第三話

第一章 出会い編

「うわすっげーな、お城みたいだ」

「ほんと。こんなに近くにこんなに立派なスタジアムがあるだなんて、私知らなかった…… 」

巨大なビューダースタジアムを外から見上げ、その迫力にカイとこまこが思わず声をあげた。ファンファーレの鳴り響くそこはビュンの家の最寄り駅から二駅離れた場所にあり、決して遠くはないが子供だけではそう行かない場所だ。小学生の限られたお小遣いには、その月額の半分を持っていかれる電車賃はあまりにもお財布に厳しい。

他のビュンブレード用スタジアムとは違って独特の形をしているこのビューダーズスタジアムは、濃灰色をした大きな石が無数に積み重なって出来た石造りの壁を持ち、中世ヨーロッパのお城のようで重厚感に溢れている。通路の採光のためか、壁には等間隔に縦長の穴が開けられており、そこから開会を今か今かと待ち望む会場内の、ボルテージの上がったトランペットやドラムの音が漏れ聞こえてきた。

「僕も……噂には聞いてましたが、初めて来ました……」

つい最近完成したこのスタジアムに、当然十分な関心を持っていたイトは、想像していたよりもずっと立派なそれにほうっとため息をついた。家がお金持ちのイトには、他三人とは異なって電車賃はそう大きな問題ではなかったが、しかしそこで行われる公式戦のチケットがずっと取れなかったがために来る機会が無かったのだ。いつもビュン達について歩いている、小学四年生になったばかりの彼には、大きな用事もないのに一人で電車に乗って二駅離れた見知らぬこの地に来るのは、少しハードルが高かった。

こまこが肩掛けポーチから白いケータイ電話を取り出して増田に手渡し、ビュン達と並んで記念写真を撮る。一緒にフレームに入りたがった増田が、黒い革の鞄から自撮り棒を取り出し子どもたちをドン引きさせたが、最終的には五人全員の携帯のカメラに皆で揃って収まった。

「今日はエキシビジョンマッチのためにチケットが必要だけど、平常時には誰でも自由に出入りしてバトルが出来るようになっている」

見上げるような入り口の門の前には、エキシビジョンマッチを観にやってきた観客たちが大勢列を作って並んでいた。係のお兄さんお姉さんが細いロープを張って溢れる観客達の誘導に声を上げていたが、増田はそちらには向かわず、入場ゲートから少し離れた場所にある、何の列もない小さな扉の前で足を止めた。五人分のチケットを、立っていたお姉さんに手渡しながら、扉を指さし振り返る。

「秘密の入り口だ」

スタジアムにはしゃぐ子どもたちの様子に気を取り直したのか、増田は先ほどまでとは打って変わって大人の威厳を取り戻しつつあった。人一人入れるだけの目立たない色の小さな扉のあるそこは、どうやら特別なチケットのための入り口のようだった。何故持っているのか分からない銀色のラベルの入ったチケットのその半券と人数分のパンフレットを受け取った増田は、子どもたちにそれぞれプログラム表を手渡して、扉の向こうへと促す。

観客の入場が半分程済んだ会場内は、飲み物や食べ物の屋台が石畳の通路に所狭しと並び、夏祭りの時の神社の境内のようだった。ただ神社のお祭りとは違って、ヨーヨー釣りや金魚すくいの代わりに、ビュンブレード関連の部品やステッカーのクジなんどがズラリと置かれている。増田が近くの屋台でコップに入ったジュースを一杯ずつ買い、子どもたちに手渡してくれた。ビュンにとっては本日二杯目のオレンジジュースだ。皆でお礼を言ってずずっと喉を潤す。小さめの四角い氷が、ビュンの舌でじゅっと溶けた。

外から見た時にはヨーロッパのお城のようだとおもったが、長方形であるそこは、しかしお城やビュンブレードのスタジアムというよりも教科書で見た古代の闘技場コロッセオのようにも見えた。噂によると、とある財閥のお金持ちが社会貢献のためにと私財を投じて作ったものらしいが、どいういう意図からこのデザインが採用されたのかは分からない。大勢の人で賑わう通路をもみくちゃになりながらくぐり抜け、ジュースをこぼさないよう慎重に座席へと向かう。

増田が取っていた席は何と一列目で、しかも中央部からも近い場所にあった。五席分がきちんと、飛び飛びにもならずに横一列に確保されており、向こう側の壁に設置された巨大なスクリーンも、フィールド中心部に置かれたバトルの特設リングも何の邪魔もなく綺麗に見える。ビュンは、今更ながら増田の正体を疑った。

「ちゃお! 聞きたいことがあるなら教えてあげるよー」

向かって左からカイ、イト、こまこ、ビュン、増田の順で席につくと、すぐ後ろに座っていた少年がつんつんと背中をつついて声をかけてきた。大きなポップコーンのカップを抱え込むように持つ彼は同じ年頃で、ビュンよりひとつ歳上の中学生なのだと言った。その少年はにこやかな笑顔でとっつきやすいが、羽付きの帽子にボーイスカウトのような格好をしていて、今日はいろんなやつに会うと思う。

「君は?」

「皆には教える君って呼ばれてる。君たちもそう呼んでくれたら良いよ」

どうやらこのエキシビジョンマッチに関して詳しいらしい彼は、あちらこちらの公式戦を訪れては、ビュン達のような観戦初心者を見付け、色々と説明して回っているらしい。

「これから誰の試合があるか知ってるかい? 名実共にキングオブビューダー! 四天王が一人、朱雀の神宮寺竜だよ!」

教える君が、教えたい欲求を我慢できないようで興奮気味に叫んだ。そういえば、増田からは上位ビューダー達のバトルがあると聞いただけで、誰と誰のバトルが始まるのかをビュンは全く知らなかった。手の中でくしゃくしゃになってしまったパンフレットは、もう見る気にもならない。

「一人だけじゃないだろ?」

「もちろん彼だけじゃなく他にも十一人のトップビュダーが集まっているけど……一番の注目株はやっぱり彼だね」

「四天王って?」

立ち上がって会場内の写真を撮っていたこまこが、珍しく興味を持ったように尋ねた。ケータイ電話をポーチにしまい、クルッと後ろを振り返ってはシートに座って足を組む。

「四天王というのは『常に圧倒的な強さを誇り、ビューダーの頂点へと達した者達の総称』です。朱雀、白虎、玄武の3人が居るんですよー」

知識自慢のイトが得意気に答えた。

「あら? 四天王だったら四人居るんじゃないの?」

「本当なら青龍も居るはずなんだけどね、今は何故か欠番なのさ。昔は居たらしいけど……」

教える君は、以前四天王の青龍について調べたのだが何一つ情報をみつけられなかったのだと教えてくれた。名前も、年齢も、性別も、いつ青龍になったのかも、いついなくなったのかも、何もかも全部! イトが同意し、横でうんうんと頷いた。

「僕が思うに、ビュンブレードには秘められた過去がある!」

「どんな?」

「分からないから秘められてるんだよ!」

カイが肩を透かして大げさにこけてみせた。

「他の四天王は?」

そんなに不思議だと、ビュンにも少し興味がわいてくる。ビュンは毎日、カイやイト、学校のクラスメートとビュンブレードのバトルで遊んではいたが、ビュンブレードに関する知識は殆どイトにおまかせで、あまり積極的に聞いたり調べたりすることもなかった。でも、四天王って何か、カッコいいじゃん。

「玄武は神宮寺竜の妹の神宮寺あやめ。白虎は……ころころ名前と姿が変わるから、正体がまるで分からない謎の男」

「謎の男?」

増田が隣でピクッと指を動かした。

「顔が、分からないんだよ。たまに公式戦に出てはバトルしてるんだけど、いつも帽子とかマスクとか被ってて顔がよく見えないんだ」

教える君が説明すると、イトがオレンジジュースを飲み干して頷いた。

「イイ歳したおじさんだという噂は耳にしたことがありますよ!」

全員分の空の紙コップを回収し、近くのごみ箱に投げ入れる。今まで黙って聞いていた増田が声を上げた。

「若い、イケメンのお兄さんだと聞いたことはないか?」

「知らないです」

なぜか増田ががくりと肩を下ろす。

「何それ、結局神宮寺兄妹しか分かんないんだけど……四天王って本当に凄いの?」

こまこがうんざりしたように尋ねると、教える君が首をすくめた。

「大体、四天王だなんて、どんな制度で誰が任命したのかもさっぱり分からないんだ、口コミみたいにその称号だけが一人歩きして」

「へえ?」

「でも、全員が全員、途方も無い実力を持っているって事だけは疑いようのない事実だよ、実力だけは折り紙付き。四天王のビュンブレードには、それぞれの冠の名を持つ伝説の四聖獣が宿っているんだとも言われている」

「伝説の四聖獣……」

ビュンは春休みにじーちゃん家で見た青い神獣を思い出した。竜神丸のことをばーちゃんから聞いたあと、皆で晩ごはんを囲みながら蔵でのあの不思議な体験の話をしたら、ママには白昼夢を見たと馬鹿にされ、パパには羨ましいと頭を撫でられ、ばーちゃんはご先祖様の守り神だろうと教えてくれた。ビュンは良い星の下に生まれているんだろうから、頭を上げて、太陽の下でまっすぐに育たなければならないよ、と説教受けたのは記憶に新しい。あれが守り神なのか白昼夢だったのかはビュンには分からないが、鋭く恐ろしい牙を持つのに不思議と怖くなかったあの青い龍は、とても綺麗な瑠璃色の鱗を持っていて、また会えたら素敵だとビュンは思う。四天王達はあの龍のように綺麗な聖獣と友達なのだろうか。

「あ、始まります!」

イトがフィールドのリングを指差して叫んだ。皆がそちらに目を向けると、西部劇に出てくるカウボーイのような格好をしたお姉さんがマイクを持って出てくる所だった。リングのロープをくぐり、定位置についた彼女はクイッとハットを引き上げると、マイクを左手に持ち替えて右の拳を突き上げる。会場内のファンファーレが鳴り止み、それに合わせて観客たちも静かになった。パーンというシンバルの音に合わせて、レディース・アンド・ジェントルメンとお決まりの文句が会場内に響き渡った。

「お待たせしましたエキシビジョンマッチ! 今日の司会進行も私、DJ桔子が務めさせて頂きます! 皆さん、準備はよろしいですかー?」

わああと、会場内に割れるような歓声が広がった。教える君と話をしている間に観客の入場が完了していたようで、広いスタジアムの客席は満員御礼、早々に売り切れたとのイトの証言の通り、空席は見当たらなかった。

「あれ誰?」

尋ねるこまこにイトが、ビューダーあるところに桔子ありの触れ込みの、名物司会者ですと答えているのが聞こえる。

「盛ーり上がってるねー! それじゃぁいっくよー!」

入場行進のマーチが流れ、名物司会者DJ桔子が、リング内へと入場してくるビューダーを次々と紹介していく。有名なビューダー達らしく、どの選手が紹介されても客席からは大きな歓声が上がり、時折、その中にイトの声も混ざったが、ビューダーに興味のないビュンには誰一人分からなかった。合計十人の選手がリングの上にあがり、DJの開始の合図と共に次々とバトルが開始されていく。イトとカイが拳を握って声援を送っているが、ビュンにはどうにも熱中することができないでいた。目の前で繰り広げられるハイレベルなバトルは、確かに面白くも楽しくもあるのだが、それだけだ。全てのバトルが終了し、選手達も控室の方へと戻っていくのをビュンは上の空に眺めていた。

「それではいよいよお待ちかね、本日のラストバトルの選手を紹介するよー!」

十人の選手の退場が終わり、DJ桔子が声を上げると、会場が今まで以上に騒がしくなった。イトが興奮に身を乗り出しているのが視界の端に見えた。

「青コーナー、前大会では惜しくも優勝を逃した、まさに青天の霹靂期待のホープ! 冴木アズマ君!」

鋭い眼つきに長い髪を揺らし、風を切って歩く彼は、濃紺の布地に金色の龍の刺繍の入った中国の伝統服長袍を着ている。年の頃はビュンたちより二つ上。彼は、神宮寺竜が出場を辞退していた前大会に飛び込みで現れ破竹の勢いで勝ち進み、決勝戦で四天王の白虎に敗れたのだと、教える君が教えてくれた。怖そうな人ね、こまこが言った。

「赤コーナー、我らが四天王が一人、朱雀の称号を持ち自他共認める最強のキングオブビューダー! 神宮寺竜君!」

待ちわびた会場からこの日一番の歓声と指笛が鳴り響き、会場内は暫く音の洪水に包まれる。そのブレードに聖獣朱雀を宿すという四天王が一人神宮寺竜は、学校の制服らしい少しくすんだ鶯色の学ランを着て、顔色も変えずに平然とリングに上がった。恐らくビュンと同い年ぐらいだろう。

「す、すごい熱気ね、今までと全然違う」

会場の雰囲気に気圧されたように、こまこが声を上げた。

「滅多に見られない、竜のバトルだからな」

DJが、器用にマイクをクルクルと回すと、左の拳を突き上げる。

「それじゃぁ皆、準備は良い!? 」

冴木アズマと神宮寺竜がリングの上で向かい合い、それぞれ構えの姿勢を取る。

「スリー、ツー、ワン、スピーン、アクショーーーーン!!!」

DJの掛け声に合わせてバトルが始まり、二人のビュンブレードが同時に、今までに見たことのない勢いで回り始めた。

「すっ凄い……! これが四天王朱雀、神宮寺竜のバトル……!」

スマートフォンのカメラを構え、バトルの様子をしっかりと動画に収めながら、イトが興奮に上ずった声を上げた。この動画も家に持ち帰り、イト自慢のマイパソコンで丹念に分析するのだろう。強い相手を見た夜に、徹夜でパソコンに向かってそのワザとビュンブレードを解析し、次の日濃い隈をかかえて学校に登校してくるのはイトには慣れたことだった。その分析の結果の長い説明に、放課後のカイとビュンが付き合わされるのも毎度のことだ。

「うわー、俺達とは比べ物になんないな」

「ちょっとドキドキするかも……」

二人のバトルは一進一退で進み、どちらが勝ってもおかしくないように思ったが、竜の方が勝つだろう、とビュンは何故か確信していた。あの綺麗な朱色のビュンブレード、あの力強い輝きには、あの時の龍のような朱雀が宿っているのだろうか。

「アズマもいい動きはしているが……竜は、四天王の中でも一際高い実力を誇る。攻撃力・防御力・持久力、どれを取っても桁外れだ」

増田の解説に、カイとイトがガクガク首を揺らして同意した。

「いやほんとすっげーな、レベルが違うぜ。こんなん俺無理だわ。な、ビュン?」

「……ビュン?」

これが、本当のビュンブレードのバトルなのだ。初めて竜のバトルを見たビュンは、一気にビュンブレードの世界へと引き込まれていくのを感じた。力とか技だけじゃない、持久力でもない――なんて綺麗なんだろう、ビュンは思った。美しい翼に、優雅な長い尻尾を持って飛ぶ伝説の鳥。一瞬、竜の後ろに、燃えるような茜色の不死鳥が見えた気がして、ビュンは目をまばたいた。竜にはあの綺麗な生き物が見えているのだろうか。

カイたちの会話に加わらず、食い入るように竜とそのブレードを見つめるビュン。その目には、今までには見られなかった鋭く光る闘志があった。真剣なその横顔に、満足そうに頷く増田。やはり、声をかけて正解だった。

増田は、くすぶっているというビュンの事を恋人から聞かされた時のことを思い出し、彼女のその心中を思った。――もっと楽しめるはずなの、と彼女は言っていた。少し変わったブレードを大切に持つその少年は、力があるのにそれに気付かず、日々を悶々と過ごしているのだと。もっと楽しませてあげたい、その大事なブレードで力いっぱい、と――その時の彼女の横顔は、今の自分と同じなのだろう。

彼女の願いが達成される未来を感じ、増田はそっと薬指の指輪を撫でた。

「……増田のおじさん、一つ、お願いがあるんだ」

ビュンが、竜から目をそらさずに、引き絞ったような声を出した。

「何だい? ビュン君」

「あ、決着がつきそうですよ!」

少しよそ見をしている間にフィールドでは動きがああったようで、イトが興奮したようにカイの肩を揺らし、拳をぎゅっと握って叫んだ。疲れたアズマが少しぐらついた隙を突き、竜が大技を放つ。

「おーっと! ここで、竜選手の必殺回技『鳳凰天翔』炸裂! 決まったーっ!!」

会場内に歓声が響き、色とりどりのロケット風船が飛び交う。

「勝者! 四天王朱雀、神宮寺竜選手!」

観客と同じように興奮した様子のDJ桔子がバトルの勝者を宣言し、竜の右腕をぐんと高らかに掲げる――エキシビジョンマッチは、こうして四天王朱雀、神宮寺竜の勝利と共に幕を閉じた。会場は割れんばかりの声援で溢れ、しばらくは鳴り止みそうにない。バトルを見ていた子どもたちがあちこちで立ち上がり、ビュンブレードを手に抱えてもつれるように走り去っていく。きっと今のバトルにあてられ、会場の外や公園にバトルをしに行ったのだろう。

カイとイトが顔を突き合わせ、今のバトルを怒鳴るような声で反芻しているが、ただ前を見つめるビュンにはなにも聞こえなかった。

この会場内の誰もが冷め止まぬ興奮に熱狂している中、しかし素晴らしいバトルを演じ勝った竜は嬉しそうな様子を一切みせず、淡々としている。少しの笑みを浮かべることもなくつまらなそうに控室へと戻っていく竜の背中に、あいつ、ビュンブレードが嫌いなのかな、カイが不思議そうに呟いたのが聞こえた。