宗忠様は、天性正直でありまして、深く日の神(天照大御神)を信じ、ご両親に仕えて孝心(孝行)厚く、幼い時より天下に名を揚げ、世の人に仰ぎ尊ばれるほどの人になり、ご両親にお喜び頂こうと志を立て、二十歳位の頃、心に悪しきことと知りながら身に行うことのないようにすれば、神に近づけると思い、この時より事々に省みて心に悪しきと思うことを絶えて、身に行わないようにされました。
ある年の秋、ご両親が流行り病で一週間の間にご昇天(他界)され、大きい悲しみにみまわれました。その悲しみから、体調を崩し、ついに労咳(肺結核)を患い、天命と覚悟をし、「我死なば神となりて世の人の病を直し得させんもの」と心に誓い、この世の別れに日の神を拝み、次に天神地祇祖先考妣(あまつかみ くにつかみ とおつおやちちはは)を拝み、世の中の恩に感謝をして、従容として死を待たれました。
この時、宗忠様が思われたのが、ご両親の死を悲しみ心を痛め陰気になり大病になってしまったが、面白く、楽しくと思い返して心を養い、心さえ陽気になれば、病はおのずから癒えるはず。ただ一息する間も心を養うのが孝行と思い定め、見るにつけ聞くにつけ天恩の有り難い事を思い、ひたすら心をもって心を養われた事により、日々薄紙をへぐが如く快方に向かわれました。
ある日、病床(ねどこ)から出て、身体を清め日の神を拝んだ時、積年の病が朝日で霜が溶けるごとく一時に全快しました。
その年の冬至の朝、日の神を拝んだ時、目の前に光が差し込み、有り難く、嬉しく、思わず陽光を呑み込んだ時、初めて天地生々の霊機(いきもの)つかまえました。宗忠様、三十五歳の時でした。
「およそ天地の間に万物(ばんもつ)生々するその元は皆 天照大御神なり。これ万物の親神にて、その御陽気天地に満ちわたり、いっさい万物 光明(ひかり)温暖(あたたまり)のうちに生々養育せられてやむ時なし、実に有り難きことなり。おのおの体中(たいちゅう)に暖まりのあるは、日神(ひのかみ)より受けて備えたる心なり。心は こごる という義にて日神の御陽気が凝結(こりこご)りて心となるなり。人欲を去り、正直に明らかなれば、日神と同じ心なり。心は主人なり、形は家来なり、悟れば心が身を使い、迷えば身が心を使う。形のことを忘れ、日神の日日(ひび)のみ心に任せ、見るも聞くも一々味わい、昼夜有り難いと嬉しいとに心を寄せ、御陽気をいただきて下腹に納め、天地とともに気を養い、面白く楽しく、心にたるみなきように、一心が生きると人も生きるなり。生きるが大御神の道、面白きが大御神のみ心なり。教えは天より起こり、道は自然と天より現(あら)わるるなり。誠を取り外すな。天に任せよ。我を離れよ。陽気になれ。いきものをつかまえよ。古(いにしえ)の心も形なし、今の心も形なし。心のみにして形を忘るる時は今も神代、神代今日、今日神代。世の中のことは心ほどずつのことなり、心が神になればすなわち神なり。この※左京が瀬踏みいたす、皆々ついてお出でなされ。」※(宗忠様)と、説き導き、病人は病が癒え、悪人は善人に立ちかえり、芸術を修練する人は、その奥義を悟られました。
嘉永三年二月二十五日にご昇天され、安政三年三月八日に「大明神」の号を賜う。