学校沿革史

令和時代

国のGIGAスクール構想による児童一人一台端末環境の実現

学校保健安全法第20条に基づく一斉臨時休業終了、学校教育活動の再開

浅野博一、第47代校長に補せられる。

馬宮公民館前通学路の一部がスクールゾーンとなる。

新型コロナウイルス感染拡大のため、学校保健安全法第20条に基づく一斉臨時休業

平成時代

プール改修工事完成

佐野公子、第46代校長に補せられる。

さいたま市教育委員会研究指定委嘱(「さいたま市小・中一貫教育」等) 

優れた「地域による学校支援活動」推進により、文部科学大臣表彰を受ける。

湯沢保紀、第45代校長に補せられる。

馬宮東小学校百四十周年記念式典を挙行する。

佐々木清隆、第44代校長に補せられる。

東側校舎耐震補強工事

槙山正春、第43代校長に補せられる。

校内LAN整備 

さいたま市チャレンジスクール指定校

埼玉県学校給食会「生きる力をはぐくむ食に関する指導モデル校」

さいたま市教育委員会研究指定委嘱(特色ある学校づくり)

通学路一部変更(赤コース) 

西側校舎耐震補強工事

さいたま市教育委員会研究指定委嘱(学校地域連携コーディネーター配置モデル校)

常見昌弘、第42代校長に補せられる。

さいたま市教育委員会研究推進校委嘱読書指導研究発表会

さいたま市教育委員会研究推進校委嘱(読書指導)

自主研究発表会(国語)

さいたま市心の教育モデル校事業指定校

馬宮東小学校百三十周年記念式典を挙行する。

西側校舎の外壁塗装

鈴木薫、第41代校長に補せられる。

校舎西側の通学路が一部スクールゾーンとなる。

大宮・浦和・与野の3市合併に伴い、さいたま市立馬宮東小学校と改称する。

体育館通路陸橋屋根完成

町田二郎、第40代校長に補せられる。

体育館屋根付通路完成

吉澤敏昭、第39代校長に補せられる。

大宮市教育委員会研究委嘱(同和教育)

大宮市教育委員会委嘱図工科研究発表

加藤俊明、第38代校長に補せられる。

馬宮東小学校百二十周年記念式典を挙行する。

埼玉県美術教育連盟委嘱研究発表

プレイルーム内装工事完成

防球ネット延長工事完成

岡田弘子、第37代校長に補せられる。

校庭整備工事完成、新固定施設設置、砂場改装(生活科砂場含む)

歩道橋・体育館通路舗装・防球ネット延長工事完成

昭和時代

照林和男、第36代校長に補せられる。

体育館完成

小鳥小屋全面改築

服部馨、第35代校長に補せられる。

給食室(新築)完成、プレハブ13教室完成

小鳥小屋、体育舎、西側フェンス、西門完成

新井文雄、第34代校長に補せられる。

プール完成

加藤富士弥、第33代校長に補せられる。

馬宮東小学校創立百周年「記念誌」を発行する。

黒須保、第32代校長に補せられる。

馬宮東小学校から栄小学校が移転する。

馬宮東小学校百周年記念式典を挙行する。

馬宮東小学校から栄小学校が分離し、馬宮東小学校の一部を使用して開校する。

鉄筋校舎が完成する。(第1期)

田口晃、第31代校長に補せられる。

横田小弥太、第30代校長に補せられる。

安藤正隆、第29代校長に補せられる。

金井塚隆治、第28代校長に補せられる。

給食室落成、学校給食を開始する。

校歌を制定する。

校章を改制し、校旗を制定する。

松岡好男、第27代校長に補せられる。

大島貞雄、第26代校長に補せられる。

島村正夫、第25代校長に補せられる。

大宮市と合併し、大宮市立馬宮東小学校と改称する。

馬宮東小学校五十周年記念式典及び記念運動会を挙行する。

富永専蔵、第24代校長に補せられる。

馬宮東小学校と改称する。

柏房吉、第23代校長に補せられる。

有山信三、第22代校長に補せられる。

長島治、第21代校長に補せられる。

馬宮東国民学校と改称する。

松本濱治、第20代校長に補せられる。

校旗を制定する。

中條泰作、第19代校長に補せられる。

岡野克、第18代校長に補せられる。

校庭拡張(現在の運動場となる)

大正時代

校舎増築、校地拡張

大久保三五郎、第17代校長に補せられる。

湯澤荘作、第16代校長に補せられる。

明治時代

小川保平、第15代校長に補せられる。

梅沢福三郎、第14代校長に補せられる。

武井多三郎、第13代校長に補せられる。

湯澤荘作、第12代校長に補せられる。

道祖土寅吉、第11代校長に補せられる。

現在地に校舎を新築し、高等科を併置(4月15日落成式、その日を開校記念日とする)

小熊喜三郎、第10代校長に補せられる。

小島芳蔵、第9代校長に補せられる。

元興文学校を分離して第一馬宮尋常小学校と改称する。

伊藤岩太郎、第8代校長に補せられる。

平野甚三、第7代校長に補せられる。

並木定吉、第6代校長に補せられる。

大字飯田新田の興文学校と合併して、同所を分教場とする。

岩上忍太郎、第5代校長に補せられる。

長田春造、第4代校長に補せられる。

市橋秀元、第3代校長に補せられる。

河村一介、第2代校長に補せられる。

臼杵修甫、初代校長に補せられる。

西遊馬村、二ツ宮村、土屋村の三村組合にて高城寺の一部を仮校舎として小学校を創設、遊馬学校と名づける。