和田秀樹
2026.8.28
感情をいきいきさせるためにも、やはり行動したり、情報を探したり、人を頼ったりすることを忘れずにいたいと思う本でした。
「『スケベ心』までなくしてしまったら、感情の老化が相当進んでいる証拠だ。『楽しいことが起こりそうだ』『面白そうだ』という感情が働いているうちに、何が自分を刺激してくれるのか、何をしているときが寝食を忘れるほど楽しいのかを探しておくことが大切だ」
これはすぐに実践できるぞと思ったのは…
「復習するということを習慣化するためには、『受け売りで話す』という方法がある。本や雑誌で読んだり、テレビを見ていて知ったことや面白かったことを、『受け売りで話す』のだ。」
いつまでも、いきいきとするぞ~!
福田恆存
2026.8.18
夏休みに入って本格的な一冊。何度も読み返したくなる、ご本人の声が聞こえてくるかのような本でした。厳しくも真実を言われダメージを受ける場面も多々ですが、それ以上に愛が深く、立ち直らせてくれます。
「美醜について」では、「しかし、つぎに私がいいたかったことは、醜いと損をするということ自体よりは、そういう現実からけっして眼をそらすなということであります。」
「教養について」からは、「こういうふうに自分の位置を測定する能力、しかも、たえず流動変化する諸関係のなかで適切に行動する能力、そのみごとさが教養というものであります。」
「性について」から、「…神の前に、理想の前に、羞恥心を失いさえしなければ、大人も永遠に若さを保てるはずです。」
「あとがき」もぐっときたのですが、「現実がそのとおりにならぬからこそ、それは理想といえるのです。…理想とは、現実が混乱しないための枠であり、ものさしであります。…すなわち整理のための道具、それが理想だともいえましょう。」
そして、私たちはみな「誰もが、いままで誰一人として通ったことのない未知の世界に旅立っているのです」
他の福田恆存本も読んでみたいと思います。
小林祐児
2026.8.9
やっと夏休み…と思いましたが、なかなか思うように読む時間が取れません。それでも、楽しく気ままに読み進めています。
こちらは、私的には馴染みある概念「協調の原理」「共通基盤」などがベースに書かれています。言語学と社会のつながりを感じる一冊でした。
「つまり、コミュニケーションにおいて、『それぞれが同じ知識を持っている』という状態=『相互知識』がある状態は実は役に立ちません。コミュニケーションを前に進めるのは、『相手も同じことを知っている』という相手の知識についての知識=『共有知識』の方なのです。」
相手が知っているはずと思いこまないこと、はとても重要な気がします。また、ただでさえ、マスメディアの台頭がなくなり、「常識」というものがなくなりつつある社会において
「社会全体でコモン・センスが希薄化していっている今、必要なのは、『対話ができる組織をつくる』ことより先に、『対話が成り立つ前提』をつくること」
と述べられていて、ますます自分が何を知っている、相手が何を知っているをすり合わせる重要性を感じています。
松浦弥太郎
2026.7.31
7月にもう一冊読むことができました。新聞でおすすめされていたので手に取りました。とても心地の良い本で、少しずつ、それでも着実に私もセンスを磨こうと思える本でした。
「ささいなことであっても、自分が人にしてもらってうれしいこと、言ってもらって励まされることは、積極的にしてあげましょう。」
「たとえその人が自分の趣味とは異なる持ち主であっても、できるだけ試すこと。」
「痛みや苦しみやつらさは、逃げれば逃げるほど追いかけてくる…逃げないでいれば、自分はそれに追いかけ回されない。一歩でも後に逃げればぐっと迫ってくるものです。逃げないということは、それに向き合うことです。」
「…循環させていくということ…『美しいもの』があったら、その魅力を自分のところでせき止めてはいけません。独り占めしないということが大切です。」
逃げず、恐れずに、8月も頑張ります。
行方昭夫編訳
2026.7.26
今回は少し期間が空いてしまいましたが、気のゆくままに読み進められました。
訳者の行方さんは、大学院入試の際の『英語青年』の英訳・和訳問題の解説欄でいつも目にしていて尊敬していた方で、そんなこともあり手に取りました。
イギリスのエッセイの翻訳と行方さんならではの解説で、イギリスのユーモアや、人間共通の考え方などに触れることができました。
最初の隣人の騒音に悩まされるエッセイからは
「隣の連中に関して不思議なのは、知り合いになってみると、想像していた人とはまるで違うことだ。案外いいところがあるので驚く。」
に共感し、「思うだに震える」というエッセイからは、
「立法に関する限り、人々が恐れていることはー人々が期待していることと同じくーめったに実現しない。」
にちょっと安心し、「温度計随想」の後の解説では、
「長い人生を生きていくには、些細なこととも付き合っていくのが、正常な神経を保つ秘訣だ、というのでしょう」
の指摘に触れ、エッセイからの教えを大切に日々の気づきや出来事を大切にしていきたいと思いました。
谷川嘉浩
2026.7.9
新書にしてはぶ、分厚いと思って手に取ったのがきっかけです。スマホ時代を哲学するために、色々な世界のことばを借りてきながら、一緒に、今を考え、探り、次の行動を考える本でした。
「スマホ時代に必要なのは孤独と孤立であり、それらがあってこそ、自分を浸している感覚に耳を澄ませ、衝撃的な経験(強い情動体験)と折り合いをつけていくことができます。」
気晴らしではなく、趣味を通しての孤独体験で重要なこととして
「適切に営まれた趣味には、『自分がいいなって感じられるまで』手をかけ、作り直し、対話を続けるという要素が含まれる。その反復がいつまで続くかというときの指標が、… 自分を納得ささられるかどうかにあるというのも重要な点です。」
自分の中の他者との対話を大切にする時間を持ちたいです。
村上靖彦
2026.6.30
安心できる場所〈生きるスペース〉は、少しの願いやそれを共有する些細な会話から生じる。それをつい忙しさなどから省いてしまってないだろうか…と省みる機会になりました。
「くだらないことも含めて和気あいあいと、あるいはだらだらと意外な相手と話す余裕を僕たちは失ったのではないだろうか。効率化と競争を追求したときに、最初に切り捨てられるのが無駄に見えるものだろう。『無駄話』という名称が示すように、切り捨てられる第一候補が会話なのである。」
会話と対話は分けられているのですが、その関係は以下のように指摘されています。
「どんな話題でも気軽に語ることを許す会話の拡がりが土壌としてあるとき、対話によって深刻な問題に直面することができる。」
「時計の時間を離れたゆとり」を持っていたいなと思います。
河合隼雄, 工藤直子, 佐伯胖, 森毅, 工藤左千夫
2026.6.16
朝日新聞の「折々のことば」で紹介されていたので購入。関係するからこそ響いたのだと思いますが、以下は、教員としての在り方から「学び」を考えさせられた部分です。
「先生が必死になって教えまくっても、生徒はそう伸びないんだ。教えない先生がいると、生徒は自分でものすごく勉強するんです。あんなもの頼りにならんというので、その子たちは必死になって勉強している。」
また、わからないこと、をおもしろいと自分も思いたいし、相手にも思ってもらいたいと感じた部分
「このごろみんなわからんといかん、よくわかるようにしましょうと言いますが、あれで、学生さんがわからんことへのこらえ性がなくなりまして、わからんけどおもろいというのがないんです。」
たしかにそうかも、とくすっと少し笑った研究室のエピソード
「教授が平気でボロを出したりして、研究室の若い連中が、うちの教授はしょっちゅう言うことが変わるしな、あのおっさんいい加減やしなと言っている研究室は、ものすごく活発です(笑)。民主的などという政治的な問題じゃなくて、あれでお互いにけっこう賢くなっているんです。賢くなり合う関係というのは、うまいこといっているという感じがしますね。」
外山滋比古
2026.6.13
次に何読もうかな~とふらふらしていて目に留まった一冊。外山さんに比べると若いので、油断してはならないものの、ほっと力を抜かせてくれるようなお話がたくさん。
「スタイリッシュ・エイジング」の箇所では、アメリカ大統領夫人の第一秘書であった、リズ・カーペンター女史の3か条が外山さんのことばでまとめられていて、
「つまり、ひとりでいるな、ということであり、人と会ってたのしく食事をすることを忘れるな、であり、好きな人をもて、ということになる」
また、忘れることの大切さについて、
「人間は、記憶の能率という点にかけては、とてもコンピューターに及ばないけれども、コンピューターには、人間のしているような選択的忘却といった高級な芸当は思いもよらない」
共感できたのは、新しいことをはじめる、ということの大変さなのですが、始めた後のスタンスについてはクスっとしてしまいます。
「とにかく始めるのに価値がある。できてしまえば、あとはなり行きにまかせればいい」
少し心が軽くなりました。
千野栄一
2026.6.7
母と一緒に購入した一冊。古本屋巡りの神髄を見て、私はまだまだだと動悸のする一冊でした。
社会主義国のチェコの古本屋のエピソードでは、チェコの古本を海外に輸出する部門の責任者ドクトルさんの語りの中で印象的だったのが、以下のことば…
「私は古本を単なる商品と思っていません。私は自分を古本を正しく評価できる人の手に渡す文化の仲介者だと思っています。」
自分も旅をする際に気にしたいと思ったのは、
「日本語のように同系の言語を持たない言語では、遠い方言をきくことだけが、同系の言語を持つ話し手がその同系の言語に接したときにどう感ずるかを知るてがかりである。」
山口真一
2026.5.31
5月にもう一冊読むことができました。嬉しい。
誰もが発信者になれる時代(作中では人類総メディア時代と呼ばれています)の恐ろしさについて、炎上のメカニズムや、そうしたコメントを恐れて無難なメッセージしか言えなくなってしまうようなサイレンシング効果なども含めて、説得力のある形でまとめられていました。
自分はちゃんと情報が正しいかどうか見抜けている、と自信を持っている人ほど、フェイク情報を信じやすく、拡散してしまう傾向があるという指摘も心に留めておきたいと思います。
また、『歴史から「今」を見る』というセクションも面白かったです。戦争に勝つことが大事だった国家社会、いかに富を築くかを競う産業社会、影響力を持つことが憧れとなる情報社会へ。
それに合わせて価値観も変化し、英雄の存在は、武人や国家を率いる王から、豊かな企業人へ、そして人々に喜ばれ、感謝され、影響力を持つ人へと変化していると言われています。
国家社会や、産業社会がそれぞれ200年続いたことを考えると、今始まった情報社会もまだこれから、とのことで、この先どうなっていくだろう、自分はどう情報と向き合っていくべきかと考える一冊となりました。
古賀及子
2026.5.15
美容室で雑誌を読んでいた時に出てきた一冊で、どなたか女優さんが紹介していた気がする。私はつい癖で通読したのですが、日記なので、同じ月、日、季節のところをふとした時に読むのも良いかもしれません。
ことばや社会を感じさせるひとコマがやはり印象に残っています。
「古いテレビなものだから、映す際に、入力を地上デジタルからHDMIに変更する必要がある。今日、それを言いたいらしい息子が、「お母さん、3LDKにして」と言って、まったく問題なく伝わったから笑ってしまった。…3LDKはぜんぜんHDMIではない。それでもスムーズに伝わるのだから、コミュニケーションの可能性に力がみなぎってくるではないか。」
「いつまで朝食に餅を食べるか、試されるフェーズに入った。…給仕は社会活動だ。自分で食べることと、誰かに食べさせることはまるで違う。「誰か」という存在がいかに「社会」であるかを、家で食事を手配することで常々感じる。」
パウロ・コエーリョ
木下眞穂 訳
2026.5.10
久しぶりに訪れた中川書房で手にした一冊。
持って読むのに恥ずかしさも感じる一冊とおもいつつも、パウロコエーリョの『アルケミスト』が好きだったこともあり購入。
不倫前後の女性の(おそらく)リアルな心情、振る舞いの変化、周りとの関係性の変化なども見どころながら、最後にはその全てが小さく見えてくるような・・・。
まだ私の中でもまとまりがないですが、以下を書き留めておきたく思います。
「人生はわたしたちを学ばせるため、ありとあらゆるチャンスを差し出してくる。… そして最も大事な学びが、愛することだ。…たとえ過ちがあっても、他人を傷つける決断をしても、愛など存在しないとわたし自身が考えてしまったときがあっても、だ。」
今まで恐ろしくて避けていたダイビングやパラグライダーなども、安直ながらやってみようかなと思う一冊となりました。
河合隼雄, 養老孟司, 筒井康隆
2026.5.4
おかしい…。忙しい季節のはずが本を読む手がとまりません。忙しくないのかもしれません。おそらく半分は神保町のせいです。
こちらは、ブックセンターで出会った一冊。笑いの効果はもちろん、笑いがどこで生まれるのか、笑いが文化によってどう違うのかなど、笑いをまじめに取り上げています。
「笑いというのは論理的にきちんと構築された世界に破綻が見えたときに、笑うんですね。」
また、イギリス人がユーモアを理解できる人の条件がいくつかあげられていて、その中の
「自分と他者との関係になにかあったときにそれをユーモアでつなぐような愛情」
が印象に残っています。そしてドキッとしたのが…
「日本で指導者とか教師とか、そういう名前がつく人ほど、笑いから遠いでしょう。指導者とか教師とかいうのは、早く教えないかん、早く追いつかないかん思うからじゃないですか。」
そうだよな、よし、気楽にのんびりいこう~と思いました。
釈 徹宗 (監修), 多田 修 (翻訳)
2026.4.26
美容誌『Oggi』のコラムで紹介されていたのがきっかけで手に取った一冊です。
「物事が継続できない」という読者の悩みに対し、ある回答者が本書の一節(「満点でなかったら0点と同じ?」)を引用して励ましの言葉を送っており、その内容に深く感激して購入しました。
本書には、250頭の牛を飼う牧場主のエピソードが登場します。彼は大切な1頭をトラに食べられたことに絶望し、「完全に揃っていなければ意味がない」と、なんと残りの249頭を自ら深い穴に突き落としてしまうのです。
この「250頭の牛」とは、修行者が守るべき戒律のたとえだそうです。一つの戒律を守れなかったからといって、「完璧でないなら守る意味がない」と全てを投げ出すのは、この牧場主と同じになってしまう……。著者はそう説いています。
コラムの書き手は、「1日できなかったからと投げ出しそうになったとき、残された249頭の命を思い出してほしい」と綴っていました。確かに、そう考えると「せめて残りの命を大切に、できる限り続けよう」という、前向きで優しい気持ちになれる気がします…。
三宅香帆
2026.4.24
こちらも三省堂で、『本を読めなくなった人たち』のとなりに置かれていたので手に取りました。
私が社会言語学の学びをする中で得て確認してきた概念・感覚を、自らの書評(または推し活)の経験から体得された様子が身近なことばで書かれており、すっと頭に入ってきます。ことばの危険性や魅力も伝わる一冊。
「私たちは放っておくと、想像以上にすぐ他人や世間の言葉に支配されてしまう。」
「冷静に自分の好みを言語化することで、自分についての理解も深まる。」
SNSやインターネットでスラングが生まれやすいことについては、
「俺とお前の間に、説明なんていらない、仲間だよな?同じ言語を使っている同志だよな?そんな暗黙の了解をとるために、私たちはスラングを使い続けるんです。」
私も自分の「好き」をどう語るか、楽しく、使い分けていきたいなと思います。
稲田豊史
2026.4.21
リニューアルした三省堂で手に取った一冊。
読書から遠ざかってしまう理由を知ると同時に、「読書とはどういうものなのか」を深く考えさせられました。
「読書は『ながら』ができないからコスパが悪い」
というセクションタイトルや、その後に続く話では、動画視聴と対比して以下のような主張がなされています。
「なぜ疲れているときに読書はできず、動画視聴は楽なのか。それは、読書がきわめて能動性を求められる行為であるのに対し、動画視聴は受動性が高い行為だからだ」
また、動画は「話し言葉」がベースのため、多少の読み間違いや言い間違いが許容され、そのまま定着してしまうこともあるといいます。本書ではその例として、「雰囲気(ふんいき)」を「ふいんき」、「延々と」を「永遠と」と誤認するケースなどが挙げられていました。
私自身も以前、あるブログで「幸いです」と書くべきところが「最愛です」となっているのを見かけ、驚いたことがあります。
自分はどのような読書をしているのか。何のために読んでいるのか。本当に読むことが好きなのか、それとも「読んでいる自分」が好きなだけなのか……。読み終わった今も、そんな問いが頭の中をぐるぐると回っています。
鷲田清一
2026.3.22
春休みの合間に途切れとぎれに大事に読んでいた一冊。読了の寂しさに新年度が始まる独特の感が混ざり胸がざわざわしております。
理解の一致とか共通基盤の構築とか、それがどのように達成されるのだとかに目を向けがちな言葉の研究に、省みる機会をくれるような一節。
「…理解するとは、合意とか合一といった実質をともなうものではなく、分からないままに身をさらしあうプロセスなのではないかとおもえてくる。一致よりも不一致、それを思い知ることこそが、理解においては重要な意味を持つ、と。」
また、学びを支えるものとして、
「学ぶというのは、じぶんの知らないことを知るということだ。じぶんが砕け散るという体験なくして「学ぶ」などということはありえない。まっすぐ逸れなく進むというのではなく、躓く、揺れる、迷う、壊れる…ということ、「学び」はそこからしかはじまらない。」
最後には、「ため」がキーワードとなる章がちらほら…
「ひとびとの関係にもっともっとためがないと、社会はきしみばかりが耳につく「不通」の社会になってしまうとおもう」
「思考にためがなくなったということなのだろうか。…私たちが失いかけているのは「話しあい」などではなく「黙りあい」ということなのだろうか。」
松村圭一郎
2026.1.7
軽井沢書店でたまたま手にした一冊。エチオピアの農村部でのフィールドワークの話だけではなく、コロナ禍での社会の変化など、扱われている内容が幅広く、ときに似ていてときに異なる、世界の捉え方を知りワクワクする一冊でした。その中でも心に留めておきたい箇所は・・・
「大学は、何かを知っている人が知らない人に教える場ではない。教員と学生がともに学び考えながら、答えのわかっていない問いをわかろうと追究する場だ。」
日本に輸入される熟す前に収穫されたバナナと、エチオピアで食べた実がなったまま熟した村のバナナをくらべて、
「いつでも何でも好きなものが手に入る。それは「豊かさ」ではないのかもしれない。」
長田弘
2025.12.30
随分とじっくり読書とご無沙汰になってしまいました。せわしない日々の中でも、何を食べるか、食べたいか、誰と食べるか…など、食の時間は大切にしてきましたが、そんな中で「食」と「ことば」が一緒になったこの詩集に惹かれたのだと思います。
最初の詩のタイトルもドンピシャで「言葉のダシのとりかた」。かつおぶしでなく、言葉の表面を削り、鍋に入れ、アクを取り、火を止めて言葉を濾しとりできる言葉の一番ダシ。
「だが、まちがえてはいけない。他人の言葉はダシにはつかえない。いつでも自分の言葉をつかわねばならない。」
食にまつわる人々の様々なエピソードが述べられたあとには、
「食卓にのるは常に人生。・・・人間は生きている比喩である。」
私のこれからの言葉とストーリーはどのような味になっていくのかしらと思いを馳せながら…ごちそうさまでした。
茂木健一郎
2025.10.12
国際ビジネスコミュニケーション学会にて紹介されていた著書を読みました。偶然の幸運に出会う能力「セレンディピティ」のために何が必要かを説く本でしたが、自分の専門と照らし合わせて印象に残ったフレーズを紹介させてください。
「胸に満ちる万感の思いの中から、何を口にして何を秘めるか。そこにこそ、人間の世界観や価値観、尊厳や美質が表れるのであります。言うべきことと言うべきでないことを、自ら峻別する。無意識に垂れ流すのではなく、意識的に表に出すものをセレクトする。受け止めるほうも、相手の言葉がセレクトされた、吟味されたひと言であるということをわきまえる」
「表現は生き方の果実なのである。そのことを、胸に刻んでおいてくれたまえ。ヌルい人生からは、ユルい表現しか出てこない。心に響く言葉の背後には、必ず、厳しくも妥協しない生き方がある。」
どちらも、ことばを文脈や話し手の属性から紡ぎだされる選択と捉える社会言語学と親和性が高いと思い、強く印象に残りました。これらの言葉を胸に、私自身も、エネルギッシュにがむしゃらに生き自分のことばに命を吹き込んでいきたいと思いました。
二宮敦人
2025.9.27
随分と時間をかけてしまいましたがやっと読み終わりました。エピソード満天。
建築科の学生のエピソードでは、「いつも通る場所をよく観察して、自分なりに記述する」という課題に対し、その学生が農家の倉庫を対象として、並んでいる農機具の名前、生えている木や雑草の名前なども含めて全てスケッチしていたそうで、その学生が言ったセリフが印象に残りました。
「一定の期間そこにいないと、見えてこないころもあるんです。柵のこの部分は猫の通り道になっているだとか…。」
また、指揮科の学生のエピソードからは励みになるフレーズが・・・。
「初対面のオーケストラに行く時なんか、もう緊張して…胃が痛いですよ。…先生は『百人いたら百人がこちらを好きになってくれることはない。だが、百人がこちらを嫌うこともない』って言いますね。」
授業で沢山の人に見られジャッジされ得る恐ろしさを日々感じる中で、この言葉は思い返したいひとつとなりました。
あとがきには、この本が、飲み会で著者の妻の藝大エピソードを編集者と雑談していたことがきっかけになったと書かれています。Day Logでも触れていますが、雑談の力を改めて感じます。
星野道夫
2025.9.7
前回に引き続き、神保町で手にした一冊。以前、東京都写真美術館にて「星野道夫 悠久の時を旅する」の写真展を訪れたことを思い出して、懐かしい気持ちで手に取りました。
著者は大学生のときに、同じく神保町で出会ったアラスカの写真を見て手紙を書き、現地を訪れ、それから自然と共にする人生を選ぶ。星野さんの写真には対象そのものに対する深い愛が映し出されている。アラスカを旅し暮らすことを選択する行動力に憧れつつ、自分も何か自分だけの対象にその愛を注いでいきたいと思ったり。本書の中で印象に残った箇所をひとつ、ふたつ。
「短い一生で 心魅かれることに多くは出合わない もし 見つけたら 大切に… 大切に...」
「人はいつも無意識のうちに、自分の心を通して風景を見る。オーロラの不思議な光が語りかけてくるものは、それを見つめる者の、内なる心の風景の中にあるのだろう」
「ピュアラック、つまり絶対的な幸運など存在するのだろうか。シャッターチャンスとは、やはりどこかで自分の写真を撮る姿勢と関わっているような気がする。つまり、どれだけ撮りたいと思い続けたか。その前を通り過ぎずに立ち止まれるか。そのためにどれくらい待てるのか…。それらのすべてが絡み合い、本来、偶然的な自然の営みの中で起きるシャッターチャンスという瞬間への、不思議な道に続いているような気がするのである。」
瀬戸内寂聴
2025.8.20
神保町の古本屋で手にした一冊。声に出して言いづらいことも、優しく、それでいて鋭く指摘している。
第8話の「みそかごと」では
「結婚式の披露宴が、盛大でにぎやかであればあるほど、なぜか空しくて、その長さにも嘘く臭さにも、義理で出席した客たちが白けきってしまうのは、ここまで公に認められてしまった後の二人の男女の間には、もはや、わくわくも、じんわりも、ひしひしも、かっかもなくなって、いち早く訪れる幻滅と倦怠の予感だけが感じられるので、おめでたいおめでたいと口でいいながら、どこかお腹の中でそんなことないぞと思っているからではないでしょうか」
と、公にしないこと(みそかごと)の魅力について触れている。互いに関心を惹きつけ合う、もしくは魅力的であり続けるために、未知の部分を残しておくこと。これは男女に限った話ではなく、公開をベースとするSNSや日々のコミュニケーションにおいても「どうあるか」を考えさせられる内容だと思いました。
田坂広志
2025.8.18
こういう本も結構好き。古典を読み解くのとはまた違った方法で軽やかに楽しめる。「最先端の科学の知見と最古の宗教の直観との一致」にはかなり説得力があった。面白かったのは、「他人を非難し否定する言葉は、自分に戻ってくる」というセクションで、
我々が、誰かを非難し否定する言葉を、強く、感情的に語るとき、我々の無意識の世界では、その言葉の「主語」が抜け落ち、「述語」が自分に返ってくるのである。(あいつは、駄目な奴だ!あの人は絶対失敗する!、とか。)
の部分。これは逆に、褒め言葉などのポジティブな言葉にも通ずる気がする。何かに対して評価する(スタンスをとる)ということが間主観的なものだということとも繋がっている気がするし、今後少し考えてみたい内容となりました。
高橋源一郎
2025.8.17
これからホームページを毎日書くぞ〜と思っていたらこの本とたまたま遭遇。
この世界に生きるわたしたちは、ことばを使って考えます。他のやり方はありません。だから、「考える」とは「ことば」を使うことそのものなのです。そして、わたしたちの使うことばは、実は「社会」が使うことばでもあるのです。わたしたちは「社会」が教える「ことば」を学び、その「ことば」を使って考える。… だから、わたしたちが「ことば」を使って「考える」しかないのなら、実は、わたしたちは、「社会」がそのように「考えろ」というやり方に従うことになる。… どうすれば自由に「書く」ことができるのでしょうか。その一つが「考えずに」書くことでした。… そしてもう一つが、「考える」ことそのものを「書く」ことだったのです。
著者は比喩的に、社会のことばを「昼間のわたし」、それから解放されたことばを「夜のわたし」と呼んでいました。少し恥ずかしいですが、ここで「夜のわたし」を見せられるようにこれから頑張ります(笑)
板坂元
2025.8.4
神保町の中川書房で偶然出会った1冊。
現代アメリカ社会といっても1985年のものなので注意の必要アリ。だけれどもその内容は驚くほどに今と変わっていない気がする。
特に面白かったのは、「仕事中毒の本家はむしろアメリカなのだ」と「水墨画に鉛筆で濃い輪郭をつけるような翻訳」の章2つ。
前者では、マネジャー級で週平均70時間、社長クラスともなると100時間労働しているとのことだった。そして面白いことにそういう家庭ほど離婚率が低いとか。
後者では、川端康成の雪国の翻訳の中で、冒頭ではなくキスシーンの描写について取り上げているのが新鮮だった。タイトルは、英語の時制に当てはめる際に筆者が抱いた感覚のこと。言い得て妙。
前期の授業が終わったので、この夏は本読みの沈潜を図りたいと思います。
村田和代
2025.7.26
社会言語学を専門とすることの喜びを再認識させてくれる本。同時に、以前コロナ禍に企業の声明文を分析したときの気持ちが蘇ってきた。
「生きていることばやコミュニケーションの有り様」を研究すること。実社会のコミュニケーションを可視化し、より良く(より優しく)なれる道を模索すること。どれも自分も引き継ぎたい思いだなと染み入りました。
これからのことばの有り様を見るのが今から楽しみだ〜。
やなせたかし
2025.7.9
朝ドラに合わせてこちら読み進めておりました。
「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。」
予想していたよりも後に、そしてぬるっとアンパンマンが誕生するけど、その劇的でない感じがとてもリアル。何が起こるか分かないけど、後から考えると全部の経験や作品がゆるやかに繋がっている。
鷲田清一
2025.6.13
日本英文学会の書籍展示で運命的に出会った一冊。鷲田清一が朝日新聞で連載している「折々のことば」ラバーとして、迷うことなく購入。
日本英文学会での自分の発表とも関わるまさにの一節を確認し、深くうんうんと頷き中…もはやうんうんと声に出しながら読んでおります。 そういう時間が嬉しい。
「多様性」の落とし穴
「多様な社会を謳いつつも、じつはこれまで以上に一様な社会になっているとつくづく思わされる。… 全国におよそ八百ある大学の運営形態の一様さもそうだが、名だたる企業も、かつてはそれぞれに経営の手法に個性があって、社是もみな独特であった。」
私のデータも実際に物語っている。どうしてか、どうあってほしいか、どうするか。考えながら先に進みます🚶
金谷治 訳注
2025.5.17
雨のことば辞典、の前にこちらを読了しました。出かける前でしたが、ラストにかけてふんふんと一気に読んでしまった。幸福感に包まれております。
大学のほう
「大学の最初の教育では、世界のすべての事物について、すでに自分の見ぬいた理を手がかりとしてますますそれをおしきわめ、そのようにして理の極点にまで到達することを、学ぶ者たちすべてに必ず追求させるのである。」
中庸のほう
「平凡で恒常的な日常の徳を実行し、平凡で恒常的な日常のことばを慎重にして、足りないところがあればあくまで行きつこうと努力し、過ぎたところがあれば、慎重に抑えて自制する。そしてものを言うときにはことばが実行より過ぎないようにと注意し、事を行うときには実行がことばに及ばぬことがないようにと注意(して、言と行との一致に努力)する。」
イェーリング著
村上淳一訳
2025.4.30
読むと勇気づけられると同時に荒々しい気持ちにさせられる一冊。まるでヒッピーにとってのサリンジャーのような、少し危険なバイブル臭が漂っている…。
「権利侵害によって自分自身ないし他人がどんなに大きな苦痛を受けるか経験したことのない者は、「ローマ法大全」の全巻を暗記しているとしても権利の何たるかを知っているとは言えない。」
「権利という恵みを受けている者は誰でも、法律の力と威信を維持するためにそれぞれに貢献せねばならぬ。要するに、誰もが社会の利益のために権利を主張すべき生まれながらの戦士なのだ。」
最後に紹介されるゲーテの箴言にもうっとり🫠
「智慧の最後の結論は斯くの如し 自由と生を享受して然るべきは、日々それを蠃(か)ち得ねばならぬ者のみ」
倉嶋 厚、原田 稔
2025.4.12
『雨のことば辞典』を楽しく読んでいます。筆者の雨愛に溢れていて、おかげさまで雨の見方が変わりそうです。雨と冬と夜の三余は読書に当てたいと思います。さらにポーランドの雨のことわざも発見。
「私がいないと私を求め、私がいると私の前から逃げる」
ずっと雨模様だった昨年のポーランド旅を思い出ししみじみ...。
ニーチェ著
水上英廣訳
2025.3.20
春休み中にやっと読み終えました。
とはいえまだ上巻。
「あなたは、あの支柱の美徳にならうべきだ。支柱は上に行けば行くほど、ますます美しく、華奢になり、しかも内部はますます強く、支える力を増す。」