【ち】
ちからいし えどからめいじに ちからくらべ
力石 江戸から明治に 力くらべ
●西遊馬氷川神社(力石)
徳川家康の命令により、荒川が西に付け替えられ(荒川西遷)、利根川が東に付け替えられ(利根川東遷)ると、江戸は水害から守られ、ここ馬宮は新田開発が盛んに行われるようになり、穀倉地帯となりました。そして、収穫の時期を迎えると、若者が中心となり、お米の収穫を祝い、神社で「力比べ」を行うようになりました。米一俵は60キログラムあり、力比べには、110~180キログラムの力石が使われたようです。力比べは明治時代まで続き、今では、西遊馬氷川神社に、その力石が残されています。