学校沿革史
令和時代
令和3年3月
国のGIGAスクール構想による児童一人一台端末環境の実現
令和2年6月
学校保健安全法第20条に基づく一斉臨時休業終了、学校教育活動の再開
令和2年4月
浅野博一、第47代校長に補せられる。
令和2年3月
馬宮公民館前通学路の一部がスクールゾーンとなる。
令和2年2月
新型コロナウイルス感染拡大のため、学校保健安全法第20条に基づく一斉臨時休業
平成時代
平成30年6月
プール改修工事完成
平成30年4月
佐野公子、第46代校長に補せられる。
平成29年4月
さいたま市教育委員会研究指定委嘱(「さいたま市小・中一貫教育」等)
平成27年12月
優れた「地域による学校支援活動」推進により、文部科学大臣表彰を受ける。
平成27年4月
湯沢保紀、第45代校長に補せられる。
平成25年11月
馬宮東小学校百四十周年記念式典を挙行する。
平成24年4月
佐々木清隆、第44代校長に補せられる。
平成22年7月~
東側校舎耐震補強工事
平成22年4月
槙山正春、第43代校長に補せられる。
平成22年2月
校内LAN整備
平成21年12月
さいたま市チャレンジスクール指定校
平成21年5月
埼玉県学校給食会「生きる力をはぐくむ食に関する指導モデル校」
平成21年5月
さいたま市教育委員会研究指定委嘱(特色ある学校づくり)
平成21年3月
通学路一部変更(赤コース)
平成20年8月
西側校舎耐震補強工事
平成20年4月
さいたま市教育委員会研究指定委嘱(学校地域連携コーディネーター配置モデル校)
平成20年1月
常見昌弘、第42代校長に補せられる。
平成19年10月
さいたま市教育委員会研究推進校委嘱読書指導研究発表会
平成18年4月
さいたま市教育委員会研究推進校委嘱(読書指導)
平成18年2月
自主研究発表会(国語)
平成17年4月
さいたま市心の教育モデル校事業指定校
平成15年10月
馬宮東小学校百三十周年記念式典を挙行する。
平成15年9月
西側校舎の外壁塗装
平成15年4月
鈴木薫、第41代校長に補せられる。
平成14年4月
校舎西側の通学路が一部スクールゾーンとなる。
平成13年5月
大宮・浦和・与野の3市合併に伴い、さいたま市立馬宮東小学校と改称する。
平成12年12月
体育館通路陸橋屋根完成
平成12年4月
町田二郎、第40代校長に補せられる。
平成10年9月
体育館屋根付通路完成
平成9年4月
吉澤敏昭、第39代校長に補せられる。
平成8年5月
大宮市教育委員会研究委嘱(同和教育)
平成6年11月
大宮市教育委員会委嘱図工科研究発表
平成6年4月
加藤俊明、第38代校長に補せられる。
平成5年10月
馬宮東小学校百二十周年記念式典を挙行する。
平成5年2月
埼玉県美術教育連盟委嘱研究発表
平成3年11月
プレイルーム内装工事完成
平成3年10月
防球ネット延長工事完成
平成3年4月
岡田弘子、第37代校長に補せられる。
平成3年2月
校庭整備工事完成、新固定施設設置、砂場改装(生活科砂場含む)
平成元年5月
歩道橋・体育館通路舗装・防球ネット延長工事完成
昭和時代
昭和63年4月
照林和男、第36代校長に補せられる。
昭和63年3月
体育館完成
昭和60年7月
小鳥小屋全面改築
昭和58年4月
服部馨、第35代校長に補せられる。
昭和55年5月
給食室(新築)完成、プレハブ13教室完成
昭和54年12月
小鳥小屋、体育舎、西側フェンス、西門完成
昭和53年4月
新井文雄、第34代校長に補せられる。
昭和52年9月
プール完成
昭和52年4月
加藤富士弥、第33代校長に補せられる。
昭和51年3月
馬宮東小学校創立百周年「記念誌」を発行する。
昭和49年4月
黒須保、第32代校長に補せられる。
昭和48年11月
馬宮東小学校から栄小学校が移転する。
昭和48年6月
馬宮東小学校百周年記念式典を挙行する。
昭和48年4月
馬宮東小学校から栄小学校が分離し、馬宮東小学校の一部を使用して開校する。
昭和48年3月
鉄筋校舎が完成する。(第1期)
昭和46年4月
田口晃、第31代校長に補せられる。
昭和43年4月
横田小弥太、第30代校長に補せられる。
昭和42年4月
安藤正隆、第29代校長に補せられる。
昭和40年4月
金井塚隆治、第28代校長に補せられる。
昭和37年10月
給食室落成、学校給食を開始する。
昭和36年9月
校歌を制定する。
昭和36年9月
校章を改制し、校旗を制定する。
昭和36年4月
松岡好男、第27代校長に補せられる。
昭和34年4月
大島貞雄、第26代校長に補せられる。
昭和31年4月
島村正夫、第25代校長に補せられる。
昭和30年1月
大宮市と合併し、大宮市立馬宮東小学校と改称する。
昭和28年
馬宮東小学校五十周年記念式典及び記念運動会を挙行する。
昭和27年4月
富永専蔵、第24代校長に補せられる。
昭和22年4月
馬宮東小学校と改称する。
昭和22年3月
柏房吉、第23代校長に補せられる。
昭和21年3月
有山信三、第22代校長に補せられる。
昭和18年3月
長島治、第21代校長に補せられる。
昭和16年4月
馬宮東国民学校と改称する。
昭和15年3月
松本濱治、第20代校長に補せられる。
昭和15年1月
校旗を制定する。
昭和13年3月
中條泰作、第19代校長に補せられる。
昭和9年3月
岡野克、第18代校長に補せられる。
昭和7年10月
校庭拡張(現在の運動場となる)
大正時代
大正14年4月
校舎増築、校地拡張
大正10年12月
大久保三五郎、第17代校長に補せられる。
大正3年9月
湯澤荘作、第16代校長に補せられる。
明治時代
明治43年4月
小川保平、第15代校長に補せられる。
明治42年7月
梅沢福三郎、第14代校長に補せられる。
明治42年4月
武井多三郎、第13代校長に補せられる。
明治41年4月
湯澤荘作、第12代校長に補せられる。
明治36年9月
道祖土寅吉、第11代校長に補せられる。
明治35年4月
現在地に校舎を新築し、高等科を併置(4月15日落成式、その日を開校記念日とする)
明治35年3月
小熊喜三郎、第10代校長に補せられる。
明治31年6月
小島芳蔵、第9代校長に補せられる。
明治25年12月
元興文学校を分離して第一馬宮尋常小学校と改称する。
明治23年8月
伊藤岩太郎、第8代校長に補せられる。
明治19年12月
平野甚三、第7代校長に補せられる。
明治19年3月
並木定吉、第6代校長に補せられる。
明治19年3月
大字飯田新田の興文学校と合併して、同所を分教場とする。
明治17年12月
岩上忍太郎、第5代校長に補せられる。
明治16年11月
長田春造、第4代校長に補せられる。
明治13年1月
市橋秀元、第3代校長に補せられる。
明治10年1月
河村一介、第2代校長に補せられる。
明治6年6月
臼杵修甫、初代校長に補せられる。
明治6年6月
西遊馬村、二ツ宮村、土屋村の三村組合にて高城寺の一部を仮校舎として小学校を創設、遊馬学校と名づける。