Event

『熱情』刊行

学生有志「松原寛研究会・熱情」より

百藝記念同人誌『熱情』

学生の有志団体である松原寛研究会「熱情」より百藝記念同人誌『熱情』が刊行されました。

『熱情』は下記の文芸学科HPでも読むことができます。


学生有志による松原寛の著作朗読

『藝術の門』

 これまで私は芸術の本質が「苦悶の象徴」なるべきを詳しく説いて来た。というのは人生が苦悶の火宅であるからである。我らの精神生活が矛盾と葛藤の海だからである。つまりあまりに自己愛が強ければなのである。余りに生命慾深ければである。独り文学芸術のみでなく、凡て精神の文化はかかる自己愛や生命慾を動因として生れる。それでかくも二つの大なる要求あればこそ、哲学起り宗教生れ、芸術は栄えたのだ。

 不安と懊悩(おうのう)とに満された現代人は、さらばどこにもその救済を得んとするか。血みどろの姿をどこに託してやすらわんとするか。物資の欠乏には物資で足りる。パンを求る者にはパンを与うれば良い。精神の苦悩、魂の淋しみを訴うるものには与うべきであろう。かくくるしみ泣き叫ぶ処に芸術の誕生がある。されば私の芸術考察はそこから出発ぜざるを得ぬ。


 精神生活での発展と言えば、内に深く入っていくものなのである。根本より根本へ溯ることである。核心より核心へ、中心より中心へ突っ込むいいであろう。自己ができるだけ深く掘っていったら夫(それ)が即ち発展の動きなのである。

 個性というのはかかる生命の中心点をなすものである。即ち生命のCenter pointであり、生命の最高頂点である。

『宗教の門』

 献身と云い犠牲と云い、決して人のために流す血潮ではない。社会のためほふる肉ではない。わが理想の祭壇に捧げる命にすぎない。

 かくてこの私の書は世を導こうの人を感化しようのと考えてはならぬ。只私は私の内的欲求にかられて物したまでである。書かざるを得ないで書いたまでである。現に若し私の創造があり、命流れ血潮みなぎる物あらば、ロングフエロー矢が隠れたる森に発見されたように、何処かの命に触れる日もあるであろう。

『哲學の門』

 自己探究の心がすなわち哲学せんとするの謂ひではないか。自己の発見、自己の創造、それが哲学の旅、哲学的精進ではないか。しからば謂うところの自己とは何か自我とは何ぞや、哲学の問題がいよいよそこに始まるのである。