フクシマモチについて


縄文時代に初めて日本に渡ってきた稲はモチで、そのモチはフクシマモチの様な赤米の系統でした。人々はそのモチを煮て、あるいは蒸して食べていたようです。(餅ではなく)

ジャポニカ米ではなく「ジャヴァニカ種」(長桿、芒有り、分蘖が少ない)のモチ米です。


写真の通り、フクシマモチは外見的にもそれらの古代米的要素を強く引き継ぎます。

どのくらい古いのか、まったくわからないのですが、例えば「亀の尾」が民間育種で誕生した明治30年には既に日本からの輸出品目の記録の中に長野県北安曇郡で産出される「福島糯」の記録があります。1700年初頭江戸時代の信州に於ける文献にもその名前が出てきます。


明治の中頃までは全国各地で在来種の稲もかなり育てられていた事がわかりますが、現代ではフクシマモチやシラケモチ以外では僕は聞いたことがありません。(旭や亀の尾、なども明治に入ってからの民間育種です。)


北安曇郡山間地の在来種だったフクシマモチが、いまも長野県各地の山奥で細々と生き残っている理由のひとつに、昭和10年から30年までは長野県の奨励品種で登録されたこと、もあると思います。なぜ奨励品種となったか、それはおそらく非常に寒さや病気に強いからでしょうか。昭和30年に奨励品種を外れたあとも細々と作り継がれた理由は「美味しいから」ということだと思います。

奨励品種でもないのにこんなに長く作られて来た品種もやはりかなり珍しいです。


収穫量は低い品種なのですが、ただ「美味しいから」、そして「寒さに強い」という理由で2010年頃までは信州山奥で作りつがれてきたのです。