水月の由来

水月の道場に坐し、空華(くうげ) の萬行(まんぎょう)を修す


「水月」とは、水面に映る月のことです。 光り輝く月に憧れ天空に手を差し伸べても、決して月には届きません。 しかし身をかがめて、両手で清らかな水を掬い取れば、ただ一掬いの水の中で も、そこにはちゃんと清らかな月が光るのです。 掌中のひと掬いの水は無心だからこそ、天空の月を曇りなく映すことが出来る のです。

大切なことは身をかがめて、ささやかであっても私たちに出来ることを真摯に 行うこと。 「水月の道場に坐す」とは、傲ることなく、高ぶることなく、求めることなく、 ただ無心に端座することを言うのです。

ただひたすらに坐姿するほど美しいものはありません。 月とは澄み切った無心の心の象徴なのです。


命を預かる台所を神聖な場所として、清らかな心で、日々真摯に命と向き合う ことをお伝えしている、水月の想いを、この禅語に重ね、教室の名前とさせて 頂きました。