第二話

第一章 出会い編

ビュン達の住む街は、都心部から電車で四十分程離れた、いわゆるベッドタウンと呼ばれるものである。夏風一家は元々この街の住民ではなく、都心のアパートに上京していた恋人同士のパパとママが、結婚を機に引っ越してきたのだと聞いた。現在マンションの隣の部屋に住む柚木一家が、生まれたばかりのこまこを連れて同じく都心部から引っ越してきたのは、ビュンが生まれて数ヶ月経った頃だというから、こまこがビュンを手のかかる弟のように考えるのも無理からぬことだった。女児の成長は、男児の成長よりも往々にして早い。

パパの会社まで電車で三十分で行けるこの街は、 かつては古い農村地だったという。ビュンが生まれる少し前から開発が進み始め、古く大きな石垣のある家の横に小さな分譲住宅がずらっと建ち並ぶなど、現在では今昔入り乱れる独特の風景を持っている。大きなショッピングモールへは車か電車に乗らなければ少し遠いが、それでもJRの駅も私鉄の駅も徒歩圏内にあるこの街は、少し中心部から離れると小さな田んぼや畑がまだ点々とあったし、手軽に行ける小・中規模のスーパーは各所に点在しており、生活の利便性は高い。ただ、ママのお気に入りのスーパはビュンの住むマンションから見て少し急な坂の上にあるために、時々ぼやいてはダイエット代わりだと自分を鼓舞しているのを知っていた。

三人がビュンブレードショップから程近いいつもの公園に向かうと、カイがボールネットに入ったサッカーボールを足で蹴りながら、おーいと手を振っているのが見えた。男の子はカイしかいないようだが、少し離れた所では女の子たちがバドミントンや縄跳びをして遊んでいる。

駅からの立地が良いためなのか、夕方からはベンチがカップルで賑わうようになるこの公園は、今はまだ子どもたちの貴重な遊び場所だ。遊具といえば隅っこに小さな砂場ぐらいしかないが、その代わりやり過ぎなければボールも使って良い、今時貴重な公園だった。とは言ってもそんなに広い公園ではないので、小学生はだいたい学校のグラウンドで遊ぶ。サッカーは広い場所で思いっきり蹴る方が楽しいし、野球はホームランを狙ってバットを振るものだ。周りをきょろきょろ見ながら遊ぶのはちょっと大変でもあるし、カイのように、人数の揃わない時にリフティングの練習をしたり、比較的周囲に気をやる必要のないバドミントンを使う程度がせいぜいだった。それでも中学や高校生のお兄さん達には貴重な遊び場所であるようで、休みの日に数人でバスケをしているのをよく見かける。ゴールポストも何もないので、ドリブルでボールの取り合いをしているだけのようだったが、学校のグラウンドはクラブに占領されてるからと残念そうに言っていたのをビュンは覚えていた。

「来たな、ビュン! バトルしようぜ!」

ビュン達が手を振りながらカイに駆け寄ると、挨拶もそこそこに、カイが緑色に光るブレード・猿渡くんを掲げてビュンに挑んできた。

ビュンがビュンブレードを始めてすぐの頃には、いつもビュンをぼっこぼこに負かしてはガハハと得意気に笑っていたカイは、ここしばらくビュンに勝てていないために少し躍起になっている。戦勝記録を取り戻そうと必死なカイがビュンにバトルをしかけるのは、ここ最近の放課後の恒例行事となっていた。カイの挑戦を聞いたイトの目がぱっと輝く。

「じゃぁ僕がジャッジします! アニキ、頑張ってください!」

「俺にも何か言えよ、たこイト!」

ビュンばかり応援するイトにカイが少し拗ねるが、イトは取り合わずに言い募る。

「じゃぁカイさんも、ボロ負けしないように健闘してください」

「なにおー? たこイトのくせに生意気な!」

「まあまあ、カイ」

両腕を頭の上に上げ、イトに襲いかかる振りをするカイをとりなし、ビュンは自慢の竜神丸をズボンのポケットから取り出した。

カイは、少し茶色がかった癖っ毛と薄いそばかすを持つビュンの一番の親友だ。明るくひょうきんな性格のカイは、たまにやんちゃが過ぎると担任の先生に叱られることもあるが、約束したことは破らない、とても信頼できるビュンの大切な友達だった。小学三年生で同じクラスになって以来ずっとクラスが離れることがなかったために、隣のクラスに離れたこまことより長い時間一緒にいる。とは言っても、学校の長い休み時間や放課後にはだいたいこまことイトもくっついてくるために一緒に遊ぶ時間は殆ど変わらない。

ビュンブレード大好きなイトは、余り強くはないながらも自ら黒いビュンブレード・絡蜘蛛を所持し日々研究と練習に勤しんでいるようだが、こまこは自分ではビュンブレードをやらないのに、何が楽しいんだかと言いながらいつも笑ってビュン達のバトルを見、対戦相手のクセや攻略法を思いついてはビュンやカイ達に教えていた。

それじゃぁいきますよー、姿勢をびっと正したイトが二人に声をかけ、ビュンとカイがそれぞれビュンブレードを両手に構える。三人の間に心地よい緊張が走った。

「スリー、ツー、ワン、スピーンアクショーン!」

イトが声高らかにバトルの開始を宣言すると同時に、カイとビュンのビュンブレードが回転を始めた。アタックタイプであるらしいカイのブレードが勢いよくビュンビュンと回り、序盤ビュンの竜神丸をぐぐんと押す。しかしカイの猿渡くんは、その攻撃力故に持久戦に弱い。スタートのスピードが強力なために一瞬で押し勝てることも多く戦績はそんなに悪く無いらしいが、相手がヤマを越えてしまうともう手も足も出なくなってしまうのが猿渡くんの弱点だった。ぐいぐいと迫り来る圧力に慎重に耐え続けるビュンは、暫く経って猿渡くんの猛攻が少し緩むのを感じた。今だっ、竜神丸の回転数をぐっと増やすと、えいやと一気に畳み掛ける。猿渡くんがガクっと崩れ落ちた。

「そこまで! 勝負ありですよ、アニキの勝ちー」

イトが喜色満面に飛び跳ね、ビュンの元に駆け寄ってくる。カイは手持ちのハンカチを噛みながら、今度こそ勝てると思ったのに! と悔しそうに地団駄を踏んだ。

「やっぱ、ビュンにはもう勝てないなー」

「当たり前です! 僕のアニキなんだから」

カイが練習の成果を披露できずに悔しがるのも、イトが自分のことの様にビュンを勝ち誇るのもここ最近の恒例行事だ。カイがうおおおと叫びながら、猛スピードでイトを追いかけ回す。追いついたカイが、イトにボストンクラブからのテキサスホールドを極めているのが見えた。イトが、ギブ! ギブ! と拳で地面をだんだんと叩いている。カイがイトを離すと、イトが脱兎のごとくこちらに逃げ出してきた。

「もー、カイさんは乱暴なんだもん」

「それなら煽らなきゃ良いのに」

こまこが笑ってイトのズレたメガネと服を直してやる。こまこにとっても、イトは可愛い弟分だ。

「それじゃ、今日もいっちょやりますか!」

暫く走り回って気を取り直したカイが戻ってきて、ここ最近のもう一つの恒例行事を宣言した。

「あいあいさーっ!」

くるっと振り返ったイトが敬礼と共に素直に答えると、待ってましたとばかりにカイの元へと駆け寄る。

「え、何? 何やるの?」

「男のロマンです!」

イトの言葉を合図に、ビュン、カイ、イトはだっと公園の中心部へ走り寄ると、バドミントンをやめて魔法少女ごっこをしている女の子たちの横に並んで立った。複雑な呪文を唱えていた女の子たちは動きを止めて、何が始まるのかときょとんとこちらを見ている。

「例え火の中! 水の中! 草の中! 森の中!」

「かき分けてでも見てやるさ! あの子のスカートの中!」

「ちょ、ちょっとあんた達何やる気よ!?」

イトとカイの不穏なセリフに良くない予感を覚えたこまこが慌てて制止に走るが、もう間に合わない。

「標的は、ポニテとツイン……のスカートだぁ!」

イトとカイが同時に両手の人差し指でターゲットをロックオンすると、ビュンが元気よく叫んだ。

「秘儀! モンローの舞!」

三つのビュンブレードが同時に凄い勢いで回り始め、周囲にぶわっと風が舞い上がる。目標にされた女の子たちのスカートが、下から上に駆け抜ける旋風に合わせて昔の映画のワンシーンのように巻き上がった。

「きゃーえっち!」

「終わりの会で先生に言いつけてやるからね!」

ビュンブレードの超回転から発せられる風力をスカートめくりに利用するのは、先月カイが考案し、こまこに見つからないよう三人で密かに練習してきた手荒な新技だ。イトが数回改良を重ねたために、今ではどんなスカートでもめくれないことはない。

被害にあった女の子二人が、現代の魔女裁判の開廷を予告し公園から走り去っていく後ろで、スカートめくりに成功したビュンとカイ、イトが赤の水玉と白! と勝利のVサインを突き出しにやりと笑った。

「……もう信じらんない、さいってー。私帰る」

暴風域には入ったものの、キュロットスカートのために被害にあわなかったこまこが呆れたような声を上げ、元いた場所へと戻っていった。いきおい砂地に放り出してしまっていたお気に入りの小さな肩掛けバッグを広い上げたその時、こまこは凄い勢いで走ってくる怪しい影を視界の端に見た。

「ちょーっと待ったー!!」

「げっ」

ヨーロッパの執事が着ているような独特の黒のスーツに黒のシルクハットをかぶった男が、胸元のシルバーアクセサリーを数個ぐいんぐいん揺らしながら猛然とこちらに駆け寄ってくる。その男の異様な風体に思わずバッグを落として後ずさるこまこだったが、男は磨き上げられた黒の革靴が砂埃に塗れるのを気にもせず、あっという間にこまこの前に立つと、息をきらし、苦しそうに言葉をかけてきた。

「はぁ、っはぁ、君たちも、ビューダー、なんだね?」

「わ、私は……」

「そーだけど」

いつの間にかこちらに戻ってきていたカイ達が、いぶかしそうな顔を男に向けた。パパは毎日スーツを着ているが、こんなデザインのものはテレビや映画でしかみたことはない。どこか違和感を覚えるその服装に、手元を見て納得する。執事がはめていそうな白い手袋をしていないのだ。

「おじさん、誰」

カイが刺すように尋ねた。シクルハットの男は、ガーンと分かりやすく傷ついたように表情を固まらせて、未だ二十三歳なんだけどと呟くのが聞こえる。確かに若そうには見えるが、帽子を深めに被っておりあまりその表情を伺うことはできない。

「お兄さん、は、増田っていうんだけど、ビュンブレードのエキシビジョンマッチを観に行かないか?」

心なしかお兄さん、にアクセントを付けて増田と名乗る怪しい男は言う。

「エキシビジョンマッチ?」

「そう。今度ビュンブレードの全国大会が開かれることは知ってると思うけど、その前哨戦として今日これから、ハイレベルのビューダー達がビューダーズスタジアムで模範試合をするんだ。それで、是非それを君たちに生で見てもらいたいと思って……」

「ねえおじさん、そのイベントの関係者? 業者? 回し者?」

こまこが地面に落ちたバッグを拾い上げ、付いてしまった砂をパンパンと払い落としながら、白猫のストラップの付いたケータイ電話を取り出した。ピンクのラインストーンで可愛くデコレーションした白の真新しいケータイはその画素数が自慢のもので、友達との写真をたくさん撮りたいがために数ヶ月ねだり続け、六年生への進級を機にやっと、離れて暮らす田舎のおばあちゃんからお祝いとして買ってもらったものだ。防犯ブザーの紐を引っ張るだけの子供用小型ケータイからは卒業したが、それがなくとも、不審者には不審者への対応の仕方があるのだ。

「いっいやあの、お兄さん、は、君たちのスカートめくりをあそこのマンションの屋上から見てたんだけど…… 」

こまこの指が、二つ折りケータイをパカっと開くのを見てギクリと肩を竦めた増田は、両手をあわあわとさせながらも諦めずお兄さんにアクセントを付けて、早口で慌てたようにまくしたてる。

「褒められたことではないけど、ビュンブレードであんなに簡単に旋毛風を巻き起こすなんて、誰にでも出来ることじゃあない! 君たちには才能がある! だから、トップレベルのバトルをその目でしっかりと見て、より高みへと登ってみないかと……」

必死の形相で力説する増田を見て、こまこが気が抜けたようにケータイを閉じた。

「悪い人じゃなさそうだけど……凄く変だけど弱そうだし」

「えっ」

再び傷ついたような顔で固まった増田が、自分のスーツを上下パンパン叩きながら検分し、一張羅なんだけどと呟いたのが聞こえた。その場にしゃがみ込む増田は、どうやら自分の格好に相当の自信を持っていたらしい。

「どう思います? アニキ」

イトが、不信半分期待半分の目を増田に向けて、ビュンに問いかけた。

「僕エキシビジョンマッチ見たかったんですけど、チケットがすぐ完売しちゃって買えなかったんです」

「チケットなら持ってるさ! ほら人数分!」

ばっと顔を上げた増田が食い気味に声を上げ、長方形の紙を五枚指に挟んでペラペラと揺らしながら、すがるようにビュンを見つめた。

「百聞は一見に如かず! 何事も経験だ!」

「うーん……どうする、カイ?」

首を竦めてカイを見ると、いーじゃん行ってみようぜとカイが同じように首を竦めてみせた。こまこも特に異存はないようで、ケータイをバッグにしまい、公園を去る準備をしている。

「じゃぁ、面白そうだし行ってみるか!」

「やったー!」

エキシビジョンマッチにとても興味を持っていたイトが、ビュンの決定に大きな歓声を上げバンザイをした。増田はキリッと立ち上がると、ツアー旅行の添乗員のようにビュン達を縦一列に並ばせて、 ツアーフラッグを持っているかのように右腕を上げて言う。

「そうと決まればれっつらゴー!」