2020年のある日、地元にある神社の前を車で通った時に、「何とかしてあげたら」の妻からの一言。
一瞬「いつか誰かがやるだろう」と思いましたが「いや、誰も何もしなかったから、この状態が続いている。今自分が動かなければ、このままになってしまう。何とかしなければ!」と思ったことが、きっかけでした。
この窮状を訴えていこうと、まずは現状の写真を撮りました。(2021年4月8日撮影)
法務局へ登記簿を取りに行き、代表役員である町の神社へ写真をもって相談に行きました。
この神社の歴史を知るために、図書館の郷土史コーナーを訪ねましたが、残念ながら神社どころか、地元の歴史の記録がほぼ残っていませんでした。
地域のの方々に賛同を得ようと、写真をもってまわりましたが、「朽ちるまでそのままにしておけば」とか、「代わりに石碑でも立てておけば」など、建替えどころか、神社そのものに興味を示す方が少なかったのです。
そんな中、お祭りなどでお世話になっている、地元の自動車整備工場の社長に相談したところ、「俺も前から気になっていた。一緒に何とかしよう!」と、賛同いただき、2021年秋「厳島神社桜井水神宮を守る会」を結成しました。
地元の寄り合いで、「厳島神社桜井水神宮を守る会」が承認され、会長(地元の社長)との活動がスタートしました。
まずは危険回避のために、社殿を解体することが決まり、以前から神社を気にかけてくれていた、2つ隣りの市の宮大工さんに解体をお願いすることになりました。
数年前に神社のことを心配し、近所の方に名刺を置いて行ってくれていたので、その名刺を頼って、その後も相談することになります。
たまたま、当時(今も続いている)市の歴史を調査している教育委員会の方と
知り合い、神社の話をしたところ、「是非、社殿の調査をさせてほしい」と、
郷土資料館の方や彫師の方も一緒に、社殿・彫刻について調べてくださいました。
中でも、建物の調査を担当していた建築士さんが、なんと「解体前に社殿の姿を残しておきたい」と、ご厚意で図面を作成してくださったのです!
みなさまのおかげで、この神社の社殿・彫刻が、いかに素晴らしいものか知ることができました。
でも、いったい、いつ誰が建てたのか・・・
嚴島神社のことをますます知りたくなりました。
いつ、誰が、何のために建てたのか・・・。
神社仏閣には『棟札(むなふだ)』があり、それらが記載されていることを宮司さんから聞きました。
(棟札?・・・あっ!もしかしてこれかな?)
社殿正面に飾られていた、一見何も書かれていない木の板を手に取って見ると、中央にかすかに『天』の文字が。
(きっと、他にも何か書かれていたはず・・・)
ワラをもつかむ思いで、ご縁のある博物館の知り合いにお願いし、棟札を見てもらったところ、どういうわけか、全体的に表面を削ったような跡があり、肉眼では、書かれているであろう文字の解読はできませんでした。
(やっぱりだめか・・・でも何とかして、 何が書かれていたか知りたい・・・)
あきらめかけたその時、(そうだ!)刑事ドラマなどで出てくる、赤外線みたいな光を当てて、見えない文字が見えるシーンが、頭に浮かびました。
博物館の知り合いに無理を言ってお願いし、近隣の施設で使用している赤外線カメラで撮影していただくことができました。
すると・・・
肉眼では見えなかった『奉再造立水神宮為天下泰平』『上総國望陀郡桜井村』の文字、
そしてなんと!『願主』『林播磨守(はやしはりまのかみ)』の文字が読み取れたのです。
『林播磨守』は、江戸時代末期にこの地を治めていた『請西藩』の初代藩主で、戊辰戦争で義を尽くし『最後の大名』として有名な『林忠崇』の父親です。
当時の藩主が自らこの神社に思いを寄せていたことを知り、建て替えに向けた気持ちを新たにすることができました。
さまざまな方のご協力のおかげで、少しずつこの神社の歴史がわかっていきました。
さまざまな方のご協力によって、神社の歴史が少しずつわかってきました。
江戸時代末期に、当時の藩主からも応援していただき、『天下泰平』を祈願して、
再造立された厳島神社。
その後、明治時代の2度の大きな火事にも負けず、今日まで150年以上。
(本当に長い間、見守ってくれていたんだな・・)
そんな厳島神社も2019年の台風19号により、屋根ははがれ、建物の損傷も大きく、
危険回避のため、2021年11月、地元の話し合いにより、ついに解体することが決まりました。
2022年3月、社殿を解体する前に、神さま(御霊(みたま))を一時的に移す
『遷宮式(せんぐうしき)』を代表役員である地元神社の宮司にお願いしました。
新しい社殿が完成するまでの間、御霊(みたま)は地元神社へ、預かっていただくことになりました。(今まで長い間、本当にありがとうございました)
感謝の気持ちがこみあげてきました。
(いよいよ、解体か・・・)
ついに、その時がせまってきました。
いよいよその時が・・・。
社殿解体前の、神さまの引っ越し(遷宮式(せんぐうしき))も終わり、いよいよ解体の日が来ました。
社殿に付いている彫刻について、「何か発見があるかもしれない」と、解体の日時を聞いた、郷土資料館の研究員さんと社寺彫刻の彫工さんが、わざわざ来てくださいました。
取り外された彫刻の写真を撮り、じっくりと見ていただくと・・、彫刻の裏から「日本ばし後藤」の文字が発見され、江戸時代後期の『後藤系』の彫刻であることが判明しました。
研究員の方は、後日写真とともに検証結果をわざわざ送ってくださいました。
社殿について、以前、建築士の方が手書きで残してくださいましたので、(社殿も彫刻も、本当に素晴らしいものなんだな・・)と改めて感じ、解体されたさみしさとともに、(これらの彫刻を飾るにふさわしい新社殿を建てなければ)と改めて思いました。
新しい社殿を建築するために、応援していただく活動「奉賛活動」が始まります。
我々がやらなければ、誰がやる!さぁ!スタートです!
神社の建替えを決め、社殿の解体を行った2022年4月に、宮大工さんから見積書をいただきました。
金額があまりに大きくて、実感がわかず、現実のこととして考えられませんでした。
とにかく寄付金を集めるしかない!身を引き締め、「奉賛会(ほうさんかい)」の
活動が始まり、今日に至ります。(現在、目標額の3分の1)
2022年の6月には、完成予想図(パース)と設計図が届き、将来のイメージに、気持ちが高まりました。
「社殿の建築」と「彫刻の保全」という2つを活動の柱として、100年先の未来にも存続するようにがんばろう!会長と二人、決心を固めました。
この後湧き上がる、奉賛活動の「3つ目の柱」には、この時、まだ気が付いていませんでした。
老朽化した『厳島神社』の建替えを決意し、さまざまな方々のおかげで、社殿や彫刻の価値と、歴史を知ることができました。
危険を避けるために、2022年4月に社殿を解体しました。
翌5月、地元(N地区)の話し合いで、『趣意書』(説明チラシ)を作成し、これから、建替えのための寄付を、地域全体(10地区の連合会)にお願いしていくことが、決まりました。いよいよ寄付集めです!
2022年6月の連合会の定例会議にて、会長たちへ説明しました。
すると、神社の場所すらわからない方もおり、さらには「N地区の神社ではないのか。N地区でなんとかすべきだ。」とか「困った時だけ頼ってくるな。」など、厳しい声も聞きました。
協力してくれる方ばかりではないと、覚悟はしていましたが、N地区だけでは、どうにもならないのは事実。(困った・・・)(こんな立派な神社が、N地区だけの
神社のはずはない・・)
そんなとき、昭和初期の『古地図』が職場に貼ってあったことを思い出し、その地図の中に、われわれの地域を探してみると・・・、ありました!
浜に沿った漁村に『厳島神社』の文字が!
(かつて漁師町だったこの地域全体にとっての神社だった、はず・・・)
自分に言い聞かせ、仕事が終わってからパソコンの前に張り付き、無我夢中で『趣意書』の作成にはげみました。
そんな時、以前解体前に、ご厚意であのすばらしい図面を作成してくださった建築士さんからメールがあり、「地域の歴史と、この神社が素晴らしかったので、建築の専門誌に掲載しました。」とのこと!
拝読すると、我々の活動のことや、地域の方のお話などが、写真・図面とともに、
魅力的に紹介していただいていました!
(すごい!こんなに立派な雑誌に載せてくださるなんて!)
(捨てる神あれば拾う神あり・・・ありがたい(涙))
応援してくださる建築士の方から、思いがけずパワーをいただき、(これからも、負けずに活動していこう)と、再び決意を固めました。
2022年4月の社殿解体後、反対意見もある中、建築士さんからパワーをいただき作成にはげんだ、寄付集めのための説明チラシ(『奉賛趣意書』)が、おかげさまで2022年9月に完成しました!
連合会長にお願いし、地域全体に回覧板で回覧することができ、いよいよ2年間の奉賛活動(寄付集め)がスタート!
当初は「N地区でなんとかしろ」など厳しい声も聞きましたが、地域に回覧してしばらくすると、なんと「昔、漁師をしていたから」「浜には、お世話になったから」
「子どものころ水神様でよく遊んだ」などの声とともに、N地区以外の方からご寄付をいただくことが、徐々に増えていきました。(ありがたい・・)
涙がでるほどうれしかったです。
(回覧して良かった・・・。やっぱり地域全体の神社なんだ!)
地域のみなさまへの感謝の気持ちが大きくなりました。
(もっとたくさんの人に知ってもらいたい)
そう思っていたところ、10月に、地域の文化祭が公民館で開催されることを知りました。
「是非PRさせて欲しい。」と公民館にお願いしましたが、「ふだん活動しているサークルが展示するから」と、断られてしまいました。思えば当然です。
しかし、まもなく公民館から連絡があり、「都合が悪く、出展できなくなったサークルがあり、急遽『会議室』が空いてしまう。出展されますか?」(神さまありがとう!)
0.2秒で「はいっ!よろしくお願いします!」
出展させていただくこととなり、我々の活動の内容と、自慢の龍の彫刻を展示いたしました。
コロナ禍中の活動自粛の影響が消えなかったこともあり、来場者は決して多くはなかったですが、広く地域の方に、我々の活動と素晴らしい彫刻を見ていただくことが
できました。(さぁ!もっともっとこの神社の素晴らしさを知ってもらおう!)
感謝とともに、決意を新たにしました
2022年9月から、寄付集めのための説明チラシ(『趣意書』)を回覧板で地域全体に回覧したところ、N地区以外の方からもご寄付をいただき、感動しました。
2022年10月には、公民館で開催された地域の文化祭において我々の活動の内容と、自慢の龍の彫刻を展示し、広く地域の方に見ていただくことができました。
(もっともっと我々の活動と、この神社の素晴らしさを知ってもらいたい。活動を広げるにはどうしたら良いのだろう)、と悩んでいたところ、
ご縁のあった広告宣伝企業の社長さまから、市が運営する木更津市ビジネスサポートセンター「らづ-Biz」 https://razu-biz.jp/ をご紹介いただきました。
(経営や起業でもないのに。申し訳ない・・・)と恐縮していたところ、「お二人がしていることにはストーリーがある。ビジネスではありませんが、立派な起業ですよ。」と励ましていただきました。本当に嬉しかったです。
2023年9月に思い切って「らづ-Biz」https://razu-biz.jp/ に登録させていただきました。
まさか今日に至るまで、毎月、会場の商工会議所へ通うこととなるとは、夢にも思いませんでした。
「らづ-Biz」https://razu-biz.jp/ の相談においては、我々では想像もできないようなアイデアや、時には厳しくご指導いただくこともありますが、様々なアドバイスのおかげで、少しずつ活動内容が広がっていきました。
社長からいただいたご縁と、「らづ-Biz」の相談員のお2人に心より感謝いたします。
そんな中、2023年10月、寄付集めから1年が経過し、ご寄付いただいたみなさまのためにも、少しずつ前に進めていこう、ということで、「地鎮祭」を開催することになりました。
2023年9月に登録させていただいた「ビジネスサポートセンター」からは、
おかげさまで、毎月様々なアドバイスをいただくこととなりました。
そんな中、寄付集めから1年が経過し、ご寄付いただいたみなさまのためにも、
少しずつ前に進めていこう、ということで、2023年10月に「地鎮祭(じちんさい)」を
開催することにしました。
祭事は、代表役員になっている地元神社の宮司さんにお願いしました。
(これからの工事の無事と安全を、地域をあげて祈願できたら・・・)
そこで、工事関係者である宮大工さん、石材屋さん、水道屋さんのほか、地域の代表者や、N地区の町内会長もお招きしました。みなさまお忙しい中ご参加いただき、
大変ありがたかったです。
祝詞(のりと)をあげていただき、会長が鍬入れ(くわいれ)を行い、最後には、御神酒(おみき)を全員でいただき工事の無事を祈りました。
参加いただいたみなさまには、地元の和菓子屋さんに頼んでおいた、縁起物の「お赤飯」と「紅白まんじゅう」をお渡しし、引き続きのご支援をお願いいたしました。
地元の新聞社さんにお声がけしたところ、取材をしてくださり、翌日の地域新聞に掲載していただきました。(やっぱり地域密着が大切だな。ありがたいなー。)
寄付金が目標額に達していない中、地鎮祭を開催したことは、大きなプレッシャーとなりましたが、(もっともっと多くの方々に知っていただき、奉賛活動(寄付集め)を頑張ろう!)と心に誓いました。
当神社は、江戸時代末期に藩主の庇護のもと再建築され、その後、明治時代の2回の大火事にも、燃えなかったというエピソードがあります
月一でサポートセンターに通い3回目の2023年11月、スタッフの方から思いもよらぬアイデアをいただきました。
「火災を止めた=火(赤)を止めた =無くなることを止める⇒『負けない神社』としてはどうでしょうか?」
(負けない神社~!?)
我々は顔を見合わせ、しばらくアタマが混乱していました。
「神社は、運気上昇や必勝を祈願するところですよね?それを『負け』だなんて・・・」すると、スタッフの方は、
「運気上昇や、必勝祈願の神社は一般的です。この神社を他と差別化し、100年先でも
大切にされるための、意味付けが必要です。もし「日本で唯一」であれば、それだけで価値があります。
祭神イツクシマヒメは財運の神なので、「火災除け」のみならず、転じて「合格祈願」「入社試験」「闘病」などにおいて『負けない』というご利益があるのではないでしょうか」
(なるほど~!!)
アタマがカチカチな我々には、当初なかなか受け入れることができませんでした
が、その後、相談の回を重ね、サポートセンターのみなさまのおかげで、
(「勝つ」ことよりも、むしろ「負けない」ことの大切さに目を向けてみよう!『負けない神社』で行こう!)
スイッチが入りました!
厳島神社は、地元では「水神様(すいじんさま)」と呼ばれる、海の守り神です。
当神社自慢の彫刻の「龍」は、水に潜み空を飛んで雨を降らす、水の化身です。
(この彫刻を、もっとたくさんの方に、知っていただきたいなぁ)
写真を撮り、データとして掲載することはできますが、今後いろいろな方法で活用ことを考えると「デザイン化」できたら、と考えました
そんな時、(彫刻の輪郭を書き写して「デザイン化」すれば良いのではないか?)
(写真の上にペラペラの紙を置き、透けた龍をなぞる・・・そうだ!トレーシングペーパーだ!)
早速ネットショップで、A3サイズの『トレーシングペーパー』を購入しました。
(輪郭をなぞるとはいえ、大変な作業だな・・・そうだ!
絵を書くことが得意な息子(19歳)に、手伝ってもらおう!)
もちろんタダでは動かないだろうと思ったたので、『ご褒美』もエサにしてお願いしてみると、最初は「めんどくせー」と言っていましたが、彼の「美術への情熱」と『謝礼金』のチカラで、引き受けてくれ、2023年12月に仕上げてくれました!
その「龍の輪郭デザイン」を活用し、『奉賛趣意書』のVer.2を作成いたしました。
息子のおかげさま!ありがとう~!
家族の協力が得られたことに改めて感謝し、これからもがんばろうと、パワーをもらいました。
息子の協力も得た『奉賛趣意書Ver.2』で(我々の活動をもっとたくさんの方に
知っていただきたい)と思いながら、「サポートセンター」からの月一で5回目の
アドバイスをいただいていた2024年2月「地元FM局に出演してみませんか?」というお誘いをいただきました。
(ラジオなんか出たこともないし、緊張するな・・・)一瞬戸惑いましたが、我々だけでは発想もできないチャンスに、「是非!よろしくお願いします!」とお願いを
いたしました。
「商工会議所ニュース」というコーナーで、会員でもある我々のこの活動をお話する
機会をいただけることになりました。
2024年3月14日、ドキドキしながら駅前の放送局にお邪魔しました。
事前にチェックをしていただいた『原稿』を目の前に置き、緊張しましたが、いつの間にか始まった、司会の方の自然で優しく美しいインタビューに対して、『原稿』を見ながらマイクに向かってお話しさせていただきました。
「はい!終了で~す。修正が必要な部分はこちらで編集しますので。」思わず「えっ?今ので終わり!?」と二人で顔を見合わせてしまいました。
あまりに自然に会話が進んでいたので、てっきりリハーサルだと思っていましたので、
びっくりです。
どうやら、「これから本番です」と、かしこまって収録をすると、緊張して自然なおしゃべりができないことが多いために、リハーサルと思わせてリラックスした状態で収録するという、プロならではの「ご配慮」だったようです。
かずさFM局の素敵な司会の方と、今回貴重な機会をいただいたセンター長に感謝し、(これからもがんばろう)と、パワーをいただいた一日でした。
実際の音声はコチラ
2024年4月、埼玉県の彫刻工房の社長さんから「奉賛活動に協力したい」と連絡をいただきました。
この社長さんは、前年の6月に、私が毎週参加しているセミナーの講師として
初めてお会いしました。
その際に、『奉賛趣意書』をお渡し、我々の思いを伝えていたのです。
(我々の活動をずっと気にしてくれていたんだ・・・)
連絡いただいたことに、感謝で一杯になりました。
この工房は、日光東照宮の大修理にも携わったことのある、社寺仏閣の彫刻を専門とする工房です。さらには、「地域で危機的な状況にある神社を何とかしたい、誇るべき日本を未来に伝えていきたい」と、『神社復興プロジェクト』を立ち上げていました。
(我々と同じような思いで活動されているんだ・・・)(まずは直接お会いし、われわれの活動の現状をご説明しアドバイスをいただこう!)日程を調整し、2024年6月、龍の彫刻とともに、埼玉県の工房にお邪魔いたしました。
すばらしい環境、凛とした作業場、作品の数々に感動し、(いつかお世話になりたい)と思いました。2024年12月には、龍の彫刻の修復を依頼することになります。
(すばらしいご縁と、様々な方々に支えていただいている)
心から感謝の気持ちが湧いてきました。
活動を始めて1年半、これまで『奉賛趣意書(ほうさんしゅいしょ)』を地域に回覧したり、地元企業への訪問など、いわゆる「アナログ」で寄付を募ってきました。
寄付金の集まり具合に不安を感じている中、いよいよ(地域「外」へ向けても、PRしていかなければいけないな・・・)と焦りを感じ始めましたが、「クラウドファンディング」をイメージする程度でした。
2024年4月の、サポートセンター8回目の相談の際に、「クラウドファンディングよりも
広く浅くお願いができる『寄付型プラットフォーム』というものがありますよ。」
というアドバイスをいただきました。
早速調べててみると、『Syncable(シンカブル)』を見つけました。
我々のような「非営利団体」と「個人」をつないで、支援するITサービスのようです。(よし!まずは登録してみよう!)
2024年5月、登録申し込みをしました。
登録団体が約3,000以上あるとのことなので、気軽に参加できると思っていました。
が、登録のためには「審査」が必要とのこと。(さすが、しっかりとした会社だな~)と、感心しているのもつかの間、それからの事務手続きが大変でした。
6月に「機能説明会」「相談会」にズームで参加
7月に「規約」「活動実績」「会計報告」などの
書類をメールで提出
(仕事・地元祭礼準備などをしながら、これらをまとめるのに結構苦労しました(涙))
8月1日に審査が完了し、8月2日に晴れて『Syncable』の登録団体として公開されました!
(これで、全国のみなさまに我々の活動を知っていただくことができる!)
おかげさまで、新たな活動のフィールドをいただきました。感謝!
活動を開始して1年が経過し、2023年10月に地鎮祭を開催しました。
ご寄付いただいたみなさまに、目に見える形で安心していただきたい。
そんな思いで奉賛活動(寄付集め)と並行して、基礎工事をスタートすることにしました。
お願いしたのは、地元で古くから親しまれている石材店さんです。
2023年11月に現地で調査を行い、翌月のロープ張りの後、基礎工事を着工いただきました。(いよいよ本当に作っていくんだな。もう引き返せないぞ・・・)
奉賛活動は、毎月のサポートセンター相談に加え、地域のみなさまへの趣意書(Ver.2)の作成、FM局出演、企業訪問、Syncableへの団体登録など、継続していました。
寄付金は、少しずつ集まってきたものの、目標額には到底たどり着かない状態でした。
そんな中、2024年6月に、すばらしい土台が完成しました!
(この上に社殿を建築したい。でも、寄付金はまだまだ足らない。いつになったら、宮大工さんに建築を依頼することができるのだろうか・・・)
嬉しさ半面、設定した2年間の奉賛期間の終了まで、あとわずかとなり、心はプレッシャーで押しつぶされそうになっていきました。
立派な土台だけが静かにたたずむ寂しい風景が、しばらく続くことになります。
土台は完成しましたが、目標までの道のりは長く、社殿の建築に入れない状態が続きました。月イチのサポートセンターの相談が頼りでした。
そもそも『神社』のあり方とは何だろう・・・この神社の「負けない」の意味とは・・・真剣に考えるきっかけをいただきました。
頭の固い私は、(負けないとは、あきらめず、くじけず、「自分に負けない」ことなのでは・・・)そして、神社は今に感謝し、「祈る場所」だと考えました。
「祈る」とは何なのか・・私が毎週通う勉強会の団体が、
「奇跡を起こした祈り」の共通項としてあげた4つに、感銘を受けました。
其の1「誓いを立てること」
其の2「真心からの願い」
其の3「深い愛情に裏打ちされている」
其の4「感謝が祈りの中心にあること」
ある時、サポートセンターの方が、PR用のサンプル画像を参考までに、作成してくださいました。
あまりのファッショナブルさに、会長と顔を見合わせ、関心してしまいました。
その画像に刺激を受け、フリー素材で『祈り』に関する画像を集めまくり、「負けない神社」のPRイメージ画像を作成してみました。
でも、そんなことを夢中でやり続けても、役立てるすべもなく、寄付金が集まる訳でもありません。
でも、何かしていないと、不安でしょうがない自分がいました。
(いつかこの画像が役立つときも来るだろう・・)
答えが見えず、もがき続ける日々がつづきました。
何より大切なのは、この神社再興のための『ストーリー』でした。
土台のみがたたずむ状態が数か月続き、「いつになったら社殿ができるんだ?」
という声も、地元で聞こえ始めました。
月イチのサポートセンター相談会で、奉賛活動の内容検討を重ねていますが、
思い通りにいかず、途方に暮れていた2024年11月、宮大工さんから連絡がありました。
「社殿建築を着工しましょう。このまま手をこまねいていても、資材の値段も上がる一方ですし、地域にとって祈る場所は大切です。」
『御成敗式目』の第一条を引用して、『祈る』ことの大切さを熱い言葉で伝えてくださった宮大工さんの心意気に感動しました。
(いつまでもこのままにするわけにはいかない。でもこの先どこまで奉賛活動を進めることができるか不安・・)大きな決断を迫られました。
「やるしかない!お願いします!」会長と覚悟を決めた瞬間でした。
事前に準備を重ねていただき、2024年12月4日、ついに、現地で社殿建築に着工しました!
一方、奉賛活動も同時並行で、今まで以上に力を入れていかなければ・・・
何となく、胸を締め付けられるような気分でした。
2024年12月に始まった社殿の建築は、宮大工さんのおかげで順調にすすみました。
毎朝、様子を見に行くたびに、ケヤキの香りに癒され、着々と出来上がる社殿に緊張しました。
素人ながら、屋根板を支える「垂木(たるき)」の数の多さとその美しさに感動しました。
(100年先も祈りの場として愛される神社を建築したい・・・)
宮大工さんの言葉のとおり、この社殿建築にかけた強い思いとこだわりを感じました。
木材の施工は2025年1月に概ね終了し、いよいよ、時間と手間のかかる、屋根の「銅板葺き」が始まります。
2025年1月に屋根の「銅板葺き」が始まりました。宮大工さんが「これからが大変」と言う手間のかかる仕事です。信頼されている板金職人さんに託されました。
現場に行くといつも板金職人さんは、カバーに覆われた屋根の上で、ただひたすらに、もくもくと仕事をされていました。
終盤に近づき、カバーが外されたとき、まさに龍のウロコのような、流線形の
屋根の美しさに感動しました。
後日、通常よりも厚みのある銅板を使用した、ということを知り、この社殿にかけるこだわりを感じました。
飾りとして「厳島神社」の神紋(しんもん)とともに、桜井にちなんだ「桜」の意匠を付けていただくという、粋な計らいもありました。
2025年3月、屋根の銅板葺きも終了し、いよいよ社殿が完成に近づきました。
宮大工さん、板金職人さんの、数々のこだわり、思いの詰まった、黄金色に輝く銅板葺き屋根の素晴らしい社殿です!感謝でいっぱいです。
龍の彫刻の修理保全と設置、土台や玉垣工事、外構工事など、まだまだやらなければならないことがこれからも続きますが、「祈り」の柱である社殿が完成し、大きな力をいただきました。
ご支援をいただいたみなさま、本当にありがとうございました!
しかしながら、目標額にはほど遠く、奉賛活動(寄付集め)はまだまだ続きます。
「歴史の伝承」という新たな目的も加わり、ストーリーづくりに力を入れている中、2025年5月、埼玉県の彫刻工房から、「龍の彫刻の修繕が終了しました」との連絡をいただきました。
2025年5月、代表役員の宮司さんから、「例の広島厳島神社からのお御霊(みたま)
分けについて、当初からだいぶ期間も経過している。正式にお願いをするなら、そろそろ広島にお伝えしないといけないが、どうしますか?」
4年前に奉賛会を立ち上げた頃、宮司さんから「神社が無事に完成したら、広島の厳島神社から、お御霊を分けていただけるかもしれませんよ。」と言われ、
(夢みたいな話だな~。できたらいいな~。)
くらいにしか考えていなかったことが、今、いよいよ現実の話として持ち上がりました。(今、この流れで行くしかない・・・)
「是非、お願いします!」会長と二人で、即答しました。
正式に依頼してからは、宮司さんのおかげでどんどん話が進み、2025年9月28日(日)に広島厳島神社にて正式にお御霊を分けていただく式を開催していただくこととなりました!せっかくの機会ということで、ツアーを組むことにもなりました。
その後宮大工さんにお願いし、広島からお迎えするお御霊をお納めするための
「奥の院」を作っていただきました。
お世話になった教育委員会の方に広島行きの話をしたところ、「厳島神社には、司馬江漢の『木更津の浦』という巨大な絵が奉納されているから、是非、見てくるとよいですよ」と言われました。
初めて聞く名前でしたので、調べてみると、「江戸のダ・ビンチ」と言われた、
江戸時代中期の天才画家でした。
司馬江漢が、なぜ木更津に来たのか?その絵画が、なぜ広島厳島神社に奉納されたのか?謎は深まるばかりですが、ワクワクは止まりません。
社殿の建設・彫刻の修復・歴史の伝承という3つの柱に、「世界遺産からの御分霊」という、大きなパワーをいただくこととなり、さらには、司馬江漢の絵画の登場!
すべてがご縁でつながっている!本当にありがたい、と、つくづく実感する出来事でした 。
埼玉県の彫刻工房さんに、三体の『龍の彫刻』を取りに行きました。
昨年12月に修理と保全処理をお願いしましたので、約半年ぶりの再会です。
会長と二人で、ドキドキワクワクしながら、泊りがけで埼玉県に向かいました。
工房に到着し彫刻を拝見すると、まるで生きているかのような迫力に驚きました。
無かったはずの龍のひげが付いていたのです。(ひげ一つでこんなにも雰囲気が変わるんだな)欠けていた爪は、魔法のように再生されていました。
保全のための塗装も、彫刻の立体感を出すように工夫されていて、まさに美術品のようです。
あらためて、彫刻工房さんとのご縁と技術に感謝でいっぱいになりました。
帰って来て宮大工さんへ連絡し、社殿に無事設置いただきした。
最大の装飾が加わり、いよいよ社殿が仕上がりました。
一方、以前から検討していた、「クラウドファンディング」に向け、ストーリーづくりのために月イチでサポートセンターへ相談していましたが、サポートスタッフさんから、(もっと頻繁に相談に来てみてはいかがですか?)と、ご提案いただきました。
ん~・・・一瞬戸惑いましたが、今しかない!(わかりました!)
覚悟を決め、毎週通ってストーリーづくりに集中することにしました!
そんな中、当神社の代表役員である地元の宮司さんから、「広島厳島神社の件で相談がある」と、連絡がありました。
毎月相談しているサポートセンターから、大切なことは、この神社の活動の「柱」
「ストーリー」づくりです、と以前から言われていました。
2025年2月、私なりにストーリーを作成し、棟札に書かれていた「林忠旭」を記述したところ、「歴史的な人物が登場するとインパクトがあります。より深い記述を加えてみたらどうですか?」と、ストーリーづくりのアドバイスをいただきました。
それまで、社殿や龍の彫刻の素晴らしさ、祈りの大切さばかりを強調し、寄付を募っていましたが、「焦る気持ちはわかるが、寄付の話よりもまずはストーリーづくりが大切」「”モノ”に”ヒト”が加わることで、人は、更に興味を惹かれる」サポートスタッフの言葉に共感し、それから、最後の大名・林忠崇の深掘りを始めました。
NHK歴史秘話ヒストリアの「最後の大名時代を駆ける」や、かつて発行された「オリジナル切手」を見返したり、地元の林家研究の第一人者に資料をいただいたりしました。
忠崇の父忠旭の名前は棟札に記載されていましたが、(何とか、林忠崇と厳島神社の接点はないものかな・・・)祈る気持ちを強く持ちました。
2025年4月、地元の図書館で、関連資料がないか調べました。郷土コーナーで見つけた古書の中に、何と、慶応4年4月3日、林忠崇が戊辰戦争に出陣した、まさにその日に、厳島神社の前を通っていた記述を発見したのです!
(あの写真の若武者が、馬に乗って、遊撃隊※とともに、この道を通ったんだな・・・)
目の前の道路を眺めながら、想像力が膨らみました。
※遊撃隊とは、林忠崇を戊辰戦争に誘った幕府軍の部隊で、池波正太郎さんが小説にしています。
戊辰戦争後、忠崇は、様々な職業を経て時代にあらがいながらも、最後の大名として92歳まで生き抜きました。
この厳島神社が再建された幕末期に、地元ではあまり知らされていない、「胸躍る歴史」があったことを再認識することができました。
そして、負けない神社再興の目的・ストーリーに、社殿の建築、彫刻の保存に加え、3つ目の「歴史の伝承」が加わりました!
サポートセンターからのアドバイスで進めていた、社殿の建設・彫刻の修復・歴史の伝承の3つを柱とした「ストーリーづくり」も、おかげさまで内容が充実してきました。
世界遺産の広島厳島神社からの御分霊式(おみたま分け)が9月28日に決まりましたので、竣工式(おみたま入れ)を神社の祭礼日である10月15日に行うことに決定しました。
一方で、奉賛活動(寄付集め)は足踏み状態のため、資金が不足していることに変わりありません。
いよいよ、広く地域外の多くの方へ、この活動を知っていただく時が来ました!
既に登録している「シンカブル」の中に、キャンペーンというクラウドファンディング機能があり、それを活用することにしました。
サポートセンターのおかげでようやくカタチになった苦労の結晶である「ストーリー」を基に、2025年5月13日キャンペーンに登録しました!
クラウドファンディングなんて、生まれて初めてのことで、ボタンを押すときはとても緊張しました。(どうしたら盛り上げることができるのだろう・・・)
わからないことばかりでした。
それから毎週、サポートセンターで内容を共有し、アドバイスをいただきその場で修正を繰り返し、おかげさまで、仕上がりました〜!!
クラウドファンディングの期間は、8月8日~9月15日です!
キャンペーン開始までに、一人でも多くの方に知っていただけるよう、チラシの作成やSNSを通じた広報活動をしてまいります。
クラウドファンディングが始まる8月8日までに、一人でも多くの方に知って欲しいと思い、周知用チラシを作成することにしました。
いつものように、「ワード」を使って文字や画像を張り付けて作成しようと思っていたところ、たまたま家族が作ったチラシを見て、どんなツールを使ったのか尋ねたたところ、「Canva」とのこと。(ワードではこんなに素敵に作れないな~)と思うほど、とてもカッコ良かったため、「Canva」を使いチラシをつくることにしました。
思考錯誤して、何とか見本のシートに、クラウドファンディングの中の文字と画像を張り付け、ひとまずチラシの形にはなりました。
毎週通う「サポートセンター」に見てもらったところ、「せっかくですから、100%を目指しましょう!」と、具体的な修正・追加のアドバイスをいただきました。
ありがたいことですが、週末に地元の祭礼を控え、毎晩遅くまでお囃子の練習をしていたため、「今は時間がないので、修正・追加処理は、祭礼が終わってからで・・・」と後回しにしようとしたところ、
「逆に祭礼で人が集まる絶好の機会じゃないですか!お祭りの時に、仕上げたチラシをみなさんに見てもらいましょう!我々もお手伝いします。」
「ん~・・・、わかりました!!」やるしかない!お囃子の練習後、私の分担する箇所を追加・修正し、翌日サポートセンターの方に仕上げていただき、なんとかお祭り前日に掲示することができました。
(あの時逃げずに、作ることにしてよかった・・・。)
日にちのない中、手伝ってくださった、サポートセンターの方々に、感謝でいっぱいです。
昨日、ネットで印刷の注文をしたので、これから、たくさんの方に配っていきます!
お世話になっている、木更津市ビジネスサポートセンター「らづ-Biz」 https://razu-biz.jp/ のおかげさまで、木更津エリアコンシェルジュ『きさこんぷらす』に掲載いただきました。感謝!!
8月8日(金)にスタートした「負けない神社」再建プロジェクト。第2週目が終了し、みなさまのおかげで【24名】の方から【527,772円】のご支援をいたたきました。「SNSは苦手」と直接ご寄付いただいた方もいます😭
残りの期間、最後の一歩に向けて、一緒に頑張りたいと思いますま!我々は負けません!重ねて、いつもご支援本当にありがとうございます!
⸻
⛩️地域の神社が、これからも“心の拠り所”として愛され続けていくために。
どうか、みなさまのお力をお貸しください。
そして「負けない神社」の未来を、共につくっていただけたら幸いです。
地域の『新千葉新聞』さんに掲載いただきました!
関わっていただいている方々のおかげ様です。本当にありがとうございます!
応援の輪が、広がってまいりました。
残りの期間、最後の一歩に向けて、一緒に頑張りたいと思います!我々は負けません!重ねて、いつもご支援本当にありがとうございます!
⛩️地域の神社が、これからも“心の拠り所”として、愛され続けていくために。
どうか、みなさまのお力をお貸しください。
そして「負けない神社」の未来を、共につくっていただけたら幸いです。
8月8日(金)スタートしたクラウドファンディング。明日から折り返し地点を迎えます。
8/26 7:00時点で、【31名】の方から、計585,418円】のご寄付をいただいております。
さらに、銀行振込や現金書留などによる直接のご寄付を含めると、総勢【37名】、合計額は755,418円】となりました。
すでにご支援くださったみなさま、情報の拡散に協力いたすでにご支援くださったみなさま、情報の拡散に協力いただいたみなさま、本当にありがとうございます!
折り返し時点の目標金額は、150万円(全体の50%)と、目標どおりではありませんが、ご支援や拡散などのご協力のおかげで、確実に目標に近づいています。
ぜひ引き続きの応援をよろしくお願いいたします。
残りの期間、最後の一歩に向けて、一緒に頑張りたいと思います!
我々は負けません!重ねて、いつもご支援本当にありがとうございます!
⸻
⛩️地域の神社が、これからも“心の拠り所”として愛され続けていくために。
どうか、みなさまのお力をお貸しください。そして「負けない神社」の未来を、共につくっていただけたら幸いです 。
先日、近隣の老舗企業の経営者の方が、先代社長とご一緒に神社へお越しくださり、
心のこもったご寄付を賜りました。
その場でいただいたお言葉がとても印象的でした。
「“負けない神社”という言葉に強く共感しました。私の業界も今とても厳しい状況にあります。それでも負けたくない。だから頑張っている。自分の気持ちと重なって、
ぜひ応援したいと思いました。」
「負けない神社」の“負けない”という思いが、こうして地域の方々の心に響き、力となっていることに、改めてこの活動の意味を感じました。
応援してくださる皆さまのお気持ちに支えられながら、再建の歩みを一歩ずつ進めています。本当にありがとうございます。
クラウドファンディングはあと1週間でゴール!
おかげさまで9/8 19:00時点で、【44名】の方から、【1,275,141円】のご寄付をいただいております。さらに、銀行振込や現金書留などによる直接のご寄付を含めると、総勢【63名】、合計額は【1,760,141円】という大きなご支援をいただき、目標の58.7%に到達しました!心より感謝申し上げます。
今回は、地元でカフェを営むオーナー様より、玉垣奉納 のかたちでご支援をいただきました。
「地域に根ざすお店として、この神社の再建に関わりたい」とのお声もいただき、私たちも胸が熱くなっています。
玉垣は、未来に残るかたちで神社に名を刻むことができる特別なご寄付です。
企業様、店舗様、そして個人の方にもお選びいただけます。
クラウドファンディングは 残り1週間。
最後のスパートに向けて、皆さまの応援とご協力をどうぞよろしくお願いいたします。
クラウドファンディングが昨日終了いたしました。
おかげさまで【55名】の方から、【1,609,568円】のご寄付をいただきました!
さらに、銀行振込や現金書留などによる直接のご寄付を含めると、期間中、総勢【75名】、合計額は【2,054,568円】という大きなご支援をいただきました!
心より感謝申し上げます。
残念ながら目標額には届きませんでしたが、今回多くの方からのご支援・応援に感動・感激し、勇気付けられ、励まされ、大きな力をいただきました。
完成まで、引き続き玉垣を中心とした奉賛活動は続けてまいります。
よろしければ、お知り合いへのお声がけなど、引き続きのお力添えを、何とぞお願い申し上げます。
昨日無事に、広島厳島神社から御分霊(ごぶんれい)を頂戴してまいりました!
代表役員である宮司さんのご縁で、畏れ多くも世界遺産からお御霊(みたま)を分けていただくという、貴重な経験をさせていただきました。
みなさまからのクラウドファンディング等のご支援のおかげです。心より感謝いたします。
10月7日(火)18時に御霊入れ式(遷座祭)
10月15日(水)15時にはご来賓をお迎えし、竣工式を開催いたします。
「上総國の厳島神社」「負けない神社」として、末永く親しんでいただけるよう頑張ります!
一方で、玉垣が設置できていないなど、資金不足のため未だ完成には至っておりません。引き続き奉賛活動は続けてまいります。
よろしければ、お知り合いへのお声がけなど、お力添えを何とぞお願い申し上げます。
⸻
⛩️地域の神社が、これからも“心の拠り所”として愛され続けていくために。
みなさまのお力をお貸しください。そして「負けない神社」の未来を、共につくっていただけたら幸いです。
昨日10月7日(火)、「遷座祭」を開催し、広島厳島神社からの御分霊(ごぶんれい)を
新社殿に無事にお迎えすることができました。
18時、日没後の薄暗い中、関係者と地元町内会役員により、厳粛な雰囲気の中執り行われました。
代表役員である宮司さんのおかげさまで、このたび世界遺産からお御霊(みたま)を分けていただくという、大変貴重なご縁をいただきました。
また、みなさまからのクラウドファンディング等ご支援のおかげです。心より感謝いたします。
10月15日(水)15時にはご来賓をお迎えし、竣工式を開催いたします。
「上総國の厳島神社」「負けない神社」として、末永く親しんでいただけるよう頑張ります!
一方で、玉垣が設置できていないなど、資金不足のため未だ完成には至っておりません。引き続き奉賛活動は続けてまいります。
イオンモール駐車場で開催された、アクアコインまつりに出店させていただきました!
あいにくの冷たい雨空でしたが、さすが水神さま(^^)
おかげさまで、当日限定の「ご朱印」が大人気でした!(恐るべしご朱印ブーム)
その他、旧社殿の御木が奉入されたお守りや、手ぬぐいも好評(^^)
(ご寄付いただいた方への返礼品として近々お送りさせていただきます!)
15日(水)15時にはご来賓をお迎えし、竣工式を開催いたします。
「上総國の厳島神社」「負けない神社」として、末永く親しんでいただけるよう頑張ります!
おかげさまで昨日、竣工式を開催しました!10月15日(水)は厳島神社桜井水神宮の祭礼日。
先月広島の世界遺産厳島神社から御分霊を拝戴し、10月7日にお御霊をお迎えして、このたびの竣工式に至ります。
天候が心配されましたが、さすが水神さま。良いあんばいの霧雨の中、多くの方がお祝いに駆けつけてくださいました。
令和4年から奉賛活動を開始し、今夏クラウドファンディングにもチャレンジするなど、多くの方のご支援により竣工式を迎える事ができました。
心より感謝いたします。
しかし、恥ずかしながら資金不足により社殿を囲む玉垣の建築が未着手で完成には至っておりません。
この竣工式を機になお一層努力し、奉賛活動を続けてまいります。
「上総國の厳島神社」「負けない神社」として、
末永く親しんでいただけるよう頑張ります!
よろしければ、お知り合いへのお声がけなど、
お力添えを何とぞお願い申し上げます。
お世話になっている、木更津市ビジネスサポートセンター「らづ-Biz」 https://razu-biz.jp/ のおかげさまで、『チイコミ!』に掲載いただきました。感謝!!
10月15日(水)の竣工式の後、町内会への回覧など、玉垣建築に向け、
資金不足を補うための活動を続けています。
そんな中、竣工式に参列いただいた方から
「頑張って!」と、なんと50万円のご寄付をいただきました!!!(玉垣刻銘)
加えて「会社名を玉垣に刻銘したい」と、既にご寄付いただいている会社様から、
追加で30万円のご寄付をいただきました!
思いは伝わるんだな〜・・・
本当にありがたく感激しました!
まだまだ資金は不足しており、引き続き、奉賛活動を続けてまいります。
(先日、境内看板の裏に、文字表示を掲示しました!)
「世界遺産のご分霊」「上総國の厳島神社」「負けない神社」として、
末永く親しんでいただけるよう頑張ります!
寄付はまだまだ受けております(^^)
よろしければ、お知り合いへのお声がけなど、お力添えを何とぞお願い申し上げます。
⛩️地域の神社が、これからも “心の拠り所”として愛され続けていくために。
大変遅くなりました🙇♀️
これまでご寄付をいただいたみなさまへ、
お礼の品(お守り・手ぬぐい)をご郵送、お届けしております。
改めまして心より感謝申し上げます。
お守りには旧社殿の木材が入っており、
"負けない神社"のご利益を祈念しております。
これからも奉賛活動は継続してまいります。
引き続きのご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
⛩️地域の神社が、これからも “心の拠り所”として愛され続けていくために。
広島県出身のご近所のご夫婦から、
鈴と鈴緒をご奉納(ご寄付)いただき、本日設置いたしました!
世界遺産のご分霊として相応しいとても大きくて立派な鈴と鈴緒です。
ご夫婦の嚴島神社への強い思いとご縁のおかげさまです。心より感謝申し上げます。
みなさまお近くにお越しの際は、是非ご参拝にお立ち寄りくださいませ。
これからも、玉垣の設置にむけて、奉賛活動は継続してくださいまいります。
みなさま、引き続きのご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
⛩️地域の神社が、これからも “心の拠り所”として愛され続けていくために。