研究室の建築実践
Realization of Architecture by Kikuma.W-Labo.
Realization of Architecture by Kikuma.W-Labo.
環境建築デザイン研究室では、折に触れて、構想した建築を、セルフビルドで実現させてきました。渡辺菊眞が設計した作品でも、その施工では、メンバーとともに合理的かつ安全な施工のあり方を議論します。現場に身を置くことでメンバーも様々な工夫やアイデアが浮かびます。それらを吟味して採用し、身体を通して建築が実現していく様に立ち会います。この機会はとても貴重であり、その後の建築作品作りの進化と深化へと繋がっていきます。
2016年〜2017年 遷座完了は2024年
高知県香美市土佐山田町の中後入集落の氏神さま、金峯神社の再建プロジェクトです。この集落は1960年代から過疎化が始まり、2010年次には、限界を超えて消滅寸前の集落になってしまいました。その過程で、金峯神社も激しく社殿が傷み、お祭りも長く開催されていませんでした。ただし、村に住んでいた方々は比較的近隣に移り住んでおられたので、神社の存続を強く願っておられました。資金、立地等の極めて厳しい状況の中、社殿を本殿と拝殿に分割して、小型化し、拝殿を里に移したことで人が集いやすくなり、お祭りも復活しました。江戸時代まで坐王権現を名乗っていたこの神社は修験の聖山御在所山をまっすぐ向いています。再建した社殿も、この向きを踏襲しました。
もともとの金峯神社の社殿は、山中にありました。ここは急峻な道を辿らねばならず、高齢の村人のみなさんが集まるのは困難です。そこで人がお祈りする場所である拝殿は、里の畑地に移しました。ここまでは、そんなに坂道もないので、みなさんが集まりやすい長閑な場所です。ここで長らく途絶えていたお祭りも開催されます。2016年に復活し、以後、毎年、開催されています。拝殿には御神体はなく、聖山御在所山を向く遥拝の社殿です。ちなみに本殿はもとの社地に鎮座していて、拝殿と同じように御在所山を向いています。
里の拝殿、森の本殿ともに、セルフビルドで建築しました。渡辺菊眞研究室のメンバーによる建設です。構造を工事用足場の単管、屋根や床を杉の垂木と板とし、屋根防水にはポリカーボーネートを使用しました。単管とポリカはホームセンターで、材木は大工さんの紹介で材木屋さんで購入しました。資材搬送は手運び往復(1.5km)を何度も繰り返しました。どちらの社殿も、のべ10名、2週間ほどで作り上げました。拝殿と本殿は立地環境も違います。その都度、何が最適かを議論して、安全を心がけて建設を進めました。
2024年
高知県吾川郡いの町。ここでは中心市街地活性化に向けて、日々協議会が議論を重ねて、数々の社会実験も行っています。クリスマスマーケットは、JR伊野駅前にある、利用率の低い駐輪場の空間活用を見据えて、クリスマスイベントを協議会が仕掛けました。渡辺菊眞研究室はその空間設計と空間演出を担当しました。町が所持する電飾、譲り受けた不織布、町の園児が作ったランプシェードを素材にして、幻想的なクリスマスの夜を現出しました。デモンストレーションを大学で幾度となくおこない、検討と改良を重ねて本番に挑みました。来客は1200人。大いに賑わいました。
2013年,2014年,2016年
渡辺菊眞設計の「天翔ける方舟」の建設と改修を、研究室メンバーがサポートしました。2013年には建設サポートとして2名の女子メンバーが、2014年には部分改修のために2名のメンバーが、2016年には大規模改修のサポートのために5名のメンバーが参加しました。2016年の改修では竹の切り出しから参加し、建築を組み上げる素材の立地環境を含めて包括的に学びました。
2012年ー2013年
渡辺菊眞設計の「産泥神社」の建設と解体を、研究室メンバーがサポートしました。この神社は新潟市水と土の芸術祭2012に渡辺菊眞が招待作家として設計建設したものです。2012年には10日間、近隣の廃保育園で寝泊りして建設をサポートし、建設に参加した市民のみなさんに土嚢建築の作り方を伝達する役もにないました。また、2013年の解体も行いました。建設と解体の双方を体験することで「もの」としての建築のことを、より深く知ることができました。
2015年ー2021年
渡辺菊眞設計の「地空庵」の建設を研究室メンバーが遂行しました。この建築は実験建築として高知市のお寺境内をお借りして建設しました。週末、大学から高知市まで通って少しずつ建設を進めました。屋根下の空間や造作などは、渡辺菊眞とメンバーで意見交換を重ねて作り上げました。夕日を拝む阿弥陀堂であるとともに、修行僧の仮の宿でもあります。