言語教育の「商品化」に関する研究

本研究では、言語教育分野における先行研究(Heller 2003; Piller, et al., 2010)を参考に、商品化を「ある物や活動が経済的行為や社会的地位と結びつき、価値を持つようになること」と定義します。新自由主義的競争原理が広がる現代社会では、人々は自らの職を得るため、自身のスキルや知識を向上させる必要に迫られています。そして、言語コミュニケーションスキルも人的資本を増大させるスキルの一つとして捉えられ(Urciouli, 2008)、教育機関だけではなく、出版社や試験実施団体までもが、言語教育の商品化に努めています。

私は、2017年度から2019年度にかけて、JSPS科研費の助成を受け、香港とベトナムの民間日本語学校で言語教育の商品化に関する調査(言語学習の「商品化」と「消費」の包括的な理解を目指した調査研究(JP17K13481)」を行いました。また、2020年度からは、JSPS科研費の助成を受け、ベトナムで調査(「言語教育の商品化による格差の是正を目指した実証研究―公平性と言語間の比較を通して(JP20K13129)」を行います。

言語教育の「グローカル化」に関する研究

瀬尾匡輝(2017)『言語教育実践のグローカル化-海外で働く日本語教師のケース・スタディ』上智大学大学院言語科学研究科博士論文(未刊行)

これまでの言語教育のローカル化の議論(cf. Canagarajah, 2005)は、西洋諸国で開発されたCommunicative Language Teaching(CLT)の考え方に基づく教育実践や教授法、教材に対して批判的な立場がとられ、教師自身の学習経験や価値観に偏重した極端なローカル化の立場からの主張にとどまっていた。本研究では、研究者によって構築されてきた専門知識や理論的概念、科学的知見をグローバルナレッジ、実践に関する教師の個人的な知識をローカルナレッジとし、それら二つの知識がどのように相互に影響し合い、新たな実践が生み出されていくのか、または生み出されないのか、そしてそれはなぜなのかを香港で日本語を教える日本語母語話者教師4名を対象に行ったケース・スタディ(メリアム, 2004; イン, 2011)から明らかにすることを試みた。調査の結果、調査協力者達はそれぞれ自身の現場に適した方法を模索し、異なった方法と経路を辿りながら、また異なった度合で自らの教育実践を再構築しようとしていた。そして、かれらはカリキュラムや教える学習者のビリーフなど様々な制約があるなかで、自分が接する学習者に適した方法を日々模索し続けることにより、自分が抱いている葛藤や悩みをどのように解決すればよいのか考え、様々な知識にアクセスする意欲を高めていた。その過程で、かれらはローカルの社会的文脈、グローバルナレッジ、他者のローカルナレッジを融合しながら「グローカルナレッジ」という新たな知識を形成していた。

瀬尾匡輝(2018)「「文法を重視する」という日本語教育に対する教師の考えはどのように作り出されているのか―言語教育のローカル化の視点から 」『Journal CAJLE』19, 23-41.

近年言語教育において、教育が営まれる現場の視点を重視して実践を構築するローカル化の重要性が述べられている。その議論では、ローカルの学習者や教師達の経験及び知識に立脚したローカルナレッジの重要性が説かれており、実践者である教師がボトムアップ的に実践や理論を構築していくことが目指されている。本稿では、香港で働く日本語母語話者教師西口(仮名)氏へのインタビューと授業観察を分析し、彼女がどのようにして現地の社会的文脈に合わせて教育実践を行っているのか探った。その結果、西口氏が周囲の教師や学習者とのやりとりのなかで文法を重視した日本語教育像を持つようになり、それを基にして実践を行うようになったことが明らかになった。このことから、ローカル化の議論を深めていくうえで、地域内の複雑な力関係にも目を向けることの重要性を主張する。

瀬尾匡輝(2018)「「消化不良のままうそつきって思いながら授業してる」―海外で働く日本語教師の実践の構築・再構築」『上智大学英語教員研究』66, 22-43.

グローバル化ということばが学術分野のみならず、一般的に使われるようになり、国や地域の基本政策に取り入れられたり、メディアやビジネス、教育の分野でも使用されたりするようになってきた。言語教育でも、歴史的な植民地主義や現代社会におけるグローバル化の影響から全世界に国際語として普及している英語を扱う英語教育の分野で、クリティカルな英語教育の研究者(e.g. Canagarajah, 1999; 2005; Pennycook, 2009)によって、ポストコロニアルの観点からグローバル化と言語教育の関係について議論がなされている。Canagarajah(2005)は、歴史的な植民地主義により西洋の知識が力を持ち、ローカルの知識が軽視されていた現状を打開する必要があるとしたうえで、ローカルの学習者や教師達の経験及び知識に立脚したローカルナレッジの重要性を主張した。そして、グローバル化により人々や言語、文化が流動的に移動する現代で、英語(特に、アメリカ標準英語)のみが模倣されるべき言語になっていることに疑問を呈し、言語や文化、アイデンティティのハイブリディティに着目し、ローカルの視点から現地の言語使用と言語政策、教師の意識、教室実践を批判的に考察することを試みた。しかしながら、教師個人の教育実践や価値観を扱った言語教育のローカル化の議論では、西洋諸国で開発されたCommunicative Language Teaching(CLT)の考え方に基づく教育実践や教授法、教材に対して批判的な立場をとる傾向がある。そして、教師自身の学習経験や価値観のみに偏重した極端なローカル化の立場からの主張にとどまっている。そこで、本研究では、研究者によって構築されてきた専門知識や理論的概念、科学的知見をグローバルナレッジ、実践に関する教師の個人的な知識をローカルナレッジとし、それら二つの知識がどのように相互に影響し合い、新たな考えや実践が生み出されていくのかを香港で日本語教師として働く北野さんのケースをもとに議論する。

瀬尾匡輝(2018)「海外で働く日本語教師の実践の再構築―グローバルナレッジとローカルナレッジに着目して」『茨城大学全学教育機構論集グローバル教育研究』1, 85-104.

本稿では、研究者によって構築されてきた専門知識や理論的概念、科学的知見をグローバルナレッジ、実践に関する教師の個人的な知識をローカルナレッジとし、それら二つの知識がどのように相互に影響し合いながら新たな実践を生み出せるのか、香港で働く一人の教師のストーリーから議論を試みる。

私が担当する茨城大学の日本語教師養成プログラムの「日本語教授法I」では、これらの研究成果から、グローカルナレッジを生涯にわたって形成し続けられる日本語教師の育成を目指した実践を行っています。授業についてはこちらをご覧ください。

映像を用いた実践共有

南出・秋谷(2013)によると、フィールドワークにおけるビデオカメラの活用法には、観察のための撮影と記録のための撮影があるという。観察のための撮影では、フィールドワークのデータ収集や分析を目的にビデオ録画を行う一方で、記録のための撮影では、フィールドワークで撮影した映像を映像作品として編集し、それを上映するという目的に重きが置かれている。言語教育研究の論文においては、これまで専ら前者のデータ収集や分析のためにビデオ撮影が行われ、分析結果は文字や写真などの形で示されてきた一方で、分析のために使用された録画データが編集され上映されることは少ない。だが、文字起こしされたデータや一瞬だけを切り取った写真では、実践者や学習者の表情やジェスチャー、教室内のやりとりなど実践が行われる場の雰囲気や臨場感を描きだすうえで大きな限界がある。場の雰囲気や臨場感を伝えるためには、映像を用いることが最適であり、人々が簡単に映像を録画・編集・公開できるようになった昨今においては、記録のための撮影を基にした実践共有や公開の可能性を追求していく必要があるだろう。

私は、現在自身の教育実践を撮影し、それを分析したうえで、映像作品として編集、公開することで、映像による実践・研究の共有の可能性を探っている。 現時点では、映像を公開するところでとどまっており、共有の結果、視聴者や実践者にどのような変化が生じ得るのかはまだ考察できていない。今後は本映像を視聴した人達や実践者にとってどのような学びがあり、どのように映像の共有を通してよりよい実践に向けた対話ができるのかを検証したい。そして、実践の協働的な批判的省察をより開かれた営みとすることを目指していきたい。

瀬尾匡輝・瀬尾悠希子(2019)「映像を用いた実践共有の課題と可能性―日本語中級クラスにおけるインタビュー・プロジェクトの映像化から 」『茨城大学全学教育機構論集グローバル教育研究 』2, 87-90.

本稿では、筆者らが留学生に向けて行った日本語授業を撮影し、それを分析したうえで56分の映像作品として編集し、公開する。映像化した作品では、教科書の日本文化紹介に興味を持った学習者が、プロジェクト活動を通してどのように本質主義的文化観を乗り越えられていたのか、また乗り越えられていなかったのかを描き出す。そして、実践の映像化の過程に注目し、実践を映像作品に編集し、公開・共有することの意義と課題を議論する。

「日本語教師の履歴書」

2019年2月より、アスク出版が運営するオンラインマガジン『日本語教育いどばた』にて、「日本語教師の履歴書」という連載を担当しています。様々な形で日本語教育に携わる人々にインタビューをし、これから日本語教師を目指す人に、どのようなキャリアパスがあるのかを知ってもらいたいと考え、企画しました。大学の日本語教師養成プログラムで授業を担当していると、学生たちが「仕事」としての日本語教師をイメージすることが難しいということが多く、少しでも学生の役に立ちたいと考えたことがこの企画のきっかけです。また、日本語教師のキャリアについても業界としても考えたいと思っています。

日本語学習者の動機づけ→余暇的学習

私が、大学院修士課程修了後に得た仕事は、香港の大学付属の社会人教育機関での日本語教師の仕事でした。学習者の多くは昼に仕事を持ち、仕事帰りの夜や週末に日本語を勉強していました。勤め始める前は、学習者達は求職や昇進のために学んでいるのではないかと考えていたのですが、働き始めると、仕事のためというよりは、いわゆる「趣味」として日本語を学んでいるのではないかと感じることが多くありました。そこで、かれらがなぜ日本語を学んでいるのかを明らかにするために、かれらの動機づけの調査を行いました。

瀬尾匡輝(2011)「香港の日本語生涯学習者の動機づけの変化-修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチを用いた分析から探る」『日本学刊』14, pp. 16-39.

本稿は、香港で日本語を生涯学習として学ぶ上級学習者 11 名に半構造化インタビュー調査を行い、修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(木下, 2003)を用いて学習者の動機づけの変化を探ったものである。

調査の結果、【日本文化】への興味や【日本旅行】に関心を持って日本語を学習し始めた協力者達は、日本語学習を通してさらに【日本文化】への興味を深めていた。さらに、上級になるにつれ、【日本語が理解できることの喜び】に加え、他者との【つながり】にも喜びを感じるようになっていた。しかし、そこに至るまでには様々な〈日本語学習の困難さ〉もあった。《日本語学習-初級時》では、【学習時間の多さ】にストレスを感じ、また《日本語学習を始めたきっかけ》や【興味と結びつかない内容】に少なからぬ葛藤を抱いていた。そして、上級になると【文法の量】が減り、【興味と異なる内容】の読解教材を読むことに違和感を持っていた。また、日本語が教室外で使われない外国語環境からくる【接触場面の少なさ】と仕事を持ちながらの学習という社会人特有の【時間的制約】にも日本語学習を続けるうえで困難を感じていた。

香港の学習者の多くは日本のポップカルチャーや日本文化への興味、旅行目的といった内発的動機づけから日本語を学習し始め、日本語学習をし続けているが、初級・上級段階のどちらにおいても、興味と結びつかない内容を勉強することに日本語学習の困難さを感じていることが浮き彫りになった。本稿では、これらの分析の結果を踏まえて香港における日本語の生涯学習、社会人教育について議論し、今後の教材開発や授業運営について、1)ハッチンス(1968)が提唱する一般教養的な生涯学習に重きを置くこと、2)現地の教師や学習者の知識を生かした教材開発(Canagarajah, 2005)を行うことの重要性を提言した。



瀬尾匡輝(2011)「香港の上級の日本語生涯学習者の動機づけ―学習者の日本語ヒストリーから動機づけを探る」『アジア日本研究』1, pp. 11-25.

This study investigates three advanced Japanese life -long learners’ motivation through their language learning histories. According to the study of Japan Foundation (2008), about 70 percent of learners in Hong Kong are life-long learners. However, most studies on Japanese education in Hong Kong focus on college/university learners (e.g. Sakai, 2000; Yorozu & Murakami, 2009). It is therefore necessary to investigate life-long learners in Hong Kong, considering the prevalence of this particular group of learners. Especially, as these learners have no regular examinations or classrooms to compel their continued language learning, it is important to know what motivates them to study Japanese and sustains their efforts. While a number of studies have investigated learners’ motivation (e.g. Kurahachi, 1992; Ayabe, Karino, & Ito, 1995; Li, 2003) these have been based on questionnaires that failed to explore the motivational changes of an individual’s learning over time. Given the view of motivation advanced by Dörnyei (2003) and Deci and Ryan (2002) as a process that learners go through, it is important to examine the individual histories of target language learners. This study adopts a qualitative research method using life history (Tani, 1996) and narrative inquiry (Pavlenko, 2007) to investigate learners’ individual language learning histories. By analyzing each learner’s individual history, the researcher investigates the factors that motivate lifelong learners through their continuing studies. Throughout the research, it was found that research participants in this study were not learning Japanese for the Japanese Language Proficiency Examination and/or occupational purposes, but they were learning for fun. Thus, their intrinsic motivation was higher than extrinsic motivation. Most importantly, those learners found the meaning of learning Japanese by connecting with other people, such as their peers, Japanese employers, Japanese friends, and friends in Hong Kong who do not speak Japanese. The finding of this study suggests the importance of offering opportunities for learners to network in the community through a foreign language.

瀬尾匡輝・陳德奇・司徒棟威(2012)「なぜ日本語学習をやめてしまったのか―香港の社会人教育機関の学習者における動機減退要因の一事例」『日本学刊』15, pp. 80-99.

本調査では、香港大学専業進修学院で初級日本語コースを受講したにも関わらず、途中で受講をやめてしまった学習者に対して質問紙調査と半構造化インタビューを行い、香港の生涯学習機関における社会人学習者の動機減退要因を探った。調査の結果、「仕事」と「時間」が原因で学習意欲を減退させる調査協力者が多かった。仕事が忙しくなって予習・復習ができなくなり、日本語学習を断念せざるを得ない状況が浮き彫りとなった。また、授業で取り扱う内容が多いため、ついていけなくなったと語る調査協力者も多かったが、香港大学専業進修学院のカリキュラムは香港特別行政区政府が定める持續進修基金に基づいて作成されており、カリキュラム改善の難しさも示唆された。本稿では、Kubota(2011)の「娯楽と消費(Leisure/Consumption)」の概念を援用し、香港における社会人日本語教育のあり方を検討する。

動機づけの研究を行う中で、満足感や喜びを得るために外国語を学習する「余暇活動と消費としての外国語学習」を明らかにし、インタビュー調査を用いた質的な研究から海外における外国語学習の意義を検討するようになりました。

久保田竜子・瀬尾匡輝・鬼頭夕佳・佐野香織・山口悠希子・米本和弘(2014)「余暇活動と消費としての日本語学習―香港・ポーランド・フランス・カナダにおける事例をもとに」第9回国際日本語教育・日本研究シンポジウム大会論文集編集会(編)『日本語教育と日本研究における双方向性アプローチの実践と可能性』(pp. 69-85)ココ出版

教師教育に関する研究

瀬尾匡輝(2013)「ポストメソッド時代における教師研修―香港の大学での「日本語教育」コースを事例として」『2013年度日本語教育実践研究フォーラム報告』

近年、言語教育の分野では「ポストメソッド」(Kumaravadivelu, 2006)の時代に入ったと言われ、単一化された教育指針や方法ではなく、様々な教授法が世界の各地域に適した方法で実施されることが期待されている。しかし、ポストメソッドは概念的なものであり、その具体的な方法については十分な議論がなされているとは言えない。そこで、本稿では、香港の大学院での教師教育科目をひとつの事例として紹介し、ポストメソッド時代における教師教育の在り方について議論した。

本実践は2013年春学期に香港の大学院で「日本語教育」の科目を履修する日本語非母語話者34名を対象に行った。本科目では日本語教育学の概論を紹介し、クラス全体で議論するとともに、ポストメソッドの考えに基づく教師教育を行うため、以下の活動を取り入れた。

  1. 授業で学んだ理論や教育観についての意見や感想をソーシャルメディア上に書き込み話し合う。

  2. 院生自身の学習経験や学習・教育観を振り返り、自分史と教育哲学を書く。

  3. 現地の日本語教師にインタビューをし、教師達が抱える問題を探り、それを解決するための具体的方法を考え、実施する。

本実践の分析では、本科目を受講した大学院生2名のリフレクションと自分史、教育哲学、学期前・中・後に行ったインタビューデータを書き起こしたものを読み込みながら、学びの過程をストーリーとして記述した。ストーリーからは、自身のこれまでの学習経験を振り返り、クラスメートと共有することで、より深い内省を経て教育観を再構築していることが窺えた。

池田(2007)は、教師の成長とは「実践をふり返る中で目標に向かって上に伸びていくものだけではなく、その場の状況や相手との関係により、今まで無意識・半無意識だったことに気づいたり、これまでの自信が揺らいだり、価値観や前提を批判的に捉え直したりすることで生涯に渡って、絶えずさまざまな方向に変容していくことの積み重ねのプロセス」(p. 8)であると述べている。その中で、教師の実践知や社会的文脈が双方向的に影響し合いながら教師自身が変容していくこと、そしてそのような変容を促す教師教育が今後ますます求められているのではないだろうか。

瀬尾匡輝・有森丈太郎・鬼頭夕佳・佐野香織・瀬尾悠希子・橋本拓郎・米本和弘「オンラインでのつながりがもたらす教師たちの変容―『つながろうねっト』の4年間の活動をふりかえって」『茨城大学留学生センター紀要』14, pp. 77-92.

本稿では、インターネットを介して日常的に交流している『つながろうねっト』に参加する世界各地の教師が互いにどのような関係性を築いたか、そして教師としてのあり方がどのように変化したかを、実践のふりかえりとメンバーが書いた自分史を分析した結果から考察した。

その結果、本活動は参加者達が他社とのやりとりの中で自らをふりかえり、新たな自己像や行動を生み出す場になっていることがわかった。その背景には、直接の利害関係がなく、年齢や立場の違いに関わらず互いを認め配慮し合う雰囲気から生まれる心理的安心感があった。教師の成長は他者との関係性の中での能動的な変容として理解されるようになってきたが、本調査ではインターネットを活用した交流が教師の変容を促す場として有効であることが示された。通信情報技術によって地域を超えた周囲との関係性が構築される現在、オンラインも含めた教師の共同の可能性を探ることは今後さらに重要になるだろう。


香港での実践:Task-Based Language Teaching (TBLT)とCritical Pedagogyを取り入れた実践

瀬尾匡輝(2010)「Task-Based Language Teaching (TBLT) Based Language Teaching (TBLT) Based Language Teaching (TBLT) を用いた地域化の試み―香港での実践」『日本学刊』13, 146-159.

本稿は、筆者が初級コースで行っている Task-Based Language Teaching(TBLT)の実践報告である。TBLT とは日本語に訳せば、「タスクを用いた教授法」である。従来の文型積み上げ方の教授法ではなく、タスクを通して日本語を使い、学習者のプロフィシエンシーを育てるという観点から注目されている。しかし、TBLTは英語教育でも日本語教育でも理論中心に語られており、実践があまり報告されていないのが現状である。本稿では、TBLT をいかに海外の日本語教育において実践するかに重きを置いて報告する。

瀬尾匡輝(2010)「海外での Task-Based Language Teaching (TBLT)の試み―社会人教育機関の初級クラスにおける実践」『2010年度日本語教育実践研究フォーラム報告』

Task-Based Language Teaching(TBLT)では,文型練習を最終目的とし設計された従来のタスクとは異なり,目標言語はあくまでタスクを遂行するために使われる。TBLT は従来の教育法と異なるため,TBLT の実践家たちは独自のカリキュラムの中で実践している。しかしながら,機関の一教師として働いている場合,機関既定の教材で授業を行わなければならない。本稿では文型積み上げ型の教科書を使いながら,どのようにして TBLT の理論を授業に取り入れたか,アクションリサーチ(AR)の形を取りながら報告する。

瀬尾匡輝(2012)「クリティカルペダゴジーを取り入れた初級プロジェクト活動-海外の初級コースにおけるアカデミック・ジャパニーズの実践」『アカデミック・ジャパニーズ・ジャーナル』4, pp. 11-18.

本稿では、初級段階における批判的思考を養う活動について議論し、海外の高等教育機関におけるアカデミック・ジャパニーズの授業実践を報告した。海外の先進諸国の大学などの高等教育では、教科に関わらず批判的思考能力の育成が重視されている。それは、経済的発展による大学の大衆化に伴って様々な学力レベルの者が大学に入るようになったため、1)学術論文を書くための思考能力の育成と2)試験のための暗記といった機械的な学習ではなく、深い理解を伴った能動的・批判的学習が高等教育でますます求められるようになったからである(楠見他, 2011)。

このように海外の先進諸国の高等教育では、教科に関わらず批判的思考能力の育成が重視されるようになっているが、外国語の初級授業ではそれを目的とした活動は極めて少ない。そこで、対話を通して批判的思考能力を育てるクリティカルペダゴジー(久保田 1996、佐藤 2004)を香港の短期大学の初級日本語授業に取り入れ、「第一人称プロジェクト」を行った。本活動の目的は、教科書に書かれている第一人称の説明を批判的に読み取って日本語の様々な第一人称の違いに気づき、学習者が自らのアイデンティティに基づいた選択的な言語使用ができるようになることであった。具体的な手順としては、講義で日本語の第一人称について教師である筆者が紹介した後、日本語の本や雑誌、テレビ、インターネットなどから第一人称を探してくることを課題とした。そして、それぞれが見つけた第一人称を分類した上で気づいたことをブログに書き込み、意見を共有してもらった。 

本活動に参加した学習者達のブログでのやりとりや筆者のフィールドノートを分析した結果、学習者達は本活動を通して自身の得た情報や気づきを他の学習者や教師と共有し対話することで、より深い“知識”(Carrington 2011)を構築していた。さらに、言語に対する気づきだけではなく、教科書という媒体が伝える規範のみが必ずしも正解ではないという気づきも見られた。