Y.; Russo, N. J. Chem. Phys. 1994, 100, 4477–4483.
などがあります。
ADDF法はPES上を数学的に解析することのできる優れた手法ですが、PESの3次微分の情報が必要となるため計算コストが馬鹿になりません。原子数の多い大きな系ではその制約がより顕著に現れてしまいます。
これを克服した画期的な手法として、2010年に前田理と諸熊奎治が開発したAFIR法(Artificial Force Induced Reaction method;人工力誘起反応法)があります。これは、化学反応における反応物同士に仮想的な引力や斥力に相当するポテンシャルを加えることで、PES上の遷移状態の構造を特定する、という手法です。
図を見て分かる通り、AFIR法では人工力を加えて改変したポテンシャル面上における構造最適化のみを必要とすることから、これまでの手法に比べて格段に計算コストが削減されています。改変後のPESがバリアレスになるような適切なパラメータを選択することで、既存の極小点(平衡構造;EQ)から未知の生成物を第一原理的に得ることができます。
なお、この最適化計算で得られる構造は人工力を加えて改変したPES上の極小点(Approximate EQ)なので、真のEQではありません。この App. EQ を初期構造としてオリジナルのPES上で再び最適化を行うことで、真のEQを得ます。
また、構造最適化と同時にオリジナルのPESを追跡し、得られるエネルギープロファイルのピークから遷移状態の候補(Path Top)を特定することができます。これにより得られる近似的遷移状態(Approximate TS)をGuessとすれば、遷移状態が効率的に求められます。
GRRMプログラムには2種類の反応経路探索手法が実装されています。
まず一つが「非調和下方歪み追跡法」(Anharmonic Downward Distortion Following, ADDF法)です。先述の通り、ADDと呼ばれるポテンシャル面(PES)の非調和性を数学的に解析することで、安定構造の周辺に存在する反応経路を隈なく検出することができます。これを逐次的に用いることで、PES上の安定構造と遷移状態を網羅的に取得することができ、反応経路の網羅探索が世界で初めて可能となりました。
もう一つの反応経路探索手法が「人工力誘起反応法」(Aritificail Force Induced Reaction, AFIR法)です。一般に、化学反応には反応物から生成物に至るまでに「活性化障壁」が存在します。AFIR関数をポテンシャル面に加えて改変することで、エネルギーの最小化計算を行うだけで、化学的に妥当な経路に沿って(近似的)遷移状態の構造を得ることができます。
図は、あくまで2Dのポテンシャル面による概念図ですが、実際の計算で用いられるAFIR法を用いた反応経路探索では、絶妙なバランスで設計された「AFIR関数」によって上手い具合に探索が可能です。このコンセプトを押さえれば、誰でもAFIR法を用いて反応経路探索ができるようになります。AFIR法は想像以上に直感的な反応経路探索手法と言えるでしょう。
Q. プログラミングの知識が無いのですが...
A. 分属後に身に付くので大丈夫です。実際に、今いる研究室の学生メンバーも学部3年次の末に配属されてから初めてプログラミングに触れた人ばかりです。理論研ではC言語やPythonを使っている人が多いです。パソコンを沢山使うことになりますが、配属後に先輩が教えてくれるので心配は不要です。
Q. 研究室の配属希望を決めかねているのですが...
A. 化学は広い学問分野であり、一口に「化学」と言っても様々な研究分野が存在します。まず、実験をするか、シミュレーションをするか、という点で配属先を篩い分けしてみましょう。理論化学研究室(※注)や量子化学研究室などでは、コンピュータを使ったシミュレーションで化学を研究しています(計算化学と呼ばれる分野です)。実験の場合は、扱う物質によって分野の系統が変わります。有機化合物に興味があれば有機化学系や高分子系の研究室、生体内の化学反応に興味があれば生物化学系の研究室、錯体や結晶に興味があれば無機化学系の研究室が相応しいでしょう。もちろん、研究室の雰囲気や研究業績の勢い、獲得している研究費の規模なども加味して決めるべきです。11月頃から始まる研究室見学には積極的に参加し、研究室の人と実際に話をしてみることを強くお勧めします。研究室見学自体はどの研究室も年中受け付けているはずですので、メールなどでアポイントメントを必ず取ってから複数人でまとまって参加しましょう。(一人ずつバラバラに訪問するよりは一度に多くの人に来てもらった方が先生方の負担が減るので、研究室見学の際は団体ツアー推奨です)
どの研究分野にもそれなりに興味がある(尚且つパソコン作業に抵抗が無い)という人には、個人的に計算化学系の研究室がお勧めです。私は特定の研究分野というよりも化学反応全般に興味があったため、理論化学研究室を選びました。理論化学研究室では計算を使うだけでなく実験系の研究テーマを持っている人も多くいるため、週1回のゼミでは計算化学だけでなく実験やデータサイエンスに至る非常に広い分野の内容が議論されており、とても刺激的です。
※注:理論化学研究室ではロボット合成装置などユニークな実験設備があり、計算だけでなく実験の環境も充実しています。
Q. 研究ってどんなことをするのですか?
A. まず、「研究」と「勉強」は別物だと考えて下さい。もちろん勉強ができる人の方が知識や技術を習得するのは得意でしょう。ただ、学部時代の成績が良いからといって、必ずしも研究がバリバリできるかといえばそんなことはありません。研究は体力勝負な部分がありますし、化学のような(どちらかと言えば)泥臭い分野では研究者の根気強さが研究の成否に大きく影響します。
研究は、まず課題を設定するところから始まります。当該分野にはどのような解決すべき課題が存在するのか、またその問題に関してこれまでにどのような研究や試みが為されてきたのかを文献をもとに調査します。その上で、所属研究室の有する強みとなる技術や知見がその問題の解決に資する可能性があるのかについて見通しを立てます。科学的に有益な結果が得られそう(論文化できそう)という見通しが立って初めて研究がスタートします。研究は、仮説を立てて検証する、という作業の繰り返しです。これは実験系でも計算系でも同様で、ここで根負けしないメンタルが必要です。調べれば調べるほど分からないことが増えていくというのはよくあることですが、仮説⇄検証のサイクルを少しでも楽しめるようになれば、かなり良いところまで研究が進むはずです。
Q. 研究についてもっと具体的に教えて下さい
A. 研究テーマを決めて研究をスタートさせると同時に、論文のアウトラインを決めつつ(論文を書きつつ)実験・計算の作業を並行して進めます。いよいよ結果がまとまれば、学術誌に論文を投稿(submit)し、査読を受けます。査読者(referee)からのコメントや疑問、批判に答えながら内容を適宜修正し、編集者(editor)によって最終的な判断(accept/reject)が下されます。無事acceptされれば成果になりますし、rejectされても内容を修正したり、より適した系統の雑誌に投稿すれば通る、なんてこともあります。研究成果は積極的に学会で発表しましょう。同じ分野の同世代の学生から刺激を受ける良い機会となります(積極的に交流して研究仲間を増やしましょう!)。
卒業研究(修士論文研究も?)の場合は、自らで研究テーマを決めることはほとんど無いでしょうが、多くの場合、研究は、解き明かしたい対象がまず設定されなければいけません。研究者として立身するためにはこのセンスが求められます。また、研究資金を獲得するためには、その研究成果が将来的にどのような恩恵を社会にもたらすかを示さなければなりません。スポーツで言えば活動資金を出資してくれる「スポンサー」を見つけることに相当しますし、スタートアップであればVCを募って資金調達することに相当します。博士進学を決めた人は修士2年のときに日本学術振興会の特別研究員制度、いわゆる「学振」に応募することになります。この申請書で研究のビジョン、ロードマップを示し、自身が採用・支援に値する研究者であることをアピールします。各種申請書を作成する能力は研究者の素養の一つと言えるでしょう。学振以外にも若手研究者向けの様々な支援制度や競争的資金がありますので、情報収集を怠らないようにしましょう。ただし、研究で最も重要なことは、学会に参加し、論文を発表することです。
Q. 数学が苦手です...
A. 量子化学計算に用いられるプログラムの中身(アルゴリズム)には線形代数や微分積分といった数学の知識が使われています。確かに自分でプログラムを書く場合は数学の知識が必要になりますが、プログラムを利用するだけなら数学の知識は要りませんし、プログラミング能力も(もちろん有った方が良いですが)無くても研究することができます。化学が好きなら自分に合った研究テーマが見つかるはずです。
Q. 英語が苦手です...
A. 英語が苦手でも研究はできますが、率直に言ってやや不利にはなります。世の中の学術誌は多くが英語をベースにしているため、主要な情報源は基本的に英語のテキストです(これは研究に限りませんが...)。また、装置やソフトウェアのマニュアルなどは英語で書かれていることが多く、英語が得意な人に比べると余計に時間が掛かったり、学習コストが高くなったりしてしまうのは仕方がありません。英語の勉強(reading/listening/speaking/writing)は継続して実践するとして、英語論文を素早く読むコツ(最初にabstractとconclusionを流し読んで研究概要を一通り掴む、など)は身に付けておいて損はありません。最も論文を読まなければならないタイミングは、参考文献を片っ端から調べる段階です。ここのコツさえ掴めばサーベイ作業はかなり効率的に進められるでしょう(但し、全文をDeepLに突っ込む癖を付けると後々苦労することになります)。
洋画・洋楽・洋ドラマを鑑賞するとか、海外のスポーツ中継を見るとか、外国人研究者と頻繁に会話するとか、オンライン英会話講座に課金するとか、海外の YouTuber/VTuber の動画を見るとか、勉強法は何でも良いと思います。少なくとも文章が読めれば研究に必要な最低ラインはクリアできるので、とにかく苦手意識を払拭することが大切です。
Q. 実験も計算もしてみたいのですが...
A. 当研究室には計算だけでなく実験に関するテーマも沢山あります。特に、実験ロボットを用いて実験できる設備が整っている環境は国内外の研究機関の中でも僅かであり、かなり珍しい研究室ではないかと思います。ただ、近年では実験系の研究室でも解析にDFTなどの量子化学計算を利用することが多く、計算もしてみたいのであれば理論化学研究室にこだわる必要はあまり無いように思います。ただし理論計算といっても、反応系の化学反応経路を Ab initio(第一原理的)に、かつ網羅的に求めて、計算データに基づいて反応機構を議論する、という場合は話が別です。理論化学研究室で開発している「GRRM」は理論主導の化学反応開発への応用を目指して開発されており、上記のような研究は当研究室が最先端です。
※高橋グループは2022年11月より「情報化学研究室」として前田研から独立しました。
Q. 情報系・データ科学の研究をしてみたいのですが...
A. 理論研ではデータ科学的手法を用いた研究も可能です。高橋グループは情報系の研究を行っています。多様な研究テーマがあなたを待っています。
Q. データ科学の研究って簡単そうに見えるのですが...
A. データサイエンスは手法(&成果の見せ方)の鮮やかさゆえに、少ない苦労で、かつ短期間で優れた結果が得られるという「錯覚」を抱きがちですが、その実は苦労と試行錯誤の連続であり全くラクではありません。情報系の研究では労力の大半がデータの収集・前処理に費やされます。実験や計算のデータは必ずしも解析しやすい形式に整形されているわけではないので、自分で上手くデータを整形する必要があります。また、機械学習や統計解析に用いる記述子(パラメータ)の組み合わせや選び方も、決まった手法が確立されているわけではないので、色々な解析手法を試して現象を上手く説明できるようなモデルを作成しなければなりません。脅すわけではありませんが、「AIでこんな事ができました!」とか「機械学習で新奇化合物をこれだけ提案できました!」といった成果は一朝一夕で得られるものではなく、泥臭い作業と試行錯誤を経た末に得られているものだということは、前提として知っておくべきでしょう。
理論研の研究内容に限らず、理論化学という学問が化学の世界においてどのような位置付けにあるのかについては、化学反応がこれまでの歴史の中でどのように見つかってきたのかを知っておくと、より理解が深まるでしょう。
古来、化学反応の知識は先人たちの膨大な実験と試行錯誤によって積み重ねられてきました。古くは紀元前のエジプト、中世イスラム世界からヨーロッパへと渡来した「錬金術」(Alchemy)により化学を体系化する素地が形成され、"Chemistry" 発展の素地を形成しました。18世紀末のシェーレによる「有機物」の発見から、19世紀初期のヴェーラーによる「尿素合成」を経て、ヨーロッパで有機化学と呼べる学問が興ったのは19世紀中期とここ150年余りのことです。これはちょうど産業革命と同時期の出来事です。
その後、人類社会は大規模な戦争の時代を経験します。工業は機械化・大規模化が進み、様々な触媒反応が開発されてきました。特に人類社会に大きなインパクトを与えたのはハーバー、ボッシュによるアンモニア合成反応(ハーバー・ボッシュ法)でしょう。「水と石炭と空気からパンを作る方法」と称されたように、このハーバー・ボッシュ法は世界人口の爆発的な増加のきっかけとなると同時に、火薬の原料製造という戦争の道具としての役割も担いました。
その功罪はともかく、これほど人類社会にインパクトを与える画期的な化学反応はそう頻繁に発見・確立されるものではありません。こうした重要な化学反応は膨大な試行錯誤の末に見つけ出されるのが常であり、極めて広大な化学の未探索領域には未だ人類の知らない革新的な化学反応が眠っていると考えられます。しかし現代に至るまで、化学反応の開発は実験を主とする試行錯誤のサイクルを中心として行われているのが現状です。
量子化学の原点とも言える「シュレディンガー方程式」は1920年代には既に登場しており、これを解くための様々な近似法が編み出されてきました。その流れの中で、私たちが普段よく使う基底関数やDFTといった概念・技術が発展してきました。現代では、未知の材料や化学反応であっても、その物性や反応機構を量子化学計算によって予測することができるまでになりました。今や有機合成の論文のほとんどに量子化学計算によるサポートが含まれるようになっています。
計算化学と実験化学と情報学が力を合わせて新しい化学反応の創出を目指すというコンセプトは、当研究室の技術が牽引している「化学反応創成研究拠点」(通称 "ICReDD";アイクレッド)の根幹となる理念に位置付けられています。「世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)」は、優れた研究環境と極めて高い研究水準を誇る研究拠点を支援する文部科学省主導の国家プロジェクトですが、WPI-ICReDDはそれらの研究拠点の一つに数えられます。2021年にノーベル化学賞を受賞されたベンジャミン・リスト教授はPI(Principal Investigator:研究統括責任者)としてICReDDに参画していますが、彼はこのコンセプトに共鳴して "Chemical Reaction Design and Discovery" というICReDDの由来となるスローガンを発案したそうです。
全く新しい化学反応を量子化学計算が主導となって作り出すことは、シュレディンガー方程式が打ち立てられた約100年前から量子化学者の悲願でした。当研究室では「計算化学により未知の化学種の化学反応を解析し、理論主導で効率良く新反応を創出する」という壮大な目標に向かって研究が進められています。理論化学の分野には化学の教科書を書き換えるような研究テーマが沢山眠っているのです。
数字やデスクワークにアレルギー反応を起こしてしまうというのでなければ、特定の分野の化学現象に興味があるというよりも化学全般に広く興味があるという人は、理論化学研究室を配属先の候補に入れることを個人的にお勧めします。
高橋グループの主要な研究分野は「ケモインフォマティクス」です。英語で書くと "Chemoinformatics" となります。"Chemo"は「化学の」、"informatics"は「情報学」という意味で、化学反応を情報学に基づいて解析する研究分野を総合して「ケモインフォマティクス」と呼びます。