鈴鹿大学裁判 Q&A
寄せられたご意見をもとに、Q&Aを作成しましたので、ご参照ください。
Q0
そもそも原告はなぜ鈴鹿大学を解雇されたのですか。
回答
2021年1月に、鈴鹿大学から3名の無期雇用の非常勤講師に対し、来年度は雇用契約書を締結しないという旨の文書が交付され、2021年度からは実際に担当授業がゼロになりました。
なお、鈴鹿大学はあくまで雇用契約の終了であり、解雇かどうかは解釈の問題だとしています。
解説
Q1
非常勤講師の人たちは複数の大学で教えていることもあって「ここがダメなら他がある」という感じでただちに食い詰めるという感じが伝わってこなかった。
通常はどこかでクビになったら翌日からただちに食うこともできなくなる。
回答
通常クビになると雇用保険の適用ですが、複数法人で雇用されている場合、1ヶ所の解雇では、雇用保険適用外です。
解説
そもそも複数で仕事を得えなければならない、つまり1箇所でもらう賃金で生活できないということ自体が問題です。
大学で授業を担当する人は、昔は正社員にあたる専任教員でした。それがその後の大学の経営のなかで変わってきたように思われます。
とくに1990年代の大学院重点化のなかで、大学の教員の枠を拡大することなく大学院生を大量につくりだした結果、その分研究の仕事を得られなかった大学院生が大量に発生しました。
同時に行政改革や構造改革のなかで進められた教育研究予算の削減のなかで、各大学とも人件費削減の衝動のなかで、それまでの専任教員を非常勤講師に置きかえていったようです。
その結果、授業しか担当しないかわりにその授業の分しか賃金を払われない、専業の非常勤講師が大量に生まれることとなりました。
このため、1箇所の大学だけで生活できる賃金をもらえなくなった者が大量発生しました。それが大学非常勤講師の雇用問題の背景にあります。
また、この業界の常として、非常勤講師の実質的な指揮命令者はそれぞれの大学の専任の教員であり、その専任の教員が自分の弟子や後輩、友人・知人などに非常勤の仕事をまかす例が多いことから、どうしてもその専任の教員の胸先三寸で次年度の雇用が決まってしまいがちです。
それはすなわち、現在授業を担当している非常勤講師を、自分にとって好ましい「お友達」に置き換えようとする衝動ともなります。
そういうこともあって、雇止めのリスクを分散させるために複数の大学で仕事を探そうとすることになります。
このため、一方では毎年のように自分の仕事をどこかの大学で探し続けざるをえなくなるとともに、他方では、仮にどこかなくなったとしても、その分をどこか別の大学で補わざるを得ないという発想になってしまいます。
このこと自体が、雇用の不安定化を反映したものであるとともに、大学非常勤講師の労働者としての団結を阻害する要因であるというべきです。
Q2
「5年以上働いたときに有期、期間を決められた雇用契約を無期、つまり雇用期間のしばりのない雇用契約に転換できる無期転換」とは、使用者側は、「5年以上」働かせないために、5年未満で打ち切り、「無期転換」の該当者を今後生じさせないのではないか。
「無期転換」とは、非正規雇用者を守るように見えて、実際にはどの職場でも4年台までで首にされる、さらに不安定な状況に追い込む仕組みではないか?
回答
立法過程から法の趣旨はそこにはありません。
法の趣旨に則った運用になるように、司法、行政、立法すべてに働きかけるべきです。
解説
5年前も、鈴鹿大学は大本さんたちを職場から追い出そうとしたことがありました。
その際には、組合を通じて団体交渉を申し入れて、「雇用の期待権がある」ことを理由に無期転換させたことがあります。
しかし同時に鈴鹿大学は、鈴鹿高校と同様に「4回更新上限」の規定を就業規則に明記してしまいました。
このような大学は他にもたくさんあると思われます。
今後労働組合運動を通じて解決しなければなりません。
Q3
なぜ1年半も前のクビ切り事案が今さら提訴されるのか?
回答
1年半の間、何もしていなかったわけではありません。
この間、三重県労働委員会でのあっせんや、その後の同委員会に対する不当労働行為救済申立てなど、さまざまな手を尽くしてきました。
解説
その間、労働組合を通じて、団体交渉や三重県労働委員会でのあっせん、その後の同委員会に対する不当労働行為救済申立てなど、さまざまな手を尽くしてきました。
そして団体交渉では一切示そうとしなかった資料も、労働委員会を通じた交渉の中で出てきました。
今回の鈴鹿大学の対応は、「契約を打ち切りの理由を言わない」だけでなく、「一切の資料も示さない」ものでした。
このように、この2年間の組合におけるとりくみは、団体交渉に続き、あっせんという手続を通して鈴鹿大学側に資料を示させるというものでした。
Q4
「無期雇用」での雇用契約の条件はどんな感じだったんですか?
回答
2019年度の「雇用契約書」では「期間の定めなし」と変わっただけで、無期転換後にそれ以外の労働条件は変わりません。
「変わらない」はずが、2021年度にはクビを切られました。
解説
労働契約書を見ると、従来「契約期間」がそれぞれの年度ごとになっていたものが、2019年度の「雇用契約書」では「期間の定めなし」と変わっただけです。
しかしこのことが最大の成果です。
つまり原則的に定年まで働けることになるわけです。
1年ごとの契約更新ですと、「来年度が更新しない」と言われると、そのまま雇い止めになりがちです(ただ、更新が繰り返されると「期待権」というものが発生します)。
けれども、無期転換すれば「解雇」扱いとなりますから、クビにするには正社員同様、納得すべき理由を雇用者は示さなければならなくなります。
Q5
一般的な話としては、解雇ってそんなに簡単な事じゃないと思うんですが。
一方で、一般企業の正職員でも、解雇し難いだけで、絶対に解雇出来ないわけでは無いですよね?
回答
鈴鹿大学は「解雇」すらしていません。
「契約終了」を振りかざし、当事者に自主的な合意退職を強要しているのです。
解説
使用者が被用者(労働者)を解雇する(つまり被用者側の合意なく一方的に労働契約を解約する)場合には、通常解雇、整理解雇、そして懲戒解雇という3類型のいずれかを用いざるをえません。
この場合、通常解雇とは労働契約の前提となる条件がなくなった場合になされるものであり、整理解雇とは、経営上の理由でなされるもの、そして懲戒解雇とは、被用者側に就業規則で明記された懲戒事由に該当した場合になされるものです。
整理解雇の場合は、経営上の理由、解雇となる被用者の人選の妥当性、解雇回避努力義務を尽くしたかどうか、およびその場合に労働者との間で納得を得られるように交渉等の手続が尽くされたかが問われます。
これらに対して懲戒解雇とは、罪刑法定主義の考え方を類推してその要件等が就業規則に明記されている必要があります。
それでは今回はどれにあたるかというと、鈴鹿大学側は「契約をしません」と言っているだけですので、どれにあたるとも言っていないどころか、逆に当事者が自主的自発的に退職を選択せざるをえないところに追いこもうとしているということがいえます。
つまり本件の「クビ」事案は、当事者に対して退職を強要しているものであるということができます。
Q6
非常勤講師は、とくに大学や専門学校などの高等教育機関の場合「常勤では難しい最新の実務的経験」や「特殊な専門知識や経験」を学生に講義することが有用です。
ですので、そもそも非常勤講師は入れ替わりが前提です。
数年で先端技術はジャンルごと変化することがあるからです。
ですので、非常勤講師が長く働くことでコマ数が減るのは必然ですし、それをしないでコマ数確保すると、学生に不利益が発生します。
無期転換ルールは、こういう事情のある高等教育機関にはそもそも馴染まないのです。
無期転換ルールは大学経営を蝕む。
非常勤講師が無期契約になると、ほぼ解雇はむずかしくなる。
老いても大学に寄生するため大学の質が劣化して、ますます教育の質が下がる。大学は地方から潰れていく。
回答
大学という事業所では労働者の権利は一切守られてはならないとでもいうのでしょうか?
専任の先生方も同じ論法でクビを切ることが正当化されることに気付いていただきたいと思います。
解説
大学という事業所においては、非正規の教員は労働者の権利を一切守られてはならないとでもいうのでしょうか?
なにより、「大学や専門学校などの高等教育機関の場合「「最新の実務的経験」や「特殊な専門知識や経験」を学生に講義することが有用」であり、「非常勤講師は入れ替わりが前提」であるなら、「老いても大学に寄生する」教員を排除するため、「大学の質」の「劣化」をまねく専任教員も「入れ替わり」を「前提」にしたほうがいい、ということになりませんか?
そもそも、「大学や専門学校などの高等教育機関の場合」、「最新の実務的経験」や「特殊な専門知識や経験」を担うのが非常勤講師だというのは事実誤認です。
大本さんら原告2人は、鈴鹿大学において、「日本語」など語学を中心に指導する教員として雇用されており、「最新の実務的経験」や「特殊な専門知識や経験」は特に求められておりません。
Q7
最近無期転換問題をめぐって、非常にあこぎなことをする大学が増えている。
スイングバイとかぬかして任期なしの助教を雇っても一生昇任させないとか、10コマ分の授業を担当する講師を社会保険なしの非常勤扱いで雇ったりとか、無期転換を希望しないという書類に押印しないと非常勤を切ったりするとか、特にカネのない地方国公立大学を中心にえげつない使い捨てが横行している。
無期転換の制度を悪用することは、文科省や厚労省が厳しく取り締まるべき。
回答
法律上保証されている権利を、本人との当事者どうしの合意を通じて(その分圧力をかけて)、自主的自発的に権利行使を辞退させるような大学を許してはいけません。
世論で包囲しましょう。
解説
「無期転換しない誓約書」というのはとんでもない発想です。
しかし、本件の鈴鹿大学事案と問題性を共通にしています。
つまり、法律上補償されている権利を本人との当事者どうしの合意を通じて(その分圧力をかけて)、自主的自発的に権利行使を辞退させるという恐るべき対応です。
こういう対応を大学という、本来社会の鑑たるべき存在が平気で行っていることに恐ろしさを感じます。
世論でこういう大学を包囲していきましょう。
Q8
講師側の言い分はわかるが、講師が担当できる講義を維持しないといけないのか。
今や正規の大学教員は、好きな講義、できる講義だけではなくて、大学がやれという講義もしぶしぶとやらないといけない時代である。
回答
「しぶしぶ」でも指導可能な授業を探し出してくるのが、「解雇回避努力義務」というものです。
「しぶしぶ」やる授業が、授業が減っても収入が減らない専任に委任されて、無期転換した非常勤に委任されない理由は何なのでしょう?
解説
そもそもなぜ専任の教員が「大学がやれという講義」をしぶしぶやらざるをえないのかを考えるべきです。
それはすなわち、専門分野でもない授業を担当させられるということを意味しているのではないでしょうか。
よく考えてほしいのですが、大学の先生は特定の狭い部分の専門家であっても、それ以外はまったくのシロウトです。
また大学は、「学術の中心」として学問を研究・教授するところです。
そこでにわか仕込みの知識を学生という国民に提供するということ自体が、きわめて無責任なことではないでしょうか。
そこは、それぞれの大学・学部ごとに自治的に解決していくべき課題であろうと思われます。
Q9
非常勤講師でも多くの学生が受講したくなる講義をすれば、解雇しませんよね。
回答
本件について、学生からの評価、専門性、授業担当能力等に関する争いは全く生じておりません
解説
まず大前提として、「多くの学生が受講したくなる講義」をしていても、非常勤講師が雇止め・解雇となるケースは多々あり、授業内容とは連動していないということがあります。
また、「学生が受講したくなる講義」って、何を想像されているのでしょうか?
単位を取りやすい楽勝コマのことでしょうか?
それはそれで学生にとっては重要かもしれませんが、もしも大学が「学術の中心」というのであれば、そういう楽勝コマしかない大学できちんとした人類の知的遺産を受け継いでいけるのでしょうか?
それとも大学では、そういう人類の知的遺産を次世代に引き継ぐという任務などもはやしなくてもいいとでもいわれるのでしょうか?
まずは、大学における授業のありかたについての深い考察が求められます。
Q10
本当に必要な人材なら契約更新するはず。
権利ばかり主張しすぎ。
大学側は、こんな授業だったらいらねーよ、って判断したのでは?
回答
「ほんとうに必要ではない人材」である可能性があると判断された場合、そこで指揮命令者などが適切に指導すべきです。
ところが今回は、そういう指導は、過去において一切ありませんでした。
解説
「ほんとうに必要な人材」というのは誰がどういう基準で、何を目的に判断するのでしょうか?
そもそもこういう発想自体が、雇用の安定とは相容れません。
そもそも人間は不完全な存在です。
ミスをすることもありますし、なによりはじめから十分な仕事ができる人ばかりではありません。
職務上、不十分な点があればその都度指摘し、改善をめざすべきです。
それでも、もし上記の手続きを踏まえたうえで、「ほんとうに必要ではない人材」である可能性があると判断される場合でも、指揮命令者等が事前に適切な告知をすべきです。
ところが今回は、改善指示も過去一切なく、そもそも原告の落ち度を大学は全く指摘していません。
Q11
2002年から非常勤講師を務めていたって………。
途中で転職とか考えんかったのか………。
回答
正規労働者として働くか、非正規労働者として働くか、どの職場で働くか、どの職種を選ぶかなどは本人のライフスタイルによります。
強要された場合を除き、第三者が関与していい事柄ではありません。
解説
日本という社会は、きわめて転職しにくい社会だということが大前提にあります。
それに、どのような職業でもそうですが、専門職になればなるほど転職は容易なものではありません。
研究者の場合、その養成には時間も費用もかかるものです。
大本さんの場合、40歳前に研究職へ転職されたわけで、年齢的に再度の転職は簡単にできるものではありません。
そして転職してしまった場合、専門職に従事する方は、それまでの「一定の技能を養成された人」から「一切の技能を持っていないただの人以下の人」になってしまいます。