かつて、核家族のワンオペ育児で強い孤独と行き詰まり感を抱えている人がいました。
その人がとうとう“要支援”になってしばらくしたころ、ある支援者が「なんでもタイム」と称して、「ただ支援者が来てくれる時間」を確保してくれました。その時間はその人にとって「大人と話せる貴重な時間」になったり、「どこから手をつけてよいか分からなくなってしまった家事が少し片づく時間」になったりしました。やることがありすぎて立ち尽くしてしまうようなときでも、「あと△日したら〇〇さんが来てくれる」ことが小さな希望、よりどころになりました。とても有難い手助けでした。
その後、紆余曲折を経て、さまざまな“要支援のラベル”が増えると、さらに支援の手が増えて、以前のように追いつめられることが少なくなっていきました。
しかし、それら支援の有難みを実感するほどに、“要支援のラベル”が貼られなければ支援者と繋がることができなかった事実を歯がゆく思うようになります。
市や国の予算には限りがあるので、公的な助けはどうしても、「障害者」「ひとり親」「高齢者」「要介護」「子育て家庭」など、“ラベル”が付いた人を優先する部分があると思います。
でも本当は、そういうラベルがない人にも(=どんな人にも)支援の手がある社会のほうがいい。そうすることで、“要支援”のラベル状態にならなくて済む人も出てくるかもしれない。
まちの助けあい こびとサポートは、そんな想いで立ち上げられています。