◆ジャン・シベリウス
交響曲第7番作品105
「一音たりとも、偽りの音、不自然な音を書くまい。真実の音だけを書く。自分が今何をしようとしているのかを、常に思い起こせ。おまえは今、音楽によりフィンランド的なもの、純粋にフィンランド的なものを造り上げようとしているのだ」シベリウスが、最初の交響曲「クレルヴォ」を作曲していた頃の言葉です。
当時のフィンランドは、1809年から続くロシア帝国の支配下にあり、ある程度の自治権は認められていたとはいえ、その自治権もどんどん制限されるような重苦しい時代を迎えるなか、ふつふつと独立運動が起っていました。しかもフィンランドは、ロシア以前も約650年間、隣国スウェーデンの支配下にあり、シベリウス自身も、フィンランド語よりもスウェーデン語の方が得意だったくらいでした。
そんなシベリウスが、ウイーンに留学します。そこで知り合った友人たちがあまりにもフィンランドを知らないことを目の当たりにして、自分はフィンランド人であり、フィンランド文化を継承していることを強く意識します。その後、帰国したシベリウスが題材として選んだのは、フィンランドの叙事詩「カレワラ」でした。フィンランドの森や湖を歩き回る英雄たちや、美しい乙女の場面が描かれた雄大なストーリーで、しかも英雄のワイナモイネンは音楽家。彼の弾くカンテレ(フィンランドの民族楽器)は自然界のすべてに喜びをあたえるという話も、同じ音楽家であるシベリウスにはぴったりだったのです。
その後のシベリウスは、独立運動の精神的シンボルとして国内で熱狂的に受けいれられますが、独立後は世界的な評価が高まるにつれ、その作風も民族ロマン主義から精神の内的世界を表現するようになっていきます。そんなシベリウスが1924年、59歳で書き上げた最後の交響曲が第7番です。当初は交響的幻想曲として初演されたように、交響曲では異例の一つの楽章のみで出来ており、音楽自体もとても幻想的です。まるで日の出前の薄暗い湖面から、美しいコラール風の音楽に導かれて太陽が現われて、美しい森や湖を照らし、人々のみならず、伝説の妖精までが楽しそうに踊る情景が見えるような大傑作です。
(文責:篠﨑靖男)