2025/06/02
小さな獅子たちの一生懸命な舞に、多くの人が笑顔になりました😄次の舞台も楽しみです✨
宮平獅子舞の概要
宮平の獅子頭は、首里王府から拝領したものと伝えられていますが、その年代や拝領の理由などは定かではありません。
戦後、次第に生活も安定してきた頃戦争で中断していた十五夜も復活し、首里王府から拝領されたと伝えられていたシーサーは太平洋戦争で行方不明となり、その存続が心配されていました。しかしハワイ在住の故赤嶺三郎氏(屋号「山口」)が宮平出身者に呼びかけ、寄付を集め、彫刻家故赤嶺登助(門(ジョウ)照屋(ディーラ))氏からハワイで自作、秘蔵していたシーサーを譲り受け、1950年(昭和25年)に宮平に寄贈したのが戦後の獅子舞の始まりです。
宮平の獅子舞は19世紀頃首里から伝わったといわれる7つの舞型があります。
それは「尺(シャク)の手(ティ)」・「六尺(ろくしゃく)」・「マーイ手」・「猿手(サールディ)」・「ムッチユ-」・「巻捨(ケーイ)」・「カクジシリー」の7種類です。各舞型には共通する技として「三方(サンポウ)」という動作があり、これは宮平独自の技であり、獅子舞の中核をなすものです。つまり基本形となります。その他に「道ズネーの舞」・・・女性用の「踊」と「哨吶(ガク)」(通称:ピーラルラー)があります。この舞は与那原から宮平を通って那覇までのケイビン鉄道が完成した時の獅子舞と女性用の踊りです。
宮平は南風原でも屈指の音楽家と舞踊家を排出した集落です。その伝統を作りあげたのが宮平ウファ(上門(イージョウ))という三線奏者で、尚澋(しょうこう)王(おう)(1804年~1825年)と同席して三線を習った人だと伝えられています。そのお陰での首里王府からの獅子頭の拝領ではなかったかと考えられます。
平成2年6月には南風原町指定無形民族文化財として指定を受け、町や県内外からの多くの出演依頼を受け、現在も青年会が受け継いでいます。これまでの大きなイベントへの出演は平成18年の1月に「韓国・済州道」で開催された民俗芸能公演(猿手(サールディ))です。そこではフィナーレでも宮平のシーサーが中心だったと当時の青年会長(金城 盛さん)は話しております。
平成25年には、中断していた「マーイ手」も復活し、国立劇場おきなわで披露し、観客を魅了させております。その他にも首里城に於いて、新春の宴や県の青年祭り・町内の祭り等にも毎年のように出演していますが、この様な多くの行事に対応するのに青年会は四苦八苦しているのが現状です。宮平(なーでぇら)の守神、象徴として大事に受け継がれた獅子舞を皆で継承していきましょう。
青年会も募集しています。お問い合わせは自治会事務所までご連絡ください。
宮平獅子舞保存会