戦国時代の武将たちの古文書を紐解くことで、真実の戦国武将の想いや感情などを知る事ができます。
特に大友宗麟や立花城主戸次道雪、柳川城主立花宗茂から出された書状から、筑前における戦の状況や思惑などをを知ることができ、当時の時代背景がより現実な情景が浮かびます。
84、米多比弾正忠宛の大友義鎮書状
83、野坂・赤馬の御代官職を指し下す
82、野坂・赤馬両庄の代官に補任される
81、岩門庄久辺野の戦い
80、宗像氏貞宛の大友宗麟書状
79、顕如、一揆関与せず
78、宗像氏貞宛の大友家加判衆連署書状
77、幕府老中連署書状写(向山誠斎丙午雑記)
76、江戸幕府老中連署奉書
75、立花城家督相続之事
74、鍋島斎正書状(一筆致啓上候)
73、大府宣(御牧郡二嶋内妙楽寺住持職)
72、大内義隆の大府宣(快舜に所有権を承認)
71、大内義隆の大府宣(米多比の土地を承認)
70、米多比新蔵人宛て道雪・統虎連署状(宗像表)
69、米多比新蔵人宛て道雪・統虎連署状(小金原合戦)
68、米多比新蔵人宛て道雪・統虎連署状(潤野原合戦)
67、福間浦助三郎船、御米福岡永蔵まで積む
66、麻生次郎左衛門宛判物写し
65、立花城攻略で戸次、吉弘に宛た宗麟書状
64、立花左近宛の江戸幕府老中連署奉書
63、米多比弾正忠宛の大友義鎮書状
62、去年道雪出張以来
61、潤野原合戦で源介に感状
60、通行手形と須恵眼科医
59、黒田三左衛門一任の書状
58、山中鹿之助書状
57、潤野原合戦での活躍を賞賛する
56、鎮久まいる申し給え
55、米多比五郎次郎宛の戸次道雪感状
54、米多比五郎次郎宛の戸次鑑連
53、今度於江上表、其方被官新海市允
52、今度江上表一戦之刻
51、江州大津城攻之刻
50、前二十五高鳥居取崩し
49、浅井長政、最後の書状
48、織田信長書状
47、黒田官兵衛に豊前六郡を与える
46、宗像鎮氏の預け状(米多比文書)
45、米多比弾正忠宛臼杵鑑速(米多比文書)
44、立花鑑載の謀叛、是非に及ばず(米多比文書)
43、近年その堺、乱忩以来(米多比文書)
42、去月、黒木表に至り(薦野文書)
41、立花表に於いて聢滞在(薦野文書)
40、筑後表越山之条
39、前廿五高鳥居取崩之刻
38、愚老登場以来(薦野文書)
37、道雪が米多比弾介の娘に送った書状(米多比善治文書)
36、徳川家康、黒田長政に礼状をだす
35、江戸幕府年寄連署奉書(黒田文書)
34、米多比五郎次郎宛の大友義統の感状(米多比文書)
33、生松原合戦における義統の感状(米多比文書)
32、穂波郡へ発向する(米多比文書)
31、「耳川の戦」に憤を感じる(米多比文書)
30、道雪の死去後、新蔵人宛ての感状(米多比文書)
29、生松原合戦後の感状(薦野文書)
28、潤野原合戦(薦野文書)
27、黒木表の戦での感状(薦野文書)
26、道雪の死去を知らせる(薦野文書)
25、徳川家康、黒田長政宛に礼状を出す(黒田文書)
24、薦野増時、城納米を報告(堤伝収集文書)
23、誾千代に立花城督を譲る譲り状(立花文書)
22、立花城家督の事(立花文書)
21、戸次鎮連宛て家督相続の件(立花文書)
20、江戸幕府老中連署奉書(立花文書)
19、米多比新蔵人宛て義統の書状(米多比文書)
18、米多比新蔵人(鎮久)宛て大友義統(米多比文書)
17、米多比新蔵人に五十町を預ける(米多比文書)
16、米多比鎮久の祖父・父の両代が戦死(米多比文書)
15、高鳥居城を攻め取崩す(薦野文書)
14、岩門庄久辺野合戦(薦野文書)
13、清水原の戦い(薦野文書)
12、西牟田要害の戦い(薦野文書)
11、豊臣秀吉の宗像才鶴宛て朱印状(肥後宗像家文書)
10、宗像才鶴宛ての秀吉文書(肥後宗像家文書)
9、豊臣秀吉知行充行朱印状(黒田文書)
8、仁戸田拾町を米多比次郎左衛門尉に知行(米多比文書)
7、米多比次郎左衛門尉、再度領地を請求(米多比文書)
6、米多比次郎左衛門尉宛の加判衆書状(米多比文書)
5、大友義鑑、米多比氏の土地を返還する(米多比文書)
4、近年その堺、忩劇以来(薦野文書)
3、鳥飼村の戦い(薦野文書)
2、薦野増時に寿庵から申し伝える(薦野文書)
1、大宰府観世音寺口の戦い(薦野文書)