#291 無難なことば選び
山口真一氏の『炎上で世論はつくられる』を読んでいるのですが、以前の記事(#279, #280)でご紹介した橋元先生のお話と似たような指摘が見られ、とても興味深く読み進めています。さらに、私自身が企業の言説の変遷に対して日頃から感じているようなことが、社会情報学的な観点から見事に言語化されており、面白さを感じると同時に、時にはその内容に恐ろしさも覚えています。
本書のなかでネット炎上の負の影響について触れられている場面では、個人が炎上に巻き込まれると日常やキャリアが奪われてしまい、企業も同様に株価下落などの甚大な打撃を受けると指摘されています。
そして、ここからが私自身が扱っているデータにもまさに表れている部分なのですが、本当に恐ろしいのは炎上そのものよりも、その「予期」が社会全体に広げる萎縮であるという点です。可視化された怒りが常時漂う空間では、人々は批判や誤読のリスクを先回りして回避するようになります。企業の広報は安全側に寄り、自治体や学校の発信は角を削る。そして市民の側も、論点を研ぎ澄ませるより、無難な表現に逃げがちになってしまいます。
このように、オンライン上で嫌がらせを受けた人が発信頻度を落としたり、自己検閲を高めたりする傾向は「サイレンシング効果(silencing effect)」と呼ばれるそうです。
恥ずかしながら私はこの「サイレンシング効果」という用語を存じ上げなかったのですが、Google Scholarなどで「メディア」や「インターネット」などのキーワードと掛け合わせて検索してもあまりヒットしませんでした。まだ簡単なリサーチをした段階ではありますが、学術的にもそこまで広く定着している言葉ではないのかもしれません。
また別の箇所でも、企業の公式アカウントや自治体の広報担当者が、日々「炎上しない表現」を意識して投稿している実態が挙げられています。批判が殺到すればブランドや信頼が傷つき、最悪の場合は経営にまで影響するため、そのリスクを恐れるあまり、どうしても無難な言葉選びに終始してしまうのです。
こうした現状に触れ、世の中には個性的で極端なメッセージも含めて、もっと多様なバリエーションがあってほしいと改めて感じました。そのためには、受け取る側の度量が試されるのではないでしょうか。発信を萎縮させないためにも、自分自身が「よい聞き手・よい読み手」でありたいと、思いを新たにしています。
まずは、この先の続きを楽しみに読み進めたいと思います。
p.s. 引っ越しをしてから新聞を読む機会が減りました(前から多いわけではありません)。最近何かを始めるときには、何かをやめるようにしているのですが(例えば、ブログ執筆にあたってはスマホからSNS削減+ChatGPT有料の解除)、今回は微々たるものですがAmazon Prime会員をやめ、新聞の定期購読をして見ようと思っています。なんだか、今なら読めそう、そして読みたいな、とふと思ったからです。
参考
山口真一(2026)『炎上で世論はつくられる――民主主義を揺るがすメカニズム』ちくま新書.
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[メディア] [サイレンシング効果]